老いの途中で・・・

人生という“旅”は自分でゴールを設定できない旅。
“老い”を身近に感じつつ、近況や色々な思いを記します。

空堀(からほり)商店街

2019年04月25日 19時43分06秒 | 旅行/色々な風景
 最近の好天気続きで、家の中に閉じこもるのには抵抗があり、出来る限りあちこちと出掛けていますが、先日は予てから行きたかった、大阪市中央区で東西方向に、松屋町筋から谷町筋を経て上町筋まで、約800mつづく昔からの商店街である空堀商店街に出かけました。

 どのルートで行くか迷ったのですが、地下鉄で松屋町駅まで行き、松屋町筋を少し南に向ってから空堀商店街に入るコースを選びました。

 松屋町筋は大阪人なら人形屋のある町として有名で、大阪の人は大抵“マッチャマチ”と発音するのですが、地下鉄の駅名表示には“まつやまちMatsuyamachi ”とあり少し違和感がありましたが、地上に上がり松屋町筋に出るとちゃんと“まっちゃまち”との表示があり一安心。

 直ぐ近くにある、空堀商店街の入口からは、上町台地に向って緩やかな登り坂ですが、殆どがアーケードに覆われている快適な商店街で、所々にレトロな建物が残ってはいますが、多の商店街と同様にシャッターが降りた店も結構目立ちました。

 この商店街は、かっての大坂冬の陣後に埋め立てられた大坂城南惣構(みなみそうがまえ)堀の遺構である空堀通の西半分で、現在でもあちこちで昔の石垣が出土したり、商店街に面した店舗が建物の2F部分というケースも多いようです。

 不思議だったのは、この商店街の呼び方というか、キャッチフレーズが次々と変ることです。
まず、西側入口では単に「からほり商店街」となっているのですが、東に行き谷町筋に出て振り返ると「はいからほり 空堀商店街」となっており、更に谷町筋から更に東側の入口には「空(ろまん街道)堀」という表示の下に「空堀ど~り商店街」とあるのです。
 更に、少し東側のアーケードの終る辺りには単に「空堀ど~り商店街」とありました。

何か、纏まりのない商店街という印象がどこかに残りました。(まさ)


松屋町筋の商店街の表示。「まっちゃまち」となっていました。

空堀商店街の西側入口。「からほり商店街」

アーケードのある坂道の商店街です

谷町筋から空堀商店街の西方向への入口。「はいからほり 空堀商店街」

谷町筋から空堀商店街の東方向への入口。「空(ろまん街道)堀」と「空堀ど~り商店街」

商店街東側の表示。「空堀ど~り商店街」

近くで見かけた、消火栓のマンホール。このデザインは初めて目にしました。

クレマチス/テッセン/カザグルマ 

2019年04月24日 20時01分10秒 | 自宅の様子(ベランダ/室内園芸)
 先日から蕾が大きくなっていた我が家のクレマチス(キンポウゲ科)が今朝は見事に咲いていました。
もう10年ほど同じ鉢に植えっぱなしですが、毎年律義に花を咲かせてくれます。
秋からは、葉も落ちて枯れた様な状態になるのですが、本当に強い植物です。

 所で、このクレマチスについては、ヨーロッパの園芸品種で、日本にはテッセンと呼ばれる在来種がありますし、またカザグルマと言われる種類もあり、共にツル性植物ですが、この区別が判りませんでした。

 調べてみましたが、色々な記載がありどれが正しいのか判りにくいのですが、
「クレマチスとテッセンの違いって?(https://ameblo.jp/myfairlady-flowers/entry-12163883054.html)」などを参考にしてまとめてみると、

テッセン:元々は中国の野山に自生していたもので、花弁6枚
尚、テッセンという名は、そのつるが鉄のように固いということで「鉄線」と呼ばれるとのことです。

カザグルマ:日本に野山に自生していたもので、花弁は8枚のものが多い

 そして、これらを海外で園芸用に交配したものが「クレマチス」と呼ばれているので、花びらが4/6/8枚のもの、或いは八重のものがあったり、花の形がベル型のものがあったりと色々な種類があります。


我が家で咲いたクレマチス

同上アップ

テッセン(WIKIPEDIAより)

カザグルマ(WIKIPEDIAより)

