相変わらず、今回の東北関東大地震による様々な惨状や不安が、手をつけられないような状況です。
テレビでは、被災地や被災した方々の様子が繰り返し放映されます。
でも、昨日の書きこんだように、ラジオではずいぶん印象が変わります。
テレビというメディアは、もともとそれを製作するプロデューサーやカメラマンの「個人的視点」で画像を切り取ります。
これは、クエストのスタッフでもありフォトアートセラピストでもあるマッキーが伝え続けている事でもあるのですが、「世界をどのように切り取って、それをどのように解釈して見ているのか」は、すべて個人にゆだねられているのです。
ですから、テレビと言うメディアは、個人あるいはそのグループの価値観で切り取られた情報を、私達に一方的に与えていくのですから、その情報は当然「真実」とはかけ離れてしまうことが多いのです。
様々な文学も映像化されます。
その良しあしは、ボクには決められません。
映像化されてその良さが広がる場合もあるだろうし、反対にその昔エンデが『はてしない物語』を映画化された内容を観て、長い訴訟をしていたらしいことも、作品のイメージと映像のイメージの価値観の違いによるものなのです。
今のテレビの映像は、ボクたちの不安をあおるばかりのような気がします。
テレビを批判しているわけではないのですが、このことで、心理不安を覚える人を増やしてしまうような気もします。
少なくとも、今当事者であるボクたちにとって、真実として受け取れるような情報が必要です。
そこから先は・・・・ボクたち自身の選択をしていけばいいのですから。
今、ラジオでは音楽が流れています。
嫌なことから目をそむけるという事ではなく、自分を取り戻し、平静な自分として自分の判断や選択をしていく事は、今のボクにとってとても大事なことになっています。
不安に意識を向けるか、自分らしく生きることに意識を向けるか。
それぞれの生き方が、試されているような気もします。
音楽を聴こう、そしてアートをしよう!
今を生きる術をボクたちはいくらでも知っているのですから!
テレビでは、被災地や被災した方々の様子が繰り返し放映されます。
でも、昨日の書きこんだように、ラジオではずいぶん印象が変わります。
テレビというメディアは、もともとそれを製作するプロデューサーやカメラマンの「個人的視点」で画像を切り取ります。
これは、クエストのスタッフでもありフォトアートセラピストでもあるマッキーが伝え続けている事でもあるのですが、「世界をどのように切り取って、それをどのように解釈して見ているのか」は、すべて個人にゆだねられているのです。
ですから、テレビと言うメディアは、個人あるいはそのグループの価値観で切り取られた情報を、私達に一方的に与えていくのですから、その情報は当然「真実」とはかけ離れてしまうことが多いのです。
様々な文学も映像化されます。
その良しあしは、ボクには決められません。
映像化されてその良さが広がる場合もあるだろうし、反対にその昔エンデが『はてしない物語』を映画化された内容を観て、長い訴訟をしていたらしいことも、作品のイメージと映像のイメージの価値観の違いによるものなのです。
今のテレビの映像は、ボクたちの不安をあおるばかりのような気がします。
テレビを批判しているわけではないのですが、このことで、心理不安を覚える人を増やしてしまうような気もします。
少なくとも、今当事者であるボクたちにとって、真実として受け取れるような情報が必要です。
そこから先は・・・・ボクたち自身の選択をしていけばいいのですから。
今、ラジオでは音楽が流れています。
嫌なことから目をそむけるという事ではなく、自分を取り戻し、平静な自分として自分の判断や選択をしていく事は、今のボクにとってとても大事なことになっています。
不安に意識を向けるか、自分らしく生きることに意識を向けるか。
それぞれの生き方が、試されているような気もします。
音楽を聴こう、そしてアートをしよう!
今を生きる術をボクたちはいくらでも知っているのですから!
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