自分セラピー

「自分を好きでいる」ことは人生を豊かにしてくれます。そこに気づかせてくれる沢山のファンタジー文学を紹介していきます

『猫を抱いて象と泳ぐ』 小川洋子

2011-09-06 18:43:34 | ファンタジー
「カズは身長どれくらいになりたいんだ?」


ボクが小さい頃に住んでいた、椎名町の親戚の家で、しょっちゅう聞かれたこと。


小さい頃から、何故だかわかりませんが、「175センチ」と、繰り返し答えていたことをよく覚えています。


ボクの母親の家系で、一番背が高いのがボクの兄で165センチ。


母親は、156センチ(85歳のいまは140センチくらいになったようですが)


おまけに父親は153センチ。



遺伝的には、どう考えても175センチは無理そうでしたが、結果としては宣言通り175センチ。



でも、自慢話をしたいわけじゃなくて、その背が高くなるや大きくなることが「悲劇である」と言う物語のお話。


競馬のジョッキーを夢見る子どもたちも、背が大きくなることで夢をあきらめなければならなくなる話はよく聴きます。


このお話は、チェスの話なのか、チェスが語る「詩」であらわされる生きざまなのか、はたまた成長することの悲劇なのか…。


ファンタジーは、それがはっきりとファンタジーとわかる作品と、ぎりぎり?のところにある作品があります。



魔法や、魔法使いが登場する『指輪物語』や『ゲド戦記』


時間を旅する『トムは真夜中の庭で』や『ナルニア国物語』



ボクが今回読んだこの作品は、魔法も登場しないし、時間の旅もありません。



でも、ボクには異空間を旅するファンタジーでした。




『猫を抱いて象と泳ぐ』 小川洋子



この題名と、作者の中絵に魅かれて買った文庫本。



デパートの屋上にレンタルされたインドゾウのインディラ。


払い下げのバスの中で生活している、チェスのマスターの元バスの運転手。


そして主人公の11歳の身体のまま成長を止めたリトル・アリョーヒンと呼ばれた少年。





インディラは、大きくなりすぎてエレベーターに乗れなくなって生涯デパートの屋上で生きた象。


チェスのマスターは、太り過ぎてバスの通路は勿論、出入り口さえ通れなくなってしまう。


マスターの指導で腕をあげ、ロシアのアリョーヒンという名手に喩えられるほどのチェスの名人になった少年は、
何故かチェス盤の置かれるテーブルの下にもぐって、チェスを打つ。





やがてこの少年は、アリョーヒン人形なる実物大の大きさの人形の中に入ってチェスを打つようになるのです。


ボクは、チェスは全く知らない。


話の筋に沿って、少年(リトル・アリョーヒン)やミイラと名付けた女性との、決して表現されない恋心の事や、
ミイラの肩にとまる白いハトのこと、ルールさえ知らないチェスの一手一手が語る美しい詩。


こういった一つ一つの話に身を任せていくうちに、知らないうちにこの物語にのめり込んでしまう。


デパートの屋上から出られなくなる象も、バスから出られなくなってしまう運転手も、人形の中に閉じこもってチェスを打つ名手も、現実にはとても考えられない。



でも、なんだか本当にあったような気がしてくる。



この少年の耳に聞こえる、亡きマスターの声はこの本を読み終えてから、ボクの耳にもよく聞こえてきます。



「あせるなよ、ぼうや」



今のボクに、タイムリーな言葉なのかもしれない。














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