先日、ボクの手元に、一冊の小冊子が郵送されてきた。
長年、整体でお世話になっていた秀海さんからの贈り物。
実は、ここ数年すっかりご無沙汰してしまっているのだけれど、秀海さんはれっきとした僧侶。
そして、彼の生命に対する真摯な姿勢や強い想いから、「森になる」と言うボクたちが忘れている大切な「何か」を提言し始めた。
その大切な何かが、この『森になる』と言う小冊子にしたためられている。
昨年末に「一般社団法人森になる」が、設立されました。
ボクは、何も関わることが出来ていないけれども、ずいぶん前に整体をしてもらいながら「樹木葬」について話をしたことがありました。
冊子によると、スウェーデンには世界遺産にもなっている「スクーグスチルコゴーデン」と言う森の墓地があるらしい。
国や文化、宗教を超えて、特定のモニュメントを持たない庭園に散骨する、のだそうだ。
このスクーグスチルコゴーデンをモデルとして『森になる』は設立されたのです。
「・・・・森が数千年も続いていくように、『森になる』は、私たちを育み支えてくれる自然と、これから生まれてくる子供たちを守ります。また、森は聖者の亡骸を栄養として成長するものであり、先祖とのつながりをも回復できます。私たちは自ら森になることを『森になる生き方』と呼んでいますが、それこそが人生の終末をより豊かにするだけでなく、先祖と子孫のつながりをも回復する生き方なのです。・・・・・」
「森になる」と言う言葉を何度もつぶやいてみる。
その言葉は、ボクの心の奥底の「何か」に響くのです。
それは「何者かになる」という事とは全く異なる。
どちらかと言うと「なる」と言うよりも、還っていくような感覚かも知れない。
きっと大地がそうであるように、この活動があらゆるものに栄養や安心を与え、ボクたちの大事な「何か」を思い出させてくれるのだと思う。
長年、整体でお世話になっていた秀海さんからの贈り物。
実は、ここ数年すっかりご無沙汰してしまっているのだけれど、秀海さんはれっきとした僧侶。
そして、彼の生命に対する真摯な姿勢や強い想いから、「森になる」と言うボクたちが忘れている大切な「何か」を提言し始めた。
その大切な何かが、この『森になる』と言う小冊子にしたためられている。
昨年末に「一般社団法人森になる」が、設立されました。
ボクは、何も関わることが出来ていないけれども、ずいぶん前に整体をしてもらいながら「樹木葬」について話をしたことがありました。
冊子によると、スウェーデンには世界遺産にもなっている「スクーグスチルコゴーデン」と言う森の墓地があるらしい。
国や文化、宗教を超えて、特定のモニュメントを持たない庭園に散骨する、のだそうだ。
このスクーグスチルコゴーデンをモデルとして『森になる』は設立されたのです。
「・・・・森が数千年も続いていくように、『森になる』は、私たちを育み支えてくれる自然と、これから生まれてくる子供たちを守ります。また、森は聖者の亡骸を栄養として成長するものであり、先祖とのつながりをも回復できます。私たちは自ら森になることを『森になる生き方』と呼んでいますが、それこそが人生の終末をより豊かにするだけでなく、先祖と子孫のつながりをも回復する生き方なのです。・・・・・」
「森になる」と言う言葉を何度もつぶやいてみる。
その言葉は、ボクの心の奥底の「何か」に響くのです。
それは「何者かになる」という事とは全く異なる。
どちらかと言うと「なる」と言うよりも、還っていくような感覚かも知れない。
きっと大地がそうであるように、この活動があらゆるものに栄養や安心を与え、ボクたちの大事な「何か」を思い出させてくれるのだと思う。
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