虹色ダンス ~RAINBOW DANCE~

アートと家族と人生と。。。。

祝1年!

2014-10-17 | アメリカ移住 Moving to The States

カリフォルニアに引っ越してちょうど1年経ちました!
家族4人、怪我も病気もなく銃で撃たれることもなく(!)無事にきた。

『オークランド!?オークランドはやめなよ!毎日人が撃たれて死んでるよ』と、友人に忠告された土地に住み始め、怒濤のような1年でした。


2011年の秋に、私の永住権の手続きを開始し、ようやく許可が下りたのが去年6月。
移住が現実味をおびて来た、あの時の吐き気がするような不安感を忘れない。
「住むあても仕事もなくどうするんだ??」


「あのまま日本にいたら楽だったなー」
何度も何度も思った。
フリーランスで不安定ながらも仕事が続いていて、夫も日本の生活に馴染んでいたし、この上なく親切で優しい地域の人たちにも囲まれて、不満はなかった。
だけど、あのまま日本に暮らし続けるわけにもいかなかった。
穏やかな5年先10年先の家族の暮らしが、なんとなく予測できたから。
「ぬるま湯から飛び出せ飛び出せ!冒険だ!」と私の中のジプシーが、どうしようもなく叫んでいたから。

息子は2人とも日本で生まれ、ほとんど100%日本人として育っていたから、彼らが大きくなりすぎる前に、アメリカ人としてアメリカでの暮らしも経験させたいと思った。
日本語の不自由な夫と、日本語しかしゃべらない子ども達との間が、広がって行くのもいやだった。

夫には姉がひとりいるが、独身で子供もいないので、彼の両親にとってはうちの息子がたったふたりの孫である。
息子の家族がアメリカで暮らす日が来ることを、心待ちにしていた父や母を、喜ばせたいと思った。
ふたりきりの孫が、知らない土地に生まれ育って、知らない言葉をしゃべり成長するのは、彼らにとっては寂しいことだったと思うから。


「今より生活はずっと下がるよね」
「また、一から全てのこと始めるのしんどいな」
「日本の方がミュージシャンとしては安定する」
「アメリカの政治や経済や教育環境が、日本に比べていいってわけじゃないよね」
「夫婦だけならまだしも、子連れで路頭に迷うわけにはいかない」

こんな会話を何年も繰り返し、「それでもやっぱりやってみよう!!」と、大きなジャンプをしたのでした。


そして、なんとか1年。
まだ全然わかりません、先のこと。
不安なこと、この上なし。

「冒険だ冒険だ!」
私の中のジプシーは喜んでいて、
「もうちょっと安心して暮らしたいなあ」
と、側で小さくつぶやく別の私、、、。







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LIFE IS GOOD!!??

2014-03-25 | アメリカ移住 Moving to The States
人生って大変だよ。
なかなか思うようにいかないよ、いろんなことが。
あー、しんどい。

と、メソメソ泣いていたら、遠いジョージアの義母から夫の携帯に電話が入る。
「RYOKOが泣いているんじゃないかしら?」と。
なぜわかる???
恐るべし母の直感。


新しい土地で新しいところから、一から生活を作り上げていくことの厳しさを実感しながら、日々踏ん張っている。
トライすることの結果がすぐには得られず、せっかちな私は時々ガクンと落ち込む。

「何事も成果が見えるまでには時間がかかるよ」と夫が言う。
彼も不安やしんどい気持ちを抱えているはずだけど、私のように不機嫌になったり泣いたりしない。


私はひとり、ベッドにもぐってひとしきり泣く。
落ち込んでいてもお腹はすいて、でもご飯作る気分になれないなあ、などと思っていたら、まるでそれを察知したかのように、エルサルバドル人のお向かいさんが晩ご飯を持って来てくれる。

あら、人生なんだかいいかも、と、
ちょっとのことでくじけそうになる私だけれど、簡単に立ち直る私でもあるのだ。

泣いていて話せなかった義母に、後で電話をかける。

「なんで私が泣いてるかもってわかったの? ママはサイキックだねー」
「アナタたちのこと毎日想っているからね」

ありがたや。

自分で飛び込んだ海なので、どこかの岸にたどり着くまで、ジダバタ進んで行きます。

あなたの人生はどうですか?





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PTA

2013-12-11 | アメリカ移住 Moving to The States
子供の通う学校で、唯一の日本人のお母さんと偶然知り合う事ができ、彼女の誘いでPTAのミーティングに参加した。
全保護者対象の会合にもかかわらず、10人程度の参加者しかいなくてびっくり。
完全なるボランティアで運営するのは、相当困難というわけだ。

日本の学校ではほぼ強制だったよ、面倒でも何かしら参加しないといけなかったよー、と言うと、
そもそもPTAって何??っていう国の人もいるからね、なかなか難しいのよ、とその日本人のHさん。

そうかー、そりゃそうだな。
日本のように皆が足並みそろえて進むわけではないし、そうでないからこその面白さもあるだろう。
習慣や考えの違う人と、どうやって進んでいくか。

PTAの課題のひとつとして、異人種間の保護者同士のギャップを、どう縮めていくかということがあるらしい。
言葉がわからなければ、わかる者同士がかたまってしまうのは当然だから、そこをどうやってつないでいくか。

学校側からのお知らせも、PTAのニュースレターも全て、英語、中国語、スペイン語、ベトナム語で書かれてあって、4言語に訳す作業も訳者を確保するのも大変らしい。
いちいち時間もかかるということ、、、納得。

「保護者向けの英語教室開催はどうだろう?言葉がわかれば近くなる」と私が提案すると、「僕なんか、日本語全然わからないよ」と、あるお父さん。
「それなら、英語だけじゃなく日本語や中国語のレッスンもあればいいねー!」

英語が共通言語だとしても、それ以外の言葉を学び合うというのはとても良いアイデアと思う。
老化に向かっている大人の頭で、どれだけのことが覚えられるかという疑問は別として、、、。
理想主義だね、とまた夫にからかわれそうでもあるけれど、それも置いといて、、、。

PTA主催、タダで中国語やスペイン語のレッスンが受けられるとしたら、私はぜひとも参加したい。

「ここにはいろんな人種の人がいる。たくさんの言葉や異なる文化がある。そのうちの誰もが、自分が孤立していると感じる事がないように、調和していきたい」
というPTA会長さんの言葉が印象的だった。






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