7月30日、「無事に終わりました。シェルちゃん、頑張ってくれましたよ」と電話口で先生は言ってくださいました。
術後1週間が過ぎ、無事に退院して、「あとは食欲が元通りになれば、もう一頑張り寿命が伸びるね」と、希望の光を感じてたのに、命の炎はもうあまり残ってなかったのです。
年齢からして、“いつかは…”と覚悟はしていたはずなのに、つい、先月までは、その“いつかは…”は、まだまだず~っと遠いことのような気がしていました。
だって、この暑さで食欲旺盛でしたから何よりの証拠だと。
8月16日、あっという間の旅立ちでした。(生後5587日)
食べ物も飲み物も積極的には欲しがらなくなってから、わずか1週間でした。
思えば最初は手術をする1週間前。
生まれてから、2~3回しかしたことがない下痢を珍しくして、熱っぽくて、いつになく、ぐったりとして元気がないな…と思ったのが最初。でも、それは解熱剤と整腸剤により翌日には回復しました。
それから1ヵ月もたたないのに“さよなら”をしてしまうなんて。
日々、回復だけを信じて願って、ただただ夢中で過ぎていき、気がついたら、いつの間にか“生”ではない方に向かっていたのです。
「シェルちゃん、いつ逆方向に乗りかえたの?」突然のさよならに呆然として、すぐには見送る決心がつきませんでした。
もうずいぶん前になりますが、週何日か通ってた仕事も辞めてからの私と、1日で1番長く一緒に過ごすのはシェルでした。
2人ともお家好きのまったりタイプなので、なおさらでした。美味しいものは必ずおすそ分けし、一緒にお昼寝をし、私が何かしてる時は、その時々のお気に入りの場所でスヤスヤ寝てました。
その変わらない寝姿で、今は永遠の眠りについてる。
私は取り残されたような、その呆然とした気持ちのまま、バタバタと旅立たせることがどうしても出来ませんでした。
思えば熱を出して以来、ずっと昼間は病院に行ったり、家事をしつつ見守ったり、夜はシェルの横でソファベットに寝て、1週間の入院を除いては亡くなるまで片時も離れませんでした。
だからよけいに、ただ眠ってるようにしか見えないシェルから離れることが出来なかったのかも知れません。
それに納得できない葬り方をして後で後悔したくなかったからです。
結局、旅立たせる決心が出来たのは、3日後の19日になりましたが、シェルがいつも外を眺めてたお気に入りの場所から見えるところで、移動火葬車で荼毘にふしました。
そこの葬儀屋さんの考え方が、「他のワンちゃん達と一緒のほうが、皆と楽しく元気に遊べるから、寂しい思いをさせなくていいと思う方もいらっしゃいますし、そのほうが喜ぶワンちゃんもいますが、私は自分の飼った犬が飼い主の傍が1番好きだったので、お家のかたの傍でのお見送りが一番だと思います」
ということだったので、私の思いとも通じるものでした。
きっと、この場所からこんな風に眺めていてくれたと思います。
思えばこれほど100パーセントの信頼で、“あなたがすべて”と慕ってくれる存在は、愛犬以外は、おかあさんを慕う2~5歳までの子供以外にはいないのではないかと思います。
いつでもどんな時でも、その瞳はまっすくに「あなたが大好き」といってくれます。
しっぽフリフリのおまけつきで。
私の人生を豊かにしてくれました。
ブログを始めたのもシェルが居たからだし、そこでしか知りえない人達と共感できる楽しみももらいました。
<楽しかったよ!私の元に来てくれて、過ごしてくれて、ほんとにありがとう>
<そして、何より、ほんとにかわいかった!>
こんな表情も好きでした。
好きなお顔を探すときりがないから…。
とりあえずの“さようなら”そして、“きっとまたいつか”
シェルのものを色々探してたら、
☆MARIN OF CRYSTAL MARIKO JP☆と書かれた出生証明書を見つけました。
マリンってイメージと響きがいい・・・素敵な名前を授かってたのですね。
シェル・ベスト・オブ・ベスト☆気持ちいい!シェル風だね~☆(2010・9・4)
よかったら、ご覧ください。