まんまるログ

融通性か?和・洋・中・無国籍・ジャンクとなんでも食べる胃袋と脳みそ。

プリーズ・ミスター・ポストマン

2013年10月31日 | 日記

今日はお休み最終日。
自室の掃除。本の整頓。

玄関口で呼ぶ声がする。
小包かな?ハンコ、ハンコ…慌てて用意する。

ワンコ好きのポストマンが笑顔で立っている。

「今日は、この家の配達はありません。実は僕、今月一杯で郵便局をやめるんです」
「今日が最後の配達なので、ワンちゃんに、お別れを言いに来ました」
「出てきてくれますかね」
声を聴きつけて、家の奥から、シャンクスがのそのそと出てまいりました。


  

後ろからと…お断りして、写真撮影。

「どうか、お願い、郵便局のお兄さん」
「もう少し、僕とお付き合いして欲しいよ」
配達の度に、話しかけてくれたり、頭を撫で撫で…愛情しかないひと時。

「いかないで」…シャンクスが悲しい顔をして呼び止めている…ような気がする。



なんだか、じんわりと、涙腺がゆるんだ。

「プリーズ・ミスター・ポストマン」("Please Mr. Postman") は、アメリカのグループ・マーヴェレッツの楽曲。
1961年に大ヒット。
ビートルズがカバー。カーペンターズもカバー。どちらもヒットした。

待ってよ、郵便局のお兄さん。
ちょっと、郵便鞄の中を見て欲しいの。
お願い、彼からの手紙が、私宛の手紙が…ある筈だから。

私に手紙を届けて。早ければ早いほどいいの。

ミスター・ポストマン。軽やかな曲です。

赤い〒局のバイクが見えなくなるまでお見送りしていたシャンクスでした。

「又、ワンコに会いに来てもいいですか」
「もちろん。もちろんですとも」

変に気合が入りました。










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お鍋の季節…ですね。

2013年10月30日 | 日記
 

ティラノザウルスなのかブロントザウルスなのか…解らない。
肉食獣でも草食獣でも、なんでも…とにかく『恐竜』いや…怪獣の鍋。

陶芸家、版画家、詩人…なんでも良い。どんな表現をもってしても、M氏の全体と人格は説明できない。…M氏がくれた土鍋である。
熱効率が良く、冬場は我が家で活躍する。

おでんでも。ちり鍋でも。うどんすきでも。
カニチリで来い。寄せ鍋…ちゃんこ鍋…牡蠣の土手鍋で来い。
あんこう鍋で来い。しゃぶしゃぶで来い。すき焼きで…来いとは言えない。
すき焼きはまた別のお鍋。
とにかく、M氏のお鍋は重宝する。鍋の土台である土が良い。窯で丁寧に<三日以上>焼いて創っている。
「試作品で作ったんよ。蓋に少し隙間が出るんよ」と言いながら、これでよかったら持っていけばいいよ…眼差しが柔らかであった。

有難く使わせていただいている。
三年目に入る。

 

北海道の厚岸から花咲ガニが届いた…恐竜鍋でカニちり。

これも、私の手柄ではない。
昆布大使の、長男のお蔭である。

ワンコは北海道から帰った二男の側で、リラックスして横になっている。

とにかく、自分で、できる事は少ない。

我が家はお客様がいっぱい。人が寄る。
その事で、別の何かが生まれて、広がっていく。
そうなって行けば僥倖。
そう願っている。

まずは「私」と云う者。「私が…私が」と言わせるものの…存在を疑ってみる。

それが出来なければ、本当の関係性は生まれない。

お鍋はまいうー。
味で…雰囲気で…家族を満たす。

今日のB・G・ミュージックは、B・スプリングスティーン。

「裏通り」「明日なき暴走」
「涙のサンダー・ロード」
何十年も前の曲が息子の世代をも魅了している。

本物って事でしょ。恐竜鍋も、B・スプリングスティーンも。

ねぇ。























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ルネ・デカルト…我思う。ゆえに我あり。

2013年10月29日 | 日記
もの思う秋。
  

デカルトの『方法序説』を読み帰したい。
探せども見当たらない。

以下は覚書ノートよりの抜粋。

『方法序説』第一部にも明らかなように、デカルトは歴史学・文献学に興味を持たない。
もっぱら数学・幾何学の研究によって得られた明晰判明さの概念の上にその体系を考えた事が原因として挙げられる。
これに対して後にヴィーコなどが反論する事となった。

