まんまるログ

融通性か?和・洋・中・無国籍・ジャンクとなんでも食べる胃袋と脳みそ。

師走の候

2024年12月05日 | 日記
元旦は地震で始まった。



今もって被災地はこんな感じだ。

近間には仮設住宅が沢山建っている。
全ての仮説が入居者でいっぱいでもない現状なのに、新たに建ち始める場所もあり、混乱している。
ガスの設置や配管工事等…人が足りない。
「ガスメーター時々見といてください」…出入りのガス屋さんから頼まれた。
人手不足でガス搬入がまわらずガス欠になるときもあり…だそうです。

11月に大きな揺れがあり(震度5)表に出ようとするも雷と大雨そして風。
それからさらに小さな揺れが二、三回。

本当に不安ばかりが募る。
今年の雪はどうだろうか。
友人の家はいつ頃建つのだろうか❔

諸物価の値上がりは…体調不調は…考えてもきりがない。

又、小さな揺れがきた。



大した手入れもできず,気が付いたときに水やり、お天気のいい日は表に、悪い時は玄関の中。
それでも咲いたクリスマス・ローズ。

毎日を祈りながら過ごす。
食事もある物で工夫しながら作る。

一日、一日を大切に。

そんな感じの一年が過ぎようとしている。
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徒然なるままに

2024年08月16日 | 日記


ハーブという事で花の名前を聞いてメモした。
そのメモが見当たらない。
記憶にもない。

アリッサム…ではない。
とにかく強靭な花で5か月以上咲いている。

夏の終わりまで…いや秋の終わりまでも持つかもしれない。
強い。。。

地震から七か月以上が過ぎた。

瓦礫は未だに存在している。
一月一日の能登地震発生から変わらずに在る。

在るという感じで、それが日常の風景になっていく。

住民はなかなか日常が取り戻せない…倒壊した家の前では、表情が緩く弛緩していく。
瓦礫と一緒に身体の中の何かが壊れている。
言いようのない思いが胸にある。
塊のように突き上げてくる。
繰り返し襲ってくる感情は焦燥であったり喪失感であったり、疲弊や諦めであったりするのだが……、。

時間とともに気鬱を呼び込む。
壊れたのだ。

棄民政策と言われても、責任政党に見放されても、お国の思惑の外でも‥関係ない。
私は生きている、何が何でも生きていくという気概がなくなってきている。

毀れたのだ。

咲き乱れている花のうえに座る。
グランド・カバーらしい。

名前の通り地面を覆って育つ。
寝っ転がってもどんどん…踏まれてもどんどん、座ってもどんどん増えていく。
小さくて可愛い花だ。
それに強い。

ロンギカウリス・タイムハーブ。
メモが見つかった。

この花の名前だ。
来年も再来年も・どんどん・どんどん・増えていくに違いない。

強い。
励まされている。
有難う。
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地面の下に何かがいる…避難民の告白

2024年03月02日 | 日記
大晦日から元旦は大阪にいた。
元旦の4時00分ごろ…福井の鯖江を過ぎたあたりで車が揺れた。
津波警報が出ているらしい。
高速を下りて…渋滞に巻き込まれた。

警察車両が出てなにやら物々しい。

一般車輌の殆どが路肩で携帯電話を使っている。

能登半島でM7の地震が起きたらしい。
震源地は珠洲市。
友人との会話が突然途切れる。
「やばい やばい 今の大きい…」
その後 輪島 珠洲…どちらも連絡が途絶えた。

金沢までの道程の長い事。
コンビニエンスストアだけが開いている。

後は臨時休業…時間短縮営業。
里山海道が走れない。
陥没、断裂、どちらも…スマホに情報が入る。

通常の二倍以上の時間をかけて(脇道を抜けたり渋滞をかわしたり)して我が家についた。
瓦は落ちているが、家はなんとか立っていてくれた。
ほっと胸をなでおろす。
暗いので様子がつかめない。
家の中は本棚は倒れ、TVはおちています…食器も割れ花瓶も同じく。
とにかく明るくなってから…眠る場所と休むことを最優先。



断水だ。
今の所電気は大丈夫。
食糧もある。
水は山間の霊水がある。
洗濯も川でできる。
取り留めなく考えながら、家の中の片づけで右往左往。
日を追うごとに災害の様相が明らかになってくる。
これは大惨事だ。

震源地が二カ所だと解る。

水を確保すること(生活用水と飲料水)が仕事になる。
友人の殆どが避難所。
その後で二次避難。
水のない我が家には友人も呼べない。



町会の若衆が様子を見に来てくれる。
米と梅干と味噌はあるし…大丈夫やとお互いを励ます。
田舎の山暮らしのいい所。

輪島から金沢に避難したは揺れが起きた時にすぐに家の外に飛び出したそうで…

地面が動いていて竜か、大蛇か、とてつもなく大きな生き物の背中がくねくねしている感じがした…と言っていた。
とにかく死ぬ事を覚悟したとも言っていた。
彼女の家は全壊した。



