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まんまるログ

融通性か?和・洋・中・無国籍・ジャンクとなんでも食べる胃袋と脳みそ。

悪魔を見た

2014年09月22日 | 映画
韓国映画『悪魔を見た』のアメリカ版リメイクが本格始動!
2014年9月22日 韓国映画『悪魔を見た』の米版リメイクが本格始動!
『悪魔を見た』キム・ジウン監督、イ・ビョンホン、チェ・ミンシク共演の韓国映画『悪魔を見た』
アメリカ版リメイク作品の、監督と脚本家が決定したことがわかった。

婚約者を惨殺された捜査官スヒョン(イ・ビョンホン)が、犯人の連続殺人鬼ギョンチョル(チェ・ミンシク)を捕まえる。
しかしとどめを刺さずに残虐な制裁を加えていく〈復讐劇〉
2010年の韓国映画を見た。
あらすじはともかく、主役のビョンホンよりも悪役のチェ・ミンスクの存在感が圧倒的。
これほどの存在感が出せる日本俳優はいるだろうか。

生前の緒方健でも無理だと思われる。
[復讐するは我にあり][鬼畜]…なまぬるい。
やはり、島国の遺伝子かな?
とほほほほって感じがする。
脱帽である。

気味の悪さ。汚さ。えげつない卑しさ。心魂の貧しさ。滓ったらしさ。残酷さ。
全てを併せ持って漂い出ている凄み。
人間の持つ生暖かさ。
お前は人間じゃない。屑の中の屑なんだぜ。
しかし、生の温さが感じられる。
そんな性格の役柄をそうそう演じきれるものではない。
その醜さと汚さに感動する。

「悪魔を見た」は…そんな映画だったのだが、おすすめ出来ない映画でもあった。

チェ・ミンシクは韓国を代表する俳優で、「オールド・ボーイ」が代表作。
人の好いおっちゃん…変貌していくさまを演じている。

イ・ビョンホンは説明はいらないほどの人気スターである。
エリートの残酷を演じる。
演技しているというほどの上手さが感じられない。
そこが持ち味とも言えるのがさすが。
何を演ってもイ・ビョンホンなんだけど…妙に納得する。

日本映画の極めの細かさという所は、技術力の確かさとか…侘び、寂のあじわいとか言われる所だと思うし…

否定できない良さでもある。

只、臭いところに蓋というのがお国柄で、世界の〝黒沢〟でも室町以来の楔…蓋ははずせない。
そういう部分…〈文化の成熟〉を破壊できる表現力というところでは韓国の監督のほうがいや勝る。
吸引力という部分での話だが…

つくづくそう思った映画であった。


つるが岩に張り付いている。

長きに渡ってほったらかしていた結果である。

結構風情があるよね。

無作為もいいか。















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ホビット…竜に奪われた王国

2014年09月16日 | 映画
ホビット…第2章を見て感想を書こうとしたら文字入力ができなくなった。

パソコン本体の不具合かも…マウスのせいかも…はたまたキーボードの電池か?
電話で相談。
出張するにも状態把握。
ちょっとシフトキーで調整してみて…タスクバーの表示ってどうなってます。
オーエスは解りますか?
シフトキー  眼鏡 メガネ。 キーボードのカーボン ???タスクバー 画面下の帯 帯。
スムーズには進まない。
説明書もパソコン本体に組み込まれている。
「昭和は良かった。分厚い説明書を読んで安心できた。」
解らないと言う安心感ですら今は持てない。
パソコンに向かう作業そのものが、竜に奪われた王国さながらでカオス(混沌)と無秩序の間を行きつ戻りつ。
近間の友人は稲刈りの真最中で、相談するのもはばかられる。
合歓さんはいないも同然。
頼りにならない。

隣のお寺の住職がキーボード片手にやってきて…カタカタカタカタカタ。
神の右手、左手も又。カタカタカタ…カタ。
「スタイリッシュなキーボードはカーボンがつまりやすい。
この家は薪ストーブの煤もつまりの原因になりますよ」
「出来る」御坊様であった。
ボーっとゆるんだ暮らしの中では ちょっとした事でも小骨のようにひっかかる。
ひっかかりがポロリととれる説明で納得。


