老いの途中で・・・

人生という“旅”は自分でゴールを設定できない旅。
“老い”を身近に感じつつ、近況や色々な思いを記します。

根尾の淡墨桜と華厳寺  その③ ~華厳寺~

2019年04月05日 20時18分24秒 | 旅行/色々な風景
 根尾谷の淡墨桜を楽しんだ後、もう一つの目的地である華厳寺に向いました。

 華厳寺(けごんじ)は、岐阜県揖斐郡揖斐川町谷汲徳積にある天台宗の寺院で、山号は谷汲山(たにぐみさん)といいます。西国三十三所霊場の札所寺院では唯一近畿地方以外にあり、西国三十三所霊場の第三十三番札所、満願結願の寺院で桜、紅葉の名所としても知られています。

 寺伝に拠ると、延暦17年(798年)に会津黒河郷の豪族大口大領なる人物によって創建されたということですが、延暦20年(801年)に桓武天皇の勅願寺となり、延喜17年(917年)には醍醐天皇が「谷汲山」の山号と「華厳寺」の扁額を下賜。天慶7年(944年)には朱雀天皇が鎮護国家の道場として当寺を勅願所に定めたといわれています。
また、「谷汲山」という山号については、寺付近の谷から油が湧き出し、仏前の灯明用の油が汲めども尽きなかったことに由来するようです。

 西国三十三所霊場の中興者と伝承される花山法皇は徒歩で巡幸し、当寺を第三十三番札所の満願所と定め、禅衣(笈摺)、杖、及び三首の御詠歌を奉納したと伝え、鎌倉時代には後白河法皇が花山法皇の跡を慕って同行千有余人を従えて巡幸したということです。


 私たちも昨年から始めた西国三十三所霊場の締めくくりとして、何とかこの寺院にはお参りしたいと思い、このツアーに申し込みました。

 しかし、今回のツアーは桜見物がメインで、寺院巡りではないので、この華厳寺では皆さん期待の参道の桜が2~3分咲きで、しかも小雨が降っているという事で自由散策の時間はわずか40分程度しかありませんでした。

 こちらとしては何とかお参りをしたいという気持が強かったので、人影も少ない参道を傘をさしながら急ぎ足で寺院を目指しました。

 約900m近く歩いてやっと仁王門に着きました。
幸いにもこの頃には雨も上がり、傘の出番はなくなりましたが、ここから本堂まではきつい石段もあり、本堂に辿りついた時には汗をかいていました。

 いざ満願のお経を上げようとすると、納め札を入れる箱が見当たらず、良く聞くと少し裏手に満願堂というのがあり、そこが満願のお参り場所ということでした。

 急いで本堂の横から満願堂に向い、無事に満願の読経を済ませることができました。
時計を見ると、時間的には余裕があったので、駐車場まではゆっくりと帰ることにしましたが、気付くと満願堂と本堂の間に、おいずる堂(笈摺堂)という小堂があって、西国三十三所巡礼を終えた人々が奉納した笈摺(※)、杖、更に朱印帳や多数の千羽鶴が奉納されていて、さすがに満願寺という感じがしました。

 ※ 笈摺(おいずる)は巡礼者が来ている半纏状の白衣のことです。
また、千羽鶴は折鶴(おりつる)が笈摺(おいづる)にちなむことから奉納されているようです。


 それ程熱心な巡礼者ではない我々はこの笈摺も着ず、朱院帳も持たないまま、自己の都合のつくままに三十三ヶ所巡りをしました。
しかし、ここへの参拝で、昨年度から始めた我が家の西国三十三所霊場巡りも何とか無事に終了することになり、気分的には一区切りがついたという所です。


 その後、垂井町にある相川水辺公園に立ち寄りました。
まだ桜の開花は本格的でなく、名物のコイノボリも夕暮れ近くで見えにくく、何よりも川沿いでは伊吹降ろし寒風が厳しいので、直ぐにバスに引き返し、関ヶ原近くのレストランで食事の後帰阪しました。
因みに、この相川は伊吹山が源で、木曽川に注ぐ川です。


 今年最初の桜ツアーでしたが、希望していた個所は全部回れましたし、桜も見ることが出来ました。
結果OKというツアーでした。(まさ)

<華厳寺>

雨の中の参道

桜はまだ2~3分咲きというところで、人影も余りないです

仁王門に到着

仁王門前の寺碑

仁王門にある大きな草鞋

境内を本堂に急ぐ

本堂前にはきつい石段が

本堂に近づく

上から見下ろすとキツイ石段です

本堂横の石碑

本堂内

おいずる堂

満願堂

満願堂横の大タヌキ。「満願帳」を下げています

こちらにはタヌキの群れ

<相川水辺公園>

一部のサクラは良く咲いていますが、他はまだチラホラ咲きという所です

川に掛かる沢山のコイノボリ

同上

晴れた日にはこのように見えるようです(「観るナビ」より)