“不条理はひとを自由にしない。
それはひとを縛るである”
(アルベール・カミュ)
不条理な関係は自分を縛る”
それは何故か。
不条理が理解できるほどの脳がないためなのか。
しがらみと言う糸で脳みそがきりきり縛り上げられる。
結果脳細胞が実存という思考のほうへ動いていかない‥
目先の事“日常”の些少時でいっぱいいっぱいで‥気が付いた時は棺桶の手前。
そんな自分に嫌気がさして‥殊更に「不条理だ」と言葉だけを言い募っているのが私という‥私、わたしと言い募る者でもある。
カミュの言葉は代表作“異邦人”の中で主人公ムルソーが体現している。
母の葬式のために養老院を訪れたムルソーは、涙を流す事もなく特に感情を示さなかった。
葬式の翌日、たまたま出会った旧知の女性と関係を持つ。
普段と変わらない生活を送るが、ある日トラブルに巻き込まれ、アラブ人を射殺してしまう。
ムルソーは逮捕され、裁判にかけられることになった。
裁判では、母親が死んでから‥普段と変わらない行動を問題視される。
人間味のかけらもない冷酷な人間であると糾弾される。
彼の殺人の動機をは「太陽が眩しかったから」なのである。
死刑を宣告されたムルソーは、懺悔を促す司祭を監獄から追い出す。
死刑の際に「人々から罵声を浴びせられること」を人生最後の希望にする。
真(まこと)に不条理極まれる小説であったのだ。
夕食の食材
何事も原因と結果は繋がっている。
妥協したり 忘れたり 愛想笑いですぎたり‥ぬるい生活の中では筋が通ることなどなくても‥
道理からはずれても‥差し迫って逃げ出すこともない。
ボブ・ディランのノーベル文学賞も日本シリーズも夕食の支度も日常。
今日は秋晴れのいい一日。