17世紀のフランスの哲学者ルネ・デカルトは「我思う、ゆえに我あり」という表現を掲げつつ、二元論を唱えた。
デカルトは、空間的広がりを持つ思考できない延長実体(いわゆる物質)
思考することができる空間的広がりを持たない思惟実体(いわゆる心)の二つの実体の存在に気がついた。

デカルトは方法的懐疑を用いて、人間の感覚、知覚や思考の中に現れてくるすべての事象を一旦棚上げした。
そうすることで「思考する我」つまり「精神的存在としての私」の存在を表面に抽出する。
この際、疑いの対象となったものの中心は、通常我々が物質と呼ぶものである。
物質の存在性は、我々が日常そう思っているほど堅固なものではない。
それはいくらでも疑う必要のあるものなのだ。
これが、デカルトの『方法的懐疑』の核心をなす主張であった。

物質というものは、我々自身の身体も含めて、抗いがたいりアリティを以て我々に迫ってくる。
我々の感覚や知覚の多くは、我々自身の精神の中に起源を持つというよりは、外界から現れてくるように思える。
また想像力や情念の多くも物質を考慮しないでは想起し得ないように思える。

デカルトは、方法的懐疑をへて「考える我」の実在性を定立した。
後に、一旦棚上げしたこの物質というものの実在性について、改めて考察の対象とした。
その結果、この世界には精神的な実在と、物質的な実在とがあるという事。
その明証性は神によって裏付けられているのだという、結論に至る。

自分のノートの記述に添いながら書いている。

W老師とともに「哲学の会」で読んだ筈。
『方法序説』が見つからない。

誰かに貸したのか。

今日一日、本探しに狂奔した。

見つからない。



秋は実りの秋『とき』

我思うと我思う。

故に我ありと我思う。

収穫と言う言葉の定義は広い。







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マネジメント…マネージャーと言うお仕事

2013年10月28日 | 日記
ポストマンが、小包を配達してきた。
「あれっ、今日はワンコいないんですか?」
この地区担当は3、4人の若者がいるが、今日の彼は、ワンコ大好きポストマンである。
「いつも、尻尾振ってくれて…頭撫でたり、楽しみなんですよ」
外で、立ち話。
 
声を聴きつけてシャンクス登場。
「わぁ、嬉しいなぁ」「お手もお座りも、伏せも全部できますよね」
彼の家にもワンコがいるらしく、愛犬家同志で話に花が咲く。
シャンクスも、彼の愛情が注がれてご満悦。"

うるうるの顔で愛嬌をふりまく。
ワンコにだって、愛は理解できる。
平和なひと時。

さて、マネジメントのお話。
マネージャーとは、マネジメントを行う人、もしくは機構。
特に部門管理者や支配人などを指す。

☆マネジメントとは何か…その本質
企業の変革が進まないのはマネジメント上の問題なのか?
勿論、マネジメントの持つ機能が変革に関わる部分もある。
マネジメントとは本来、組織に秩序を生み出すことがその役割で、変革そのものに深くは関わらない。
なぜなら、マネジメントはある意味官僚的で、慣行化しやすい性質を持っているから。
一つの企業文化に慣れ切ったリーダーは、現在のスタイルややり方を過大評価し、新規性の高いことを受け入れ学ぼうとする傾向が薄れる。
また、官僚主義的な一面は、変化をしようとするものを包み、時として隠す。
変革期におけるマネジメントは、新たな課題への挑戦に向けて、組織内に最適な経営システムを創る。
複雑な業務や人間関係をスムーズに保つためのシクミと捉えることが妥当ですある。
☆リーダーシップの本質
最適秩序をつくる仕組みということでマネジメントを「静」と捉えるなら、リーダーシップは「動」のイメージである。
リーダーシップは、組織に根づく惰性の根源を絶ち、メンバーの行動のあり方が変容するようにモチベートする。
企業に新しい文化や習慣をもたらすエネルギーと言える。
それゆえ、変革時でのリーダーシップ不足は推進力に欠け、難局を乗り切るパワーとはなり得ない。

