老いの途中で・・・

人生という“旅”は自分でゴールを設定できない旅。
“老い”を身近に感じつつ、近況や色々な思いを記します。

ルール その2 「挨拶」

2016年01月05日 22時32分44秒 | その他
 私の理解としては、「挨拶」とは“同じ目的・活動やその場を共有する人に対して、親愛や連帯の気持を表わす動作・言葉・文面など”で、社会生活の基本的な最小限のルール、或いは人間としての触れ合いの基礎だと思っています。

 他の動物、特に哺乳類動物の多くも、仲間(群れだけでなく、関わりのある動物)へのコミュニケーションとして色々な触れ合いをしています。
みだりにスキンシップが取れない人間相互では、例え口に出せない場合や言葉が通じ無い時でも、笑顔や何らかのゼスチャーでもOK、要するに相手に何らかの繋がりの意思表示する手段ではないでしょうか。
この意味では、「挨拶」は、先日紹介したルール“人に迷惑をかけるな”と違って、障がい者も含め殆ど全ての人が何らかの対応が可能だし、上下の地位など関係なく対応すべきルールではないでしょうか。

 しかし、残念ながらこのルールを守れない人が増えた様な気がします。
色々な場で何度も顔を合わすのに、これが出来ない人が結構います。
私は相手が障がい者でないと判っている場合は、どのような場合も最低3回はこちらから挨拶を送りますが、それでも相手から返礼が無い場合は、残念ながらこの人は「他人との関わりを好んでいない」「少なくとも、私との連帯は望んでいない」と判断して、その後は仲間或いは繋がりとしては位置付けない様にしています。

 人には色々な性格や過去があり、挨拶をしない/できない、それなりの背景があるのかも知れませんし、その意味では、私のやり方は非常に心が狭く意固地な性格だとも思います。
できればそこまで踏み込んで判断すべきかと思いますが、他人との付き合いではある程度の線引きも必要かと思っており、残念ながら現在の私の判断基準はこの程度です。

 先日のTVで、自分の子供に剣道や空手を習わせる親が多くなったとのニュースがありましたが、その目的の多くが「挨拶・礼儀が自然に身に付く」でした。
実際、私が通っているスポーツジムでは子供を対象にした空手教室があり、沢山の子供たちが習っていますが、私が感心するのは指導者の態度です。
日常の挨拶だけでなく、稽古終了後ロッカーに戻ると、生徒たちがいない場所でも、チャンと床に正座し胴衣をきちんと畳んでおられる姿です。
このような先生に教われば、子供たちも技だけでなく色々な礼儀が自然に身について行くのでしょう。(まさ)