高齢者は、社会的にもさまざまな経験や知識によって一定の存在感があります。高齢になるほど希少な存在となり、「古老」や「長老」と呼ばれ、特別な尊称があり、それに応えるべく日々精進が必要だと思っています。
一般的に、高齢者の多くは第一線を退いたとはいえ、経験によって導き出される勘は衰えていなく、時として通常の技能者より優れた結果を出す事もあります。
WHOでは65歳以上の人のことを高齢者としていますが、高齢者の線引きは実に曖昧です。私が住んでいる岡崎市の男川学区では、75歳以上を後期高齢者として、敬老の日にお祝をしています。
敬老の制度として、名古屋市の敬老パスは政令指定都市では最も早く着手し、全国でも誇れる福祉制度ではないかと思います。長い間65歳以上の方に無料で配布されていましたが、ある程度の受益者負担はやむを得ないと、平成16年度から敬老パスの交付には、本人および世帯の所得状況に応じ、年間1,000円、3,000円、5,000円のいずれかの負担になりました。
1980年代末までは、3世代同居世帯が4割をこえていた時代と比較し、現代では夫婦のみの世帯は3割 となり、単独世帯は3割、親と未婚の世帯が2割、3世帯は1割に減りました。当然のように高齢者の存在、居場所も大きく変化せざるを得ない状況になりました。
加齢が進んで、体の自由度が低下すれば、デイサービスなど、福祉施設の利用などが必要になります。また、近い地域に高齢者の居場所が必要になり、空き家など、効率的に利用される制度が求められます。