兵藤恵昭の日記 田舎町の歴史談義

博徒史、博徒の墓巡りに興味があります。博徒、アウトローの本を拾い読みした内容を書いています。

仙台の博徒・丸屋忠吉

2018年02月23日 | 歴史
仙台の侠客・丸屋(鈴木)忠吉を知っている人は少ない。

丸屋忠吉は幕末博徒の大前田英五郎、大場久八、相模屋政五郎と並んで、全国的に名を知られた博徒である。庶民的には国定忠治、清水次郎長が講談で有名だが、当時の有名大物博徒・親分とは前者の博徒を指すのが一般的である。

蛮社の獄で捕縛された蘭学者で医師・高野長英は江戸の伝馬町牢屋敷を火災に紛れて脱走した。その長英が故郷の奥州・水沢に住む母親に一目会うため、東北へ逃亡の旅に出た。

当時、長英の脱走の事実を知りながら、密かに母親と長英との面会の労を取ったのが仙台の侠客・丸屋忠吉である。その後も、忠吉は長英の逃亡を支援し、博徒仲間の連絡網を使って長英の逃亡を手助けした。まさに侠客の名に値する博徒である。


ブログ内に下記記事があります。よろしければ閲覧ください。
函館の博徒・柳川熊吉


写真は丸屋(鈴木)忠吉の墓である。仙台市若林区成田町の冷源寺の境内にある。


写真は忠吉が仙台に相撲巡業に招いた相撲取り・滝ノ音磯五郎(幕下2段目)と行司が巡業中に死亡したため、忠吉が二人のために建立した相撲取り(大きい方の墓)と行司(隣の小さい墓)の墓である。

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