ホビット庄(ホビット⇒小人族の村)は平和でのどか。緊張感のなさはうちらのと一緒。
緑豊かで畑は肥えている。色とりどりの花が咲き乱れ、穀物倉庫には小麦。ライ麦。大麦で作ったパン。
貯蔵庫はチーズ、ソーセージ、ジャーキー、ブラックべリーや杏のジャム、地下にはワイン倉。
主人公のビルボ・バギンスは満ち足りている。
その気はないのに冒険の世界に踏み出す。
ガンダルフという先導者に手を引かれて。

ヒーローでもない。普通でもない。(ホビット族だもの) 剣も弓も使った事がない。
特筆すべきはない。平和を愛する種族ホビットというだけ。
そんなビルボが主人公だからこの物語は 時代を超えて人を魅了するのかも知れない。

ホビットの世界は日々の工夫がいっぱいある。
山葡萄のつるは小物入れ。その実はお酒。
丸い玄関。風も日差しも入る窓。
樫の木のテーブルと椅子。手作りのクッション。ベッドカバーも暖かい。

現状維持は安心できる。
この世界…自分の世界が壊れる恐怖には耐えられない。
見ようとしないで無意識にネグレクトしている現実がある。
J・R・R・トールキンによる長編小説。「ホビットの冒険」「指輪物語」
妖精や魔法使いが国家を築き、戦争を繰り広げる架空の世界を舞台としたファンタジーは私の心の澱をかきまわす。

映画〝ホビット〟の最終章は来年の春になるのか、夏になるのか。

ホビット庄だけが平和ではいられない。

世界は厭も否も応もなく繋がっている。

























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悪の法則

2014年08月27日 | 映画
悪の法則をDVDで見た。

評判だった。
賛否両論だった。(否の法が多かったが評判には違いない)

豪華キャストだった。

(カウンセラー・弁護士) マイケル・ファスベンダー。
若く有能な弁護士。恋人ローラに贈るダイヤのエンゲージリングの為に軽い気持ちで麻薬ビジネスに手を出す。
( ローラ) ペネロペ・クルス。
カウンセラーを心から愛している純真で知性的な女性。
(マルキナ)キャメロン・ディアス
元ダンサーでライナーの愛人。
ミステリアスな女性で、道徳心が欠落。
二匹のチータがペットで荒野で野うさぎ狩りをさせるのが趣味。
(ライナー) ハビエル・バルデム。
カウンセラーの友人でレストランやナイトクラブなどの経営で成功している実業家。
派手好きで、ガラス張りの豪邸にマルキナと住んでいる。
カウンセラーとナイトクラブを共同経営するつもり。その前に彼と共に麻薬ビジネスを始める。
(ウェストリー) ブラッド・ピット。
麻薬ビジネスのブローカーで、ライナーとは旧知の仲。
冷静な男で裏社会を知り尽くしており、カウンセラーに、麻薬ビジネスの危険性を話し警告する。
最後は凄惨な死。
(宝石商)ブルーノ・ガンツ。
アムステルダムで宝石商を営んでいる男性。
ドイツの名優が三分(もっとすくないかも)だけ主演。
とにかく、豪華な主演陣。

原作…コーマック・マッカーシー。
脚本も同じ。
監督…リドリー・スコット。

全員が主演級の俳優だが自分のイメージの「境界」を崩しているのは凄い…と思う。
セリフ(会話)が哲学的で奥行きがある。
警告に似た言葉や風刺や個々の韜晦。

絶対悪が主題だと思うのである。
不道徳。無秩序。容赦ない死。

キャメロン・ディアスが演じている(マルキナ)はその化身。
(マルキナ)の背景は国がらみで巨額が動く麻薬ビジネスの闇。

目の前にテロの犠牲者がいても心が動かない。
コーヒーのカップが割れた程度の感覚。
感情が凍って心にヒダと言うものがない。

野うさぎを追いかけるチータの様にハンターの本能のみ。
禍々しい本能のみ。
本物の悪。絶対の悪。
食物連鎖の頂点にいる肉食獣。
動物とは違う退屈しのぎで、弄ぶ獲物を絶えず探す人生。
原子本能のような欲。ゴージャスで冷酷。
悪の怪物はキャメロン・ディアス。嵌っていた。