地震発生から二か月が過ぎた。
震源地ではまだまだ予断を許さない状況が続く。
復旧のめどが立たない。

失うものさえ失ってなお、ひとはまだ誰かの指にすがる。
柔らかな皮膚しかないわけは、人が人の痛みを聴くためだ。

急げ悲しみ、翼に変われ。
急げ傷跡、羅針盤になれ。

まだ飛べない雛たちみたいに、僕はこの非力を嘆いている。

中島みゆきさんの歌が流れている。

非力な私だが、避難所で生活している人々が希望を持てるように心を寄せている。

畑の脇にある梅の木に白い花が咲いた。

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謹んでお悔やみ申し上げます

2023年12月30日 | 日記
心からご冥福を祈っています。

気を落とさないように…とか、ご愁傷様ですとか…言われてもしっくりこない。
ただ機械的に、痛み入ります…恐縮です。

生前の思い出を話している慰問客を迎えては、送り、迎えては送り出している。
その動作を繰り返しているだけで精一杯。
沢山の、思い出、逸話、感謝の意、涙が流れる慰問客の顔。
彼ら、彼女らの思いは、しみじみと沁みる。

他人にとっては面白い人だったろうし、面倒見も良かった。

慰問客の数だけ、故人の顔があり、悲しみの形がある。
「ねむさん」「合歓」「ねむちゃん」「合歓爺」

私にとって、合歓さんの存在は何だったのだろうか❔

和尚さんが、読経の合間に「ねむさん、あんたは我儘で滅茶苦茶な男やった」。
「そんでも、わしはねむさんが大好きやった」
そうつぶやいたとき、すすり泣きが上がった。
和尚の立ち居振る舞いに心が動く。

合歓さんが逝った事に悲しみは沸かない。
私は彼が嫌いだった。


皆様、いつも気に掛けて頂いて、助けてもらっています。
たくさんの人が合歓を送ってくれました。
バケツどころか、盥(たらい)をひっくり返したような土砂降りの雨の中、出棺でした。
皆が喪服と礼服を濡らしながら立っていました。
若い世代に痺れます。
その立ち姿に涙が流れます。
合歓が嫌がって泣いている…誰かが呟く。
それほどに大振りの雨でした。

どうぞ安らかに眠ってください。

悲しいという感情は抜け落ちてしまった。

そうこうしているうちに、初七日、二七日(ふたなのか)、四十九日と日々が過ぎてくれた。
涙も乾いて流れない。

ただ…喪失感だけがある。
身体の真ん中に大きな穴が開いたようだ。

私は、この人が嫌いだった筈なのに。


来年はどんな出来事が私を待っているだろか。

確かなことなど何一つないが、一つだけ言える。
私だけが残っているという事。

今年も暮れようとしている。
かかわってくれた全ての皆様へ。
お世話になりました。
心から有難うございました。

どうぞよいお年をお迎えください。
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党はヒトラーである。

2023年12月02日 | 日記
ヒトラーの為の虐殺会議…ハイドリヒを撃て…ナチスの時代の話の続きになる。

党はヒトラーである。
1942年、「非常時大権」が国会で承認される。

立法 司法 行政 そして軍事のすべてにおいてヒトラーは絶対権力を得た。
その上に国民の身分保障にかかわる一切の規定は、戦争終結まで効力を停止するとの決議がなされた。
アドルフ ヒトラーは個人で、ドイツ国民一人一人に至るまでの,生殺与奪の権を握ったのだった。

生かすも殺すも、与えるも奪うも彼の思うままに…。

※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※

第一次大戦後のドイツ(敗戦国)は、いつ果てるとも知れない不況が続いて、社会には不安と混とんが漂っている。

時代は変動し、激動していた。
企業倒産が相次ぎ300万人以上の失業者が街に溢れる事態だ。

ヒンデンブルグ大統領は貴族の反発を抑えながら、共産主義者の台頭と革命を防ぐために、躍進目覚ましいナチスを利用しようとする。
そして、保守派の大団結を主張するが、貴族たちの利権争いが始まる。

1933年1月30日にナチ党の党首ヒトラーは、首相になった。
(ヒンデンブルク大統領は、ナチスが保守派と連立政権を樹立することを前提に、ヒトラーの首相任命書に署名)

ヒトラーのドイツの躍進はこの日が起点だ。

首相就任の二日後、ヒトラーの意向で国会解散…そして選挙。

2月27日国会議事堂が炎上。
(ヒムラーとハイドリヒはこの頃闇の工作を始めている…SS・SA)

又 ヒトラーはゲッペルスを使って、大衆迎合主義(ポピュリズム)の政治を行っていく。

親衛隊を使って恐怖政治も追行するが、この時期は明確な形は見えてこない。

1934年8月2日、ヒンデンブルグ大統領が死去。

ヒトラーは、首相と大統領の権力を併せ持つ権力者になった。




タイトルのあとの言葉は、ドイツはヒトラーであり、ヒトラーがドイツである。
と続く。

敗戦国・大いなる借金・大恐慌・膨大な数の失業者・責任政党の無能・
確かに原因は様々にある。
選挙はナショナルアイデンティティー❝民族的自己意識❞に訴えるのが早い。

ヒトラーには演説の技術が備わっていた。
彼の姿と声は、集団ヒステリー(陶酔状態)マスヒステリー状況を生み出す効果があった。
始りはゲッペルスの宣伝力…そして政権を掌握した後は密室政治。
必要なら暴力もSS・SA・ゲシュタポ。


20世紀のヨーロッパに怪物が生まれた。



ホロコーストの実態を公式に撮影した映像は残されていない。

ナチス・ドイツが国家の力で、記録を許さず、証拠を隠滅したからである。

アラン・レネ監督の「夜と霧」は記録映画だが、アウシュビッツ収容所の跡地の映像と、フィルムとスチール写真を織り交ぜて構成されている。
全世界に大きな衝撃を与えた。
中学校三年生だった私は、父と一緒にみた。

その映画の価値は、今なお色褪せていない。
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