1960年代最後を飾った女性アングラ・ソング歌手 

2019年04月23日 20時16分09秒 | その他
 先日、「フランシーヌの場合」について書き込んでいると、その時代に私が親しんだ色々なフォーク・ソングというか、どちらかといえば当時はアングラ・ソングという呼び方が相応しい女性歌手のことを思い出しました。

 というよりは、記憶力の弱さは自他共に認める私のこと、大部分はWIKIPEDIAに頼りましたが下記の3人は特に印象に残っています。

 若い方は殆どご存知ないでしょうが、彼女たちが当時歌っていた歌は、今時のチャラチャラした内容とは全く違って、グッと突き刺さるもので、我々世代には忘れる事が出来ない歌手ですし、後の尾崎豊に通じるところがあると思っています。

<カルメン・マキ>
 アイルランド人とユダヤ人の血を引くアメリカ人の父と日本人の母との間に神奈川県鎌倉市で生まれ1968年に寺山修司が主宰していた劇団「天井桟敷」に入団。

 翌1969年に「時には母のない子のように」(作詞:寺山修司、作曲:田中未知)でデビュー。17歳とは思えないその妖艶な雰囲気と歌唱力で人気を集めましたが、その後はジャズの世界に転身され、未だに元気で活動中の由です。

<浅川マキ>
 先にふれた新谷のり子と上述のカルメン・マキと共に、アングラ・ソングの代表として数多くの歌を発表したのは浅川マキです。

 1968年、寺山修司と寺本幸司に見出され新宿のアンダー・グラウンド・シアター「蠍座」で初のワンマン公演を三日間にわたって催行して、脚光を浴びたのがデビューのようです。

 私は、少しハスキーな声で“渇いたブルース”と評される彼女の歌が大好きで、レコードを持っていましたし、ライブにも行ったことがあります。

 代表作は、「夜が明けたら」「かもめ」「ちっちゃな時から」「裏窓」などです。

 2010年1月17日、ライブ公演で愛知県名古屋市に滞在中、宿泊先のホテルで急性心不全で亡くなられたようです。

<藤 圭子>
 それと、もう一人、少し系統は違いますが、この時期に現れた藤圭子も強く印象に残っています。

 藤圭子といってもご存知の無い方が多いかも知れませんが、宇多田ヒカルの母親、或いは前川清と結婚歴ある人、或いはその後再婚した宇多田照實とは都合7回の離婚・再婚を繰り返した人と言った方が判り易いかも知れません。

 その藤圭子が歌い、1969年に発売された「圭子の夢は夜ひらく」(石坂まさを作詞・曽根幸明作曲)は、ハスキーヴォイスと虚無的な美貌とが,大学紛争や1970年安保闘争で騒然とする世相の中で若者を中心に受け入れられました。

 2013年8月22日、東京都のマンションの前で倒れているのが発見され、飛び降り自殺を図ったと断定されたようです。


 お二人に合掌ですが、先日触れた新谷のり子と併せて、この4名のデビューが何れも1968~9年というのは、この時代が生み出した歌手ということでしょうか。(まさ)

久しぶりに綺麗なお月さま…

2019年04月22日 20時42分54秒 | ツレアイのこと
(今日は2本目の書き込みです)

昨夜、寝る前にベランダから空を見上げると、満丸に近いお月さんが見られました。

雲の為か少し赤味がかっており、思わずシャッターを押しました。
明る過ぎなかった為か、いつもの写真よりクレーターなどがはっきり写っているように思いました。
月齢は16位でしょう。(まさ)


初夏の団地で見かけた花たち

2019年04月22日 20時21分35秒 | 散歩中に見かけた風景
 この時期は、日毎に新しい花が開花するので、散歩が非常に楽しみです。

 先日は、団地内の少し珍しい花類を紹介しましたが、今日はこの数日に団地で見かけた毎年馴染みの花たちを紹介しましょう。(まさ)


シロヤマブキ(バラ科)これは実ができます

ヤエヤマブキ(バラ科)これは実ができません

アジュガ

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アマドコロ(ユリ科)

スミレ どこからか野生種が混じり込んだのでしょう

ツルニチニチソウ(キョウチクトウ科)

コデマリ(バラ科)

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ハナズオウ(マメ科)

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アリアケカズラ(キョウチクトウ科)

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モチノキ(モチノキ科)

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ウマノアシガタ(キンポウゲ科)

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ドウダンツツジ

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