まんまるログ

融通性か?和・洋・中・無国籍・ジャンクとなんでも食べる胃袋と脳みそ。

続きの話‥不条理な関係

2016年10月29日 | 日記

“不条理はひとを自由にしない。
それはひとを縛るである”

(アルベール・カミュ)

不条理な関係は自分を縛る”

それは何故か。

不条理が理解できるほどの脳がないためなのか。

しがらみと言う糸で脳みそがきりきり縛り上げられる。
結果脳細胞が実存という思考のほうへ動いていかない‥

目先の事“日常”の些少時でいっぱいいっぱいで‥気が付いた時は棺桶の手前。

そんな自分に嫌気がさして‥殊更に「不条理だ」と言葉だけを言い募っているのが私という‥私、わたしと言い募る者でもある。


カミュの言葉は代表作“異邦人”の中で主人公ムルソーが体現している。

母の葬式のために養老院を訪れたムルソーは、涙を流す事もなく特に感情を示さなかった。

葬式の翌日、たまたま出会った旧知の女性と関係を持つ。
普段と変わらない生活を送るが、ある日トラブルに巻き込まれ、アラブ人を射殺してしまう。
ムルソーは逮捕され、裁判にかけられることになった。
裁判では、母親が死んでから‥普段と変わらない行動を問題視される。
人間味のかけらもない冷酷な人間であると糾弾される。
彼の殺人の動機をは「太陽が眩しかったから」なのである。
死刑を宣告されたムルソーは、懺悔を促す司祭を監獄から追い出す。
死刑の際に「人々から罵声を浴びせられること」を人生最後の希望にする。

真(まこと)に不条理極まれる小説であったのだ。

 夕食の食材

何事も原因と結果は繋がっている。

妥協したり 忘れたり 愛想笑いですぎたり‥ぬるい生活の中では筋が通ることなどなくても‥

道理からはずれても‥差し迫って逃げ出すこともない。

ボブ・ディランのノーベル文学賞も日本シリーズも夕食の支度も日常。

今日は秋晴れのいい一日。

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不条理な関係

2016年10月25日 | 日記
(合歓)ネムさんと私の関係は不条理である。

筋道が通らない。
道理にあわない。

子供を育てる義務を放棄している。
家族という概念が希薄である‥そんな父親。
70才で老人後期高齢者‥になった今も子供の精神のままなのだ。

己を切り刻んで働きずめ‥擦り切れた雑巾のような母親‥それが私。

合歓さんの成育歴(日帝時代のルサンチマン)と遺伝子レベルでの考察とは別に、彼は社会に適応できない。
私にとっては異人種である。
役立たずの芥。ゴミ。
そんな男の子供を産んだ自分自身もゴミ。
そう思い定めなければ‥自分の胎に落としどころを据えなければ‥精神が不安定になる。
私が倒れたら子供が育たない。

(F氏の写真)合歓の土場。

草の中に埋まって錆びついたホッピングの様に。
子供が成人してからも尚‥心を凍てつかせ、錆びつかせるまま。
気の置けない友人の存在だけが助け舟。
愚痴が櫂。
気苦労が船。
痩せた世間は人生の大海原。

体力はもとより、耐久力及び気力にかける、知性よりは情動にひっぱられる私がよくぞ漕いできた。

大海原を‥トホホㇹㇹ。


雑草の中の錆々のホッピングは、写真家の目では被写体‥そして芸術世界。

田んぼに野菜は育たない。稲ですよね。

そんな通り一遍の感想を遥かに凌駕する世界が広がる。

≪不条理はひとを自由にしない。

それはひとを縛るのである≫

アルベール・カミュの言葉の意味がようよう腑におちてきたこの頃。

生きていれば誰でも、可能性は大きく広がっている。

自分があきらめなければ‥途方もない世界が未来でまっているかもしれない。

F氏は写真展を開く夢を持っている。

F氏の写真 合歓の小屋‥窓辺の石

“合歓のウジュ(宇宙)”の主催者F氏の夢は‥叶えられる夢としてすぐそこにある。

各人が不条理の鎖で己じしんを縛っている。

縛りを解き放つのは、自分自身でしかない。
















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アマデウスの絵日記

2016年10月23日 | 日記
10月にはいってからも気忙しい日々が続いている。
今年いっぱいは、個展でお世話になった知人への挨拶と御礼参りで追われる気もする。

貧乏暇なしの我が家である。
経済の底が抜けおちるまえに…なんとか恰好をつけよう…恰好だけでもと思っている。
もとより髪の毛は抜け落ちて皮膚の張りもうしなわれている身で気だけが忙しい。

★ネムのウジュウ(宇宙)

ぼくは、運動会の日の夜、ネムのウジュウという個展のオープニングパーティに来ていた。

ネムさんという人の個展でその人は一年中外で、絵をかいていて、絵がたまると燃やしていた。

不思議な人だ。

70才の発個展だったと言っていた。

個展のふんいきは絵がずらぁ~りならんでいて、どの絵もその絵にすいこまれそうになる。

そこでごはんを食べた。

と中からディジュリドウという楽器の奏者が出てき来て演奏してくれた。

その時 外は雨がふっていてディジュリドウのそう大な大地のうなりのような音がひびきわたる。

そしてネムさんはおどっていた‥‥。

会場は、宇宙とこうしんしているような感じだった。

とにかく不思議だ~

もう一度その時にもどりたい~。

と思ったりもする。

やま代温せんそう湯前でやっていて見るのは無料なので、先生もぜひ見に行ってみてください。★

★~★_線以外は本文のまま。

初日に一枚の絵がうれた。

(一万光年)

小学校五年生のR君がおかあさんにおねだりしていたと聞いた。
噂ではR君は芸術≪陶芸・絵画・版画・彫刻≫お勉強全般‥特に理数‥天才と言われている子なんだそうだ。
今秋‥全国の小学生の中から選ばれた彼の絵はルーブル美術館で展示されている。 

中日(なかび)に見せてもらった彼の絵日記は、個展会場の雰囲気‥
会場に展示されている絵の配置、色合いまでもが繊細で斬新‥絵と日記で見事に表現されていた。

この絵日記の〝文章〟の力に身体をおされながら、個展最終日までなんとかもちこたえた私である。


ありがとう‥10日間の間会場を訪れてくれた256名の皆様へそれだけを言いたい。
また、ありがとうを言うことしかできない。

挨拶回りはこれからもまだまだ続くと思われます。
R君のおかげもあるし、ディジュリドウの奏者拓と‥そしてもう一人の子供。
たくさんの天才に会えた。

天才と言われる人物‥もしくはその言葉に私見はある。
しかし‥私がこの分野で意見を求められることはない。

それは次の機会に。






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