アイルランドの妖精の話、アイヌのコロポックル、北欧のトロール・・・・世界中には、現代では考えられないような存在のお話が五万とあります。
ボクは、ファンタジーが大好きで、物語に登場する様々な主人公にわくわくします。
想像でしかないのですから、ボクは勝手なイメージをふくらませて、楽しめるわけです。
実は、ファンタジーの良さの一つは、このイメージの力を養うことができること。
煮詰まった頭の中を刺激して、ボクたちの創造性を喚起してくれます。
漱石の『夢十話』は、夢のお話だけれども、梨木香歩の『家守奇譚』は・・・・不思議な物語。
妖精も、コロポックルも、トロールも、決して現実的ではないんだけれども、もっともっと自然があふれていたころには、誰の目にもはっきり見えた存在だったに違いない。
『家守奇譚』は、まるで明治の文豪が書きおろしたかのような文体で(梨木さんの才能に驚きます)、その不思議なことがごく自然に起きている様子が描かれているのです。
今の東京で、「妖精を見た!」と叫んでも、99%「何かの見間違い」と判断されるだけでしょうね。
小さいころに見た、寝床の天井の陰に潜んでいた天狗や、曇りガラスの中にひしめく魔女、夏の日差しの中に揺らぐ誰かの目・・・・・
思い出してみるだけで、ボクにもたくさんの不思議が記憶として残っている。
主人公、綿貫征四郎が、湖で突然姿を消した友人の高堂の家で居候します。
その生活の日々に見える、河童や人魚、小鬼、桜鬼・・・・などなどのお話。
掛け軸の中からやおら登場する「高堂」と、ごく普通に語り合う征四郎。
何でも知っている隣のおばさんも、疎水の上に寺を構える住職も、いやぁ、不思議不思議、不思議な物語。
仏教の言葉で不思議っていうのは、「これ以上、思議をしない」ってことらしい。
だから、ボクは、この物語をこのまま受け止めて、あれこれ考えずにこの不思議を心にしまっておくことにする。
おもしろかったぁ
ボクは、ファンタジーが大好きで、物語に登場する様々な主人公にわくわくします。
想像でしかないのですから、ボクは勝手なイメージをふくらませて、楽しめるわけです。
実は、ファンタジーの良さの一つは、このイメージの力を養うことができること。
煮詰まった頭の中を刺激して、ボクたちの創造性を喚起してくれます。
漱石の『夢十話』は、夢のお話だけれども、梨木香歩の『家守奇譚』は・・・・不思議な物語。
妖精も、コロポックルも、トロールも、決して現実的ではないんだけれども、もっともっと自然があふれていたころには、誰の目にもはっきり見えた存在だったに違いない。
『家守奇譚』は、まるで明治の文豪が書きおろしたかのような文体で(梨木さんの才能に驚きます)、その不思議なことがごく自然に起きている様子が描かれているのです。
今の東京で、「妖精を見た!」と叫んでも、99%「何かの見間違い」と判断されるだけでしょうね。
小さいころに見た、寝床の天井の陰に潜んでいた天狗や、曇りガラスの中にひしめく魔女、夏の日差しの中に揺らぐ誰かの目・・・・・
思い出してみるだけで、ボクにもたくさんの不思議が記憶として残っている。
主人公、綿貫征四郎が、湖で突然姿を消した友人の高堂の家で居候します。
その生活の日々に見える、河童や人魚、小鬼、桜鬼・・・・などなどのお話。
掛け軸の中からやおら登場する「高堂」と、ごく普通に語り合う征四郎。
何でも知っている隣のおばさんも、疎水の上に寺を構える住職も、いやぁ、不思議不思議、不思議な物語。
仏教の言葉で不思議っていうのは、「これ以上、思議をしない」ってことらしい。
だから、ボクは、この物語をこのまま受け止めて、あれこれ考えずにこの不思議を心にしまっておくことにする。
おもしろかったぁ
この本はここ数年で私が一番好きな本です。
先生が紹介していることに興奮してしまいました。
本日、知恵熱(7度5分)で寝込んでましたが、興奮してさらに熱が↑↑↑うれしーーーい。
じわわーーんと情緒がありますよね。
不思議たちが自由に生活している世界はやっぱり存在するのかもと自然と思わされてしまう。
&私は梨木さんの「信仰」というものに対する考え方が大好きです♪
この兄弟本の「村田エフェンディ滞土録」もぜひ読んでください♪ちょこっとでてきた村田のトルコでの生活が出てきます。
家守奇譚ほど、ファンタジーではありませんでしたから、さらさらと読み進んだのですが・・・・。
なんとまあ、最後のあのお手紙で、涙なみだナミダ
鸚鵡が、あのオウムが・・・・
いやぁ、作家ってすごいイメージ力ですよね。