わが家のトイレは、この夏にリフォームして使用水量が少ないものに変えました。
この時に暖房便座も止めてしまい、何も電化機能のついていないシンプルなトイレに変わりました。
工事の時に、暖房便座・ウォシュレットでないトイレがは注文の間違いではないかと確認されたのですが、きっとほとんどの家のトイレ工事ではこのような機能を追加するのが普通だったのでしょう。
工事以前は暖房便座だったのですが、暖房機能は今まで一度も使わずにきました。家庭ではカバーをつけていれば使用時に冷たいと思う事もなく、必要と思う事もなかったのです。
夏に旅行をした時に、高速道路のパーキングトイレで落書きを見ました。
トイレの座面が冷たいという書き込みに対して、反論が書かれていました。
これは仙台の近くのパーキングで、大変な思いをした被災地に近い。
大変な思いをした方々が続いて書き込んだのかもしれません。
震災以前であれば「贅沢です」「使えるだけでありがたい」のような書き込みがあっただろうかと考えます。
実際に災害を体験したあとに節電を真剣に考えると、便利ではあるものの無くてもいいのではと思える事に電気を使っていたと気が付きます。
震災は多くの意味で人の考え方の大元を変えたのでしょう。
人によっては重要と思われるポイントは違いますが、便利であるためには何がしかの代償が必ず必要になります。
電力という現代の生活になくてはならないエネルギーは、実はどこかに大きな代償を払わせていて、その代償の支払いはいつか自分にも回ってきます。
そんなことを感じた人が多かったのかも。この書き込みを見ながら色々と考えていました。
この時に暖房便座も止めてしまい、何も電化機能のついていないシンプルなトイレに変わりました。
工事の時に、暖房便座・ウォシュレットでないトイレがは注文の間違いではないかと確認されたのですが、きっとほとんどの家のトイレ工事ではこのような機能を追加するのが普通だったのでしょう。
工事以前は暖房便座だったのですが、暖房機能は今まで一度も使わずにきました。家庭ではカバーをつけていれば使用時に冷たいと思う事もなく、必要と思う事もなかったのです。
夏に旅行をした時に、高速道路のパーキングトイレで落書きを見ました。
トイレの座面が冷たいという書き込みに対して、反論が書かれていました。
これは仙台の近くのパーキングで、大変な思いをした被災地に近い。
大変な思いをした方々が続いて書き込んだのかもしれません。
震災以前であれば「贅沢です」「使えるだけでありがたい」のような書き込みがあっただろうかと考えます。
実際に災害を体験したあとに節電を真剣に考えると、便利ではあるものの無くてもいいのではと思える事に電気を使っていたと気が付きます。
震災は多くの意味で人の考え方の大元を変えたのでしょう。
人によっては重要と思われるポイントは違いますが、便利であるためには何がしかの代償が必ず必要になります。
電力という現代の生活になくてはならないエネルギーは、実はどこかに大きな代償を払わせていて、その代償の支払いはいつか自分にも回ってきます。
そんなことを感じた人が多かったのかも。この書き込みを見ながら色々と考えていました。
ここはひとつ、マイ箸ならぬマイ便座カバーは如何でしょうか?
でも、便座カバーをヒラヒラ持って歩くのも嫌だなぁ(笑
で、衛生面を考えれば暖房便座に使い捨て紙カバーと言う組み合わせは有効な手段でもあり、折衝案とすれば、トイレの屋根は太陽光発電機と蓄電池の置場にして、自然エネルギーによる暖房設備に切り替えれば良いのではないでしょうか?
イニシャルは掛りますが、ランニングは多少下がるのではないでしょうか?
まあ、発電パネルの劣化と蓄電池のライフサイクルと廃棄料が大変ですが。
蓄電池は余剰電力売電ができれば多分不要なんでしょうし、夏場の保温不要時は売ってしまうのも手ですね。
太陽光発電電力が直流・交流とか電圧のゆらぎで使い勝手の悪い電力と言われる話は、電気に明るくない私には分からない部分ですが。
蓄電池は、夜間稼働も賄うのなら必要になります。
電圧、電流の安定化の為にも利用したりします。
とにかく、作って作って売りまくれば、ある程度費用が下がりますし、普及する引き金になります。
そう言う流れを作り出してしまう事が大切でしょう。そう言うきっかけに補助金とか利用数rべきでしょうね。
快適でありながらエネルギー消費の少ない生活をするためには、あきらめなければいけない便利さもあるのだろうと思います。