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謎の作庭流派 大石武学流

2013-10-28 | 青森文化芸術
津軽方面の名庭を見学すると、『大石武学流』の名前がそこかしこで聞かれます。
京都から来たと云われていますが、この大石武学流は京都だけでなく西日本一帯にもみられない不思議な造園流派です。
それがなんと、四十七士の討ち入りで名高い大石内蔵助に縁があるという。

大石内蔵助の叔父が津軽に来て、大石武学流の祖になったという説を聞きました。
津軽藩には元々「大石」という姓があったのかどうかは寡聞にして知りませんが、「京都から来た」と云われるこの流派ですから、西日本方面から津軽藩内にやってきた人がいるはずです。
調べてみると、大石内蔵助の祖父の兄弟の息子が津軽藩に出仕しています。
この人が「ブザエモン」と名乗っていて大石武学流の祖になった、というお話でしたが、真偽のほどは分かりません。
元禄の頃、そんな歴史があったのかもしれないし、真実は別にあったのかもしれない。
ただ、そんな歴史の合間の不思議なつながりがあったとしたら、それは面白いなあと思うのです。


揚亀園

その話を聞きに行くため通った黄葉の道が今日の写真です。
山はもう秋ですね。



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2 コメント

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Unknown (マサコ)
2013-10-31 18:38:07
赤穂(浅野藩?)から津軽藩へ出仕目的は
塩の技法を伝える為ですかね、津軽藩からは農作物や藩より国に納める特産品を学ぶ為とか。
でも、西から豪雪地へ赴いて、、、寒さに堪えたでしょうね

本当に秋色に埋もれていますね、綺麗です。
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マサコさま (shouske0)
2013-11-04 05:40:14
産業技術は関係なく、伝手を頼っての求職だったのではないかと思います。
本家の跡取り以外は、養子縁組や入り婿の他にそんな身の処し方をしていたのかも。
仕官の口が少なかった就職難の時代でしょうね。
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