老いの途中で・・・

人生という“旅”は自分でゴールを設定できない旅。
“老い”を身近に感じつつ、近況や色々な思いを記します。

年金問題の馬鹿らしさ 

2019年06月21日 20時26分14秒 | 高齢化社会での生活・終括・社会保障など
 最近の紙面並びにTVで大きく取り上げられている問題は、年金に関して“2000万円(或いは、3000万円)不足!”というセンセーショナルな話題です。

 事の発端は金融審議会の市場WG(ワーキンググループ)の試算によれば、「高齢化に伴い、30年間で約2000万円が必要」となったことに対して、政府は「政策スタンスと異なっている」と激怒し、担当の金融担当相はこの報告書の受理を拒否したということにあります。

 この担当相は財務大臣と副総理をも兼任する、例の馬鹿大臣で、相変わらずの国民感情や国民の生活実態などをサラサラ理解しようとしない態度で、このような人が依然として内閣の中枢に大きな顔でいられること自体が現内閣の体質を象徴しており、取り上げるのさえ嫌になりますが、ことは我々高齢者にも深く関わることですので、触れないわけにはいかないでしょう。


 “2000万円不足”の真偽というか実態は、専門家に更に詳しく分析して頂くとして、今回の問題で明らかになったのは、政府が今迄曖昧にしていた年金の実態でしょう。

◆“100年安全”とは?
・2004年の年金改革に伴い、政府は“この法案で年金は100年安全”を謳い文句にし、あたかも人生100年時代を支える安心の年金制度であると誤解させるような説明をし、マスコミの多くもこのような見出しを前面に出して年金問題を取り上げました。

・この結果、年金を頼りにしている国民の殆どは、この制度が出来れば、“100年間は現在の年金制度が維持されて、間違いなく貰える”ということを期待したでしょう。

・しかし、今回明らかになったのは、「100年安全」の真実で、これは年金受給の国民に対してではなく、政府側の年金財政であったということです。

 即ち、「マクロ経済スライド」とかいう一見経済の変動に合わせて年金額も変動させる様な印象を与える制度により、実際は現役世代の減少や平均余命の伸びに合わせ、給付額を自動で調整する(即ち、年金を減らす)ことで年金財政を100年安心出来るものにしようという年金制度だったということです。

 即ち、報告書を受け取る、受取らないというのは些細なことで、この法律による「100年安心プラン」の安心は国の安心であって、生活者の安心ではないということを、施政者は正直に語らなければならないでしょう。

◆正に、某首相が都合の悪い時に良く使う“印象操作”によって、国民の多くが自分の首を絞める年金制度を容認したという事です。

 この2004年の首相は小泉さんですが、福島原発の事故に際しては自分の知識不足と原発推進に対する政府の姿勢を反省して反原発の方向に切りをされた小泉さんですが、この年金問題に対する見解も聞いてみたいものです。

◆更に、5年に1度出されることになっている年金の財政検証ですが、本来は今年6月に出すべきものが、参院選があるためか先延ばしされています。
 今公表すると、何か都合の悪い事でもあるのと勘繰りたくなりますが、是非とも選挙前に実態を明らかにして国民の投票判断資料に資す事が、民主主義国家の採るべき姿勢でしょう。(まさ)

  ※この項は毎日新聞/日本経済新聞のデジタル版、WIKIPEDIA、更に国民民主党の玉木雄一郎氏のご意見などを参考にさせていただきました。