ディアス以外は全員救われない。
二人は凄惨な死。一人は絶望だけが残る人生。もう一人は物事を深く考えられない。脳が溶けているようで先は暗い。

人間の闇をあぶりだす名手。原作コーマック・マッカシーだと思って見たのだが。
「ノーカントリー」とは比べられない。

安息のコーヒーを飲むことにする。










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映画は映画だ‥は映画だ

2014年08月23日 | 映画
二日前、今夏…初のアブラゼミの鳴き声を聞いた。
牛肉の少ない…野菜と豆腐だけのすき焼きのようにわびしい…ジージーという声。
昨日は、朝の内晴れ間…すぐ小雨。
昼食後少し晴れ間のち曇り。

中国地方…安芸(広島)には非情の豪雨…土砂災害で捜索活動が続いている。

列島の半分が無情の雨に流されていく夏。
北日本、西日本…半分ではない。青森も北海道も…豪雨と雷と土砂崩れ。

今日は晴れ間に山の端にある神社まで。
神さまにお願いする。
どうか、これ以上災害がおきる事の無いように…異常な降雨が治まるように。
湿度が高く、ジミッと右腕が痛む。
右手首が腫れてきた。

友人に進められた映画を見る。

カン・ジファンとソ・ジソブのWスターが主演している。
二人ともトップスターで人気がある。
〝映画は映画だ〟
ぼそぼそと呟きが洩れる様なセリフのジソブはモデル出身。
マスク ルックスはいい。見栄えはする。
御世辞にも演技が巧いとは思えない。
ヤクザのガンペを演じている。

カン・ジファンは好漢でとなりのお兄さんという雰囲気。
映画俳優スタを演じる。
スターのスタ。傲慢なスタ。
ヤクザのように乱暴でちゃらい映画俳優(スタ)と俳優になりたかったヤクザ(ガンペ)。
出会うはずもなく人世が交差する事などない。
そんな2人がひょんな事から映画で共演することになる。

ソ・ジソブのぼそぼそと口ごもる感じのセリフがすごく良かった。
暗い表情と沈んだ雰囲気もいい。

映画の中で映画の撮影をする。
劇中劇ではなく、映画中映画。
なぐり合うシーン。
一人はアクション俳優で一人はヤクザである…殴り合いは得意技。
二人の絡み具合が面白い。
なぐり合いばかりが続く。

人気も半端。演技も半端なちゃらい俳優スタが暴力シーンで真剣に身体を張るようになる。

ガンペの迫力に押されて変化していくスタの表情がいい。

ガンペの渾身の助演で映画撮影は緊迫感をもって終わる。

そしてラストシーン

撮影(フィクション)が終わったガンベは自分の世界に(やくざの落とし前)をつけにいく。
ガンペの現実(ノン・フィクション)酷い暴力、容赦のないすさまじい殺人を目撃するスタ。

パトカーーの中、返り血を浴びたガンペの酷薄な薄笑い。
呆然とたちつくすスタの横顔。
そしてエンドロール。

二人の俳優に魅力がある。
韓国の俳優は上手い。表情の下地が出来ている。
ハンサムなだけではないジソブ。好感度だけではないジファン。
お世辞ではなく…演技ができている…思う。

鬼才キム・ギドクが製作、監督はギドク作品の助監督を経験してきた新星チャン・フン。

映画の概念を映画の中で毀す。

超(メタ)映画でありました。

夕方 西の空が茜色。

明日は爽快に晴れる。きっと。
















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キム・ギドク…尊敬する監督

2014年08月08日 | 映画
日本という一見平等な社会に住んできた私。
外国人や被差別に対する差別はあるにはある…が。
私の事として感じる事はなかった。
「差別はいけない」「相手の立場を重んじなければいけない」
「同じ人間です。平等に接するのが礼儀だと思う」
私のスタンスであった。
露骨な差別をする人なぞ周りにいなかった。
いないのだから、存在していないと同じという事…になる。
希(まれ)にいても、無知な人か…下品な人達であったし…付き合う必要がなかった。

しかし…私以外でも多くの日本人は、社会的な立場や階級についてほとんど自覚がないと思うのである。

私が差別を自覚し始めたのは30代の頃…合歓さんと住み始めてからで…それもうっすらと…かすかに…弱い自覚であった。
今…現在もうっすらの呆けた状態で暮らしている。
時々スイッチが入って、合歓さん相手に怒りちらすが害はない。…そう思っている。
田舎の生活は平和である。