柔らかく述べる。
マネージャーの仕事は、部下<従業員>の長所を見て、長所が上手く働くようにする事。
反対に、部下の短所が足かせとなったり、生産性を下げる事の無いように手助けする事。
部下を人間として尊敬する事。部下をコストとして捉えず、大切な資産として認識できる知性を持つ人格である事。

そうなると、部下の仕事は決まってくる。

上司が<マネージャーも含めて>一個人として業績を上げられるように押し上げる。
そのように動く。働く。
上司を改革しよう等と不届きな事は考えない。

ワンコ好きなポストマンの姿を見ながら考えた事であった。

心底の好きと言う気持ちは…人もワンコも動かす。

‘好き‘は部下をコスト等と考えない。
一緒に向上していく仲間であるし、今、現在の担い手であると捉える。

いや、いや、現実はなかなか。

ファイト。















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マネジメント…マネージャーと言うお仕事

2013年10月28日 | 日記
ポストマンが、小包を配達してきた。
「あれっ、今日はワンコいないんですか?」
この地区担当は3、4人の若者がいるが、今日の彼は、ワンコ大好きポストマンである。
「いつも、尻尾振ってくれて…頭撫でたり、楽しみなんですよ」
外で、立ち話。
 
声を聴きつけてシャンクス登場。
「わぁ、嬉しいなぁ」「お手もお座りも、伏せも全部できますよね」
彼の家にもワンコがいるらしく、愛犬家同志で話に花が咲く。
シャンクスも、彼の愛情が注がれてご満悦。"

うるうるの顔で愛嬌をふりまく。
ワンコにだって、愛は理解できる。
平和なひと時。

さて、マネジメントのお話。
マネージャーとは、マネジメントを行う人、もしくは機構。
特に部門管理者や支配人などを指す。

☆マネジメントとは何か…その本質
企業の変革が進まないのはマネジメント上の問題なのか?
勿論、マネジメントの持つ機能が変革に関わる部分もある。
マネジメントとは本来、組織に秩序を生み出すことがその役割で、変革そのものに深くは関わらない。
なぜなら、マネジメントはある意味官僚的で、慣行化しやすい性質を持っているから。
一つの企業文化に慣れ切ったリーダーは、現在のスタイルややり方を過大評価し、新規性の高いことを受け入れ学ぼうとする傾向が薄れる。
また、官僚主義的な一面は、変化をしようとするものを包み、時として隠す。
変革期におけるマネジメントは、新たな課題への挑戦に向けて、組織内に最適な経営システムを創る。
複雑な業務や人間関係をスムーズに保つためのシクミと捉えることが妥当ですある。
☆リーダーシップの本質
最適秩序をつくる仕組みということでマネジメントを「静」と捉えるなら、リーダーシップは「動」のイメージである。
リーダーシップは、組織に根づく惰性の根源を絶ち、メンバーの行動のあり方が変容するようにモチベートする。
企業に新しい文化や習慣をもたらすエネルギーと言える。
それゆえ、変革時でのリーダーシップ不足は推進力に欠け、難局を乗り切るパワーとはなり得ない。

柔らかく述べる。
マネージャーの仕事は、部下<従業員>の長所を見て、長所が上手く働くようにする事。
反対に、部下の短所が足かせとなったり、生産性を下げる事の無いように手助けする事。
部下を人間として尊敬する事。部下をコストとして捉えず、大切な資産として認識できる知性を持つ人格である事。

そうなると、部下の仕事は決まってくる。

上司が<マネージャーも含めて>一個人として業績を上げられるように押し上げる。
そのように動く。働く。
上司を改革しよう等と不届きな事は考えない。

ワンコ好きなポストマンの姿を見ながら考えた事であった。

心底の好きと言う気持ちは…人もワンコも動かす。

‘好き‘は部下をコスト等と考えない。
一緒に向上していく仲間であるし、今、現在の担い手であると捉える。

いや、いや、現実はなかなか。

ファイト。















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