ボクの父親は、伊豆の土肥という風光明美な海辺の町で育ちました。
と言っても、両親は鉱山士で全国の山をめぐっていたようです。
オヤジは自分の出身地が仙台であったことは、大人になるまでまったく知りませんでした。
なぜなら、物心がつくころに・・・6歳で父親を7歳で母親を亡くし、天涯孤独になってしまったから知りようもなかったということなんです。
幸い、土地の方が身寄りのない父親を預かり育ててくれたようです。
オヤジが言うには、小学校を出るころに、「東京に世話をしてくれる」と言う話が来て、意を決して出て行ったけれども、完全にだまされて帰れなくなってしまったらしいのです。
今ではとても考えられないことですが、大正時代の話ですからそんなこともあったのでしょう。
そしてその後は・・・・・
とても、長すぎて書ききれませんので、いつかオヤジ回想録でも書くことにします。
父親は、たくさんの家族を作りました。
ボクの知っている限りでも、全部で4つ。
天涯孤独だった少年が、一代で功を成し遂げたのですから、壮絶な人生の物語があるのですが、そのおとし子の1人であるボク、そしてオヤジと一緒に生活することもなかったボクにとっては、そんなオヤジの苦労も知れず、憧れと憎しみが相まった子ども時代を過ごしたのです。
いや、子ども時代だけではありませんね。今の道を歩き始める30歳くらいまではずっとそうだったような気がします。
話が長くなるので、はしょりますが、1995年7月17日の昼前に連絡が入り、大急ぎで新宿のJ医大病院に駆けつけました。
そこには、たくさんの家族に見守られたオヤジが人工呼吸器を口に当てられながら横たわっていました。
狭い個室に、満員電車のように人が連なっています。
夏の暑い日でした。
横たわっているオヤジを見ているうちに、ボクは土肥の山を麦わら帽子をかぶって走り回っている子どもの頃のオヤジを眼に浮かべていました。
無論そんなことは聞いたこともありません。ただ、ソレが見えました。
その少年は、立ち止り、息を切らせながら歯を食いしばり、真っ青な夏の空に向かって叫んでいるのです。
「絶対、でっかい家族をつくるんだ!」って・・・。
ふと、病室に意識を戻すと、そこには、人がたくさんいます。
「オヤジ・・・・できたじゃない。こんなにたくさんの家族が・・・・。」
そう心の中で伝えたとき、医者の手が止まり臨終を伝えました。
84年の人生を歩き終えました。
悲しみの内に、家族一人一人が順番にオヤジのベッドに近づいて最後の別れを惜しんでいました。
ボクの順番がきたときに、ボクは・・・・ずっとしたかったことをしました。
オヤジの頭を両腕で抱きしめました。
そして、まだきっとそばにいるオヤジに、言えなかった言葉を伝えました。
「おとうさん、ごめんなさい。おとうさん・・・ありがとう・・・」
ボクにとっての、最大の許し許された瞬間でした。
『まゆみのマーチ』に登場する不登校の息子を持つ亮介。
この亮介が許せなかった父親、認めてあげられなかった母親、何もしてあげられなかった妹への悔恨が、胸に迫ります。
この物語を読んでいて、ボクは無性に涙があふれて仕方がなかったんです。
と言っても、両親は鉱山士で全国の山をめぐっていたようです。
オヤジは自分の出身地が仙台であったことは、大人になるまでまったく知りませんでした。
なぜなら、物心がつくころに・・・6歳で父親を7歳で母親を亡くし、天涯孤独になってしまったから知りようもなかったということなんです。
幸い、土地の方が身寄りのない父親を預かり育ててくれたようです。
オヤジが言うには、小学校を出るころに、「東京に世話をしてくれる」と言う話が来て、意を決して出て行ったけれども、完全にだまされて帰れなくなってしまったらしいのです。
今ではとても考えられないことですが、大正時代の話ですからそんなこともあったのでしょう。
そしてその後は・・・・・
とても、長すぎて書ききれませんので、いつかオヤジ回想録でも書くことにします。
父親は、たくさんの家族を作りました。
ボクの知っている限りでも、全部で4つ。
天涯孤独だった少年が、一代で功を成し遂げたのですから、壮絶な人生の物語があるのですが、そのおとし子の1人であるボク、そしてオヤジと一緒に生活することもなかったボクにとっては、そんなオヤジの苦労も知れず、憧れと憎しみが相まった子ども時代を過ごしたのです。
いや、子ども時代だけではありませんね。今の道を歩き始める30歳くらいまではずっとそうだったような気がします。
話が長くなるので、はしょりますが、1995年7月17日の昼前に連絡が入り、大急ぎで新宿のJ医大病院に駆けつけました。
そこには、たくさんの家族に見守られたオヤジが人工呼吸器を口に当てられながら横たわっていました。
狭い個室に、満員電車のように人が連なっています。
夏の暑い日でした。
横たわっているオヤジを見ているうちに、ボクは土肥の山を麦わら帽子をかぶって走り回っている子どもの頃のオヤジを眼に浮かべていました。
無論そんなことは聞いたこともありません。ただ、ソレが見えました。
その少年は、立ち止り、息を切らせながら歯を食いしばり、真っ青な夏の空に向かって叫んでいるのです。
「絶対、でっかい家族をつくるんだ!」って・・・。
ふと、病室に意識を戻すと、そこには、人がたくさんいます。
「オヤジ・・・・できたじゃない。こんなにたくさんの家族が・・・・。」
そう心の中で伝えたとき、医者の手が止まり臨終を伝えました。
84年の人生を歩き終えました。
悲しみの内に、家族一人一人が順番にオヤジのベッドに近づいて最後の別れを惜しんでいました。
ボクの順番がきたときに、ボクは・・・・ずっとしたかったことをしました。
オヤジの頭を両腕で抱きしめました。
そして、まだきっとそばにいるオヤジに、言えなかった言葉を伝えました。
「おとうさん、ごめんなさい。おとうさん・・・ありがとう・・・」
ボクにとっての、最大の許し許された瞬間でした。
『まゆみのマーチ』に登場する不登校の息子を持つ亮介。
この亮介が許せなかった父親、認めてあげられなかった母親、何もしてあげられなかった妹への悔恨が、胸に迫ります。
この物語を読んでいて、ボクは無性に涙があふれて仕方がなかったんです。
身近な家族だからこそ、かえって寄り添うことが難しい。そして、それを克服しわかり合うためには許しという心の作用が欠かせないものであること。そのことがとても巧く書き現されていたと思います。
この短編集の中で私は『追伸』という作品にとても心を揺さぶられました。読み終える頃には、思わず号泣。私も同じく、自分の家族を作品に重ね合わせて読んだせいだと思います。おかげで、亡き母に対する「何故?」からずいぶん解放された気がします。
これもひとつの卒業なのでしょうね。
重松作品・・・・読んでいたんですね。
追伸は、最後の作品でしたね。
しびれますよね。
ゆるし・・・・自分の未来を豊かにしてくれる。そして、自分の過去も癒されます。
卒業すると、ようやく次のステップに進めるんですよね。