ところが、お隣の韓国という国は未だに階級社会的が色濃く残っている様に感じる。
この事は、歴史と関係があると思う。朝鮮王朝500年。
両班(武官と文官)との間に良民、中人(常人)。の下に(6段階の職種)があった。
もとに分けられる。
特権階級の両班も地方と都市では異なる。田舎者は軽蔑される…都市(みやこ)よりは低く見られる。
両班の上には王族が存在する。
王族にも階級がある。
日本の二倍強ほどの階級制が存在しているのである。
加えて大戦の後の日帝時代。
朝鮮戦争で南北分断。
朴政権(独裁で軍事政権)
国民の遺伝子の中に階級制度がスティグマとして刷り込まれていても何の不思議もない。

何よりも、大学進学率が75%という大変な学歴社会である。
ほとんどの俳優や映画監督が大学を出ているという国は他にはない…と思うよ。

キム・ギドク監督のファンには今更と思うが…書いておく。
彼は家が貧しく小学校しか卒業できずに終わる。
15歳からは工場で働き(嘆きのピエタ)の舞台である町工場がリアルであるのはその経験があるからこそである。
その後志願兵として海兵隊に入り5年間兵士として過ごした。
見事に軍隊生活に馴染んでいた…という同僚の談話がある。
軍隊生活の過酷さは良く聞く(人間が壊れそうで逃げたという話も多い)
それに馴染むというのは強靭な精神と体力の持ち主というしかない。
家の貧しさから見れば屁でも無かったのかもしれない。(三度の食事の有難さ)
当たり前の事が彼の生活には無かったのかも知れないのであるから。

四作品をみたが、社会的な疎外感と、階級制度に対する激しい憎悪。反骨。
この監督の作品すべてから強く感じる。

どんな環境で生まれてきた人間も、幸せになる権利がある。
人は人を愛する事が出来る。人に愛される資格がある…彼の映画はその事を悲しいほどに訴えてくる。
暴力に歪む顔…で。
あるいは自らの自傷行為で。あるいは整形手術で顔を変えて。

「春夏秋冬…そして春」キム・ギドク監督、主演もしている…美しい風景に色彩られた映画だった。
感覚で撮っているとしか思えない。
深い山の中にある湖。湖の中ほどに庵がある。老僧と子坊主が二人で住んでいる。
詩情あふれる映像美。

...生命のはじまり。
業:いたずら好きの子坊主,殺生の業を始める。
...渇望。
欲望:愛に目覚める青年(療養の為、庵を訪れた娘に恋をする)
...執着。
恨み:恋の病の青年が庵をでる。罪を犯した中年に変わる…庵にもどる。
老僧に諭され、庵の床に般若信教を掘る。
...色即是空。
人世は空…罪を償い中高年の年齢で廃虚になった山寺へ戻った男。
老僧は死んでいない。氷の仏像を創り…冬の山寺。心身を修練して過ごす。
寺を訪れた女が<素性を隠すために顔に麻布をまいている>幼児を残して去る。
捨て去るのである。

そして再びの春...幼子は子坊主になっている。…再び殺生の業が始まる。

人間の業を四季の風景の中で描いている。

映像は芸術的である。

季節は冬…壮年の僧を演じるギドク監督は見事な肉体の持ち主だ。
無駄のない筋肉は彫刻の様に美しい。
芸術である。

「休を動かして働き、生み出したものだけに価値がある。文化というものは余裕と贅沢の産物に過ぎない」
彼の映画の登場人物は正道を歩いていない、もしくは歩けない人間が多い。
演じる俳優達は皆巧い。
俳優の演技を引き出して別の人格に変容させるのは監督の力である。

人間の“心…こころ”と“身体…からだ”は切り離すことができないモノとしてある。

で、反対に言葉は厄介で誤解を生む基であるし、伝えたい事がきちんと伝わらない事の方が多いのも事実。
心情とは対立する物として存在する側面をもつ。

何を書きたいのか解らなくなってきた…それも言葉だからである。
不自由な言葉で…それでも書く。

ギドク監督を知ってから、前以上に韓国映画を見るようになった。

人の世が深くなっていく。



































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