昔は、クルマの楽しさといえばだたいブッ飛ばすことにあった。
運転免許証を取ってすぐの若者はブッ飛ばし、事故率も高かった。
「速さ」は私の自動車図鑑(自動車 解剖マニュアル (まなびのずかん) | 繁 浩太郎 |本 | 通販 | Amazon)の最後にも書いてますが、2~3歳の子供をプラスティックのおもちゃのクルマに乗せて、ゆるい坂道を下らせると、声をあげて大喜びします。それで、何回ももう一回もう一回とねだってきます。
つまり、人間の歩く速さより速く動くものに対して本能的に「楽しい」のではないでしょうか。
やはり、人間は本能的にスピードが好きなんでしょう。
リニアモーターカーもその速さで盛り上がります。、
しかし、20年近く前から、若者はブッ飛ばさなくなったようだし、リニアモーターカーは新幹線ができた時代より盛り上がらないように思えます。
どうも、もう「速さ」は、そんなに注目されることもなくなったし、勿論楽しさのコアにもならないようです。
クルマの新しい楽しさ基準は「速さ」ではないでしょう。
クルマから「速さ」という価値観を奪うのは昔だとクルマの存在そのものを否定することになりかねませんが今だとそういうことでもなさそうです。
だいたい、道路インフラは、ドイツのアウトバーンでも速度無制限区間は大変少なくなってきました。
200km/h程度の高速で走るクルマは少なくなってきましたし、250km/hや300km/hというさらなる高速で走りたいという人は少ないと思います。
だいたい飛ばすと、燃費が悪くなるし環境にもよくありませんし、200km/hの高速なんて、人間の操作限界かもしれません。
カーメーカーも最高速度競うようなクルマは造らなくなってきました。売れないということですね。
だから、昔の価値観である速度でクルマをきっても、そこからクルマの楽しさはでません。
今どきのクルマの楽しさってなんでしょうか???
私はホンダにいる時に、ずいぶんと前ですが、これからのクルマの楽しさとして、ポケベルで待ち合わせ(ホント随分と前だ)、みんなで一つのクルマに乗りワイワイと楽しみながらカラオケに行くというイメージビデオを若手社員を出演者として手作りしました。(クルマは楽しさの対象でなく楽しさの為の道具だというビデオ)
これを、偉い人達にプレゼンして時代が変わっている事を伝えようとしたのですが、「クルマは自分で運転して走るから楽しいに決まっているだろう」の一言で、せっかくの手作りビデオはお蔵入り。
先日テレビで旧車30年乗っている人を取材する番組があり観ました。
そのオーナー達は勿論高齢者で、クルマも古すぎるのですが、スピードでなく散歩するようにクルマを走らせて「楽しんで」います。
私が80年代の中にビートル買った理由もそれでした。
旧車は老いぼれ老人と同じで、またオーナーも高齢者で・・・というある意味特殊事情がありますが、この辺りが新しい時代のクルマの楽しさをさぐるヒントになるのではと思います。
今どきの若い人は、運転が下手でスピードが上がると怖がります。(タックインなんて説明すると「なんでそこまでして速く曲がらないといけないの」ときます。)
パトカーの運転手は私世代のあこがれでした。いくらスピード出しても捕まりませんしね。
しかし、今どきのパトカーの運転手は高速で追っかけて捕まえるのが怖いというのを聞いたことがあります。
また、今どきの若い人は、コンプライアンス遵守意識も高く、公道の最高速度表示は本当に最高速度ととらえています。
よって若い人は制限速度以下で走ります。私の若い時とは全く異なります。
私の時代はA地点からB地点までどれだけ速くいったかが価値観となり友達に自慢しましたが、今は「そんなの意味ないじゃん」で終わってしまいます。
ただ、そういう人達も適度なスピードで風をきって走るクルマに爽快感を感じています。
今のクルマは高速まで快適に走れることを目標に造ってきましたが、結果「走り感」をなくしてきたように思います。
より低速で「走り感」を具現化すれば、クルマのスピード化に価値観の無い今どきの若い人たちにも「クルマは楽しい」といってもらえるかもしれません。
今どきの若い人の中でも旧車に興味を持つ人が増えてきているのは一つの価値観の兆候であるかもしれません。
昭和から平成の時代はスピード化の価値観から燃費の価値観に変わった時代でしたが、それらをふまえて今後令和は「ロースピードの時代」がきているのではと思っています。
多くのモータージャーナリストの方々がEVの走りを旧来の価値観で評論されているのをみて、なぜもっと新しい今後の社会の価値観でみれないのかな?と思います。
たとえばEV単体の商品力が上がって人々が買い始め多数になったら、日本の発電はこまり、さらにCO2も。
そんな日本でなんでEVなんだ? 多くのユーザーの人達はそう思っているでしょう。
EVはハードの評価だけでは語りつくせません。
そこにカーメーカーの事情や都合、さらに国が重なると複雑になってきます。
それらをモータージャーナリストは解きほぐして、ユーザーに示すことが大切なのかもしれません。
その評価でカーメーカーもクルマの新しい楽しさに気づき、それに対応したハードを造るようになると次世代の楽しいカーライフが始まると思います。
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