アメリカのオバマ大統領の2期目の就任演説を新聞で読んでみた。
歴代のアメリカ大統領たちの演説やスピーチには、「名スピーチ」と言われるものが少なくない。
「すべての人間は生まれながらにして平等であり、その創造主によって、生命、自由、および幸福の追求を含む不可侵の権利を与えられている」
こう語りだす、オバマ大統領。
アメリカの独立宣言書にある文言のようです。
それにしても、主張する国の方々はスピーチがうまい。
原稿など全く見ずに語っているようにも見える。
実際は、プロンプターを駆使しているのだけれども、日本の政治家のように「うつむいたまま原稿まる読み」状態とは違う。
誰かの心に真に伝えたいのなら、「原稿」からは解放されなければならないのだけれども、言質を取るのが得意な我が日本国民に対して、正確に伝えるためにはそれも必要なのかもしれません。
それにしても100万人も集まるのもすごいけど、それだけの人たちを目の前にスピーチするのもすごい。
アメリカの党大会や、こういった就任式の映像を見るたびに、日本との違いを痛感する。
「我々」と言う言葉を使うたびに、アメリカ国民は動機づけられているような気がします。
「市民としてのみなさんと私は・・・」と言う意味でつかわれるのですが、日本の政治家が使う「我々」は、政党関係者の事であり、ボクたち国民とは一線を画している事を表現するケースが多いですから、ずいぶん違いますね。
国民性の違いはともかく、「アメリカ流」を楽しませてもらいました。
そして、ボクたちはあらためて自分の幸福について考えなければならない。
「幸福を追求する権利」は確かに誰にもあるのだけれど、その前に「幸福にある力」が誰にも与えられていることを、天風さんは繰り返し説いている。
その力を発揮できるかどうかは、運や環境によるものではないことも。
いよいよ今週末。
未来創造塾での「天風さん勉強会」が始まりますよ。
歴代のアメリカ大統領たちの演説やスピーチには、「名スピーチ」と言われるものが少なくない。
「すべての人間は生まれながらにして平等であり、その創造主によって、生命、自由、および幸福の追求を含む不可侵の権利を与えられている」
こう語りだす、オバマ大統領。
アメリカの独立宣言書にある文言のようです。
それにしても、主張する国の方々はスピーチがうまい。
原稿など全く見ずに語っているようにも見える。
実際は、プロンプターを駆使しているのだけれども、日本の政治家のように「うつむいたまま原稿まる読み」状態とは違う。
誰かの心に真に伝えたいのなら、「原稿」からは解放されなければならないのだけれども、言質を取るのが得意な我が日本国民に対して、正確に伝えるためにはそれも必要なのかもしれません。
それにしても100万人も集まるのもすごいけど、それだけの人たちを目の前にスピーチするのもすごい。
アメリカの党大会や、こういった就任式の映像を見るたびに、日本との違いを痛感する。
「我々」と言う言葉を使うたびに、アメリカ国民は動機づけられているような気がします。
「市民としてのみなさんと私は・・・」と言う意味でつかわれるのですが、日本の政治家が使う「我々」は、政党関係者の事であり、ボクたち国民とは一線を画している事を表現するケースが多いですから、ずいぶん違いますね。
国民性の違いはともかく、「アメリカ流」を楽しませてもらいました。
そして、ボクたちはあらためて自分の幸福について考えなければならない。
「幸福を追求する権利」は確かに誰にもあるのだけれど、その前に「幸福にある力」が誰にも与えられていることを、天風さんは繰り返し説いている。
その力を発揮できるかどうかは、運や環境によるものではないことも。
いよいよ今週末。
未来創造塾での「天風さん勉強会」が始まりますよ。
そして、だからこそ、今の自分がどんな一歩を踏み出すのか。ですよね。
この社会がどう目に映るのかは、それぞれの投影・・・実はすでにイデアの投影。
だとすれば、その幻影の中で暮らすボクたちが、この世界で何を生み出していくのかは、自分に依っているわけですからね。
コメントありがとうございました。
現実は一つであり、個人的な多様性が見られない。日本人の真理ともいうべきものである。
だから、もしも個人的な発言に違いがあれば、事実関係調べが行われる。
多様を尊重する社会には、真の個人主義がある。
非現実 (遠未来・遠過去) の内容には、個人的な多様性が見られる。
非現実に対応する文章構文があれば、その内容は成案・考えとなり個人差が出てくる。
対応する文章構文がなければ、想いから矛盾を排除できず、空想・出鱈目にとどまり鬼も笑う。
遠未来の社会の内容が明らかに描かれれば、建設計画に着手できる。人々の協力も得られる。
建設的な意見の持ち寄りにより進歩ははかどる。
遠未来の社会が明らかにされなければ、建設計画もできない。人々の協力も得られない。
不毛の議論の連続で、人々は未来に対する不安と閉塞感にさいなまれている。
筋があれば理想 (ideal)になる。なければ空想 (fantasy) になる。
日本語には、未来時制がないから理想の世界は展開できず、現在時制の世界における戯けごとになる。
一寸先は闇と見ている政治家たちに導かれて、国民の生活は動いている。
自分が死んでもこの国がまっすぐに理想の世界に進むようなルール作りを政治家たちにはしておいてもらいたい。
それには、時制のある言語 (英語) の教育が必要である。
英米で高等教育を受けてきた者を活用できる知的な社会の枠組みを作って、彼らを優遇しなくてはならない。