箱根湯本駅の創業は1919年(大正8年)とのことで、そこそこに古いが、種々変遷を経てその片鱗はどこにも残っていない。今年(2012年)はペデストリアンデッキ(pedestrian deck)も完成したようだ。ペデストリアンデッキは駅舎を立体的にして、歩行者専用の通路を周辺に設けるもので、「歩行者回廊」「公共歩廊」などと呼ばれているらしい。現在、ある程度の乗降客が見込める駅舎の改築は、この方式を採用しているのをよく見かける。周辺駅に比べて、決して早いほうではないが、まあ最新の駅舎ということになるのかも知れない。
箱根湯本は小田急線の始発になっており、ロマンスカーも発着するが、駅の運営は「箱根登山鉄道株式会社」である。鉄道会社間の境界というものがある訳だが、小田急電鉄と箱根登山鉄道の境界は小田原にあるらしい。それはともかく、現在、箱根湯本には小田急の各駅停車とロマンスカーしかやってこない。2006年からこのダイヤになっているようである。あとは箱根登山鉄道の始発駅である。
登山鉄道に乗り込む雰囲気は、何となく江ノ電に似ている。今時、駅周辺では紫陽花が咲いていたが、これからが本格的な開花時期なのだそうな。順に下の方から山の上に向かって咲いていくに違いない。登山鉄道の終点は強羅。ここからケーブルカーに乗ってみる。何でもスイス製の車両なのだそうで、新緑の中をゆく乗り心地は悪くない。しかし、登山鉄道のレトロさに比べれば、こちらはどう見ても新しい。常に新し車両がよいわけではないと思うのだが、何せこの急勾配、安全確保は不可欠だ。
写真は、ケーブルカーの最後尾車両から、今降りて来た山の上の方を見たもの。運転手は先頭車両で、こちらには居ない。いつも思うのだが、このような写真の場合、どうしても平坦(平凡)になってしまい、急勾配の感じが出ない。不思議なことに迫力ある急勾配が台無しになってしまうのだ。
途中、公園下駅で下車して強羅公園へ行ってみる。公園にはいろいろな施設があるが、やはり今は紫陽花が主役か。ちょっとしたイベントもあったりして、多様な紫陽花が展示されていた。その中の印象に残ったものを1つ。
いつも思うのだが、紫陽花ほど変化に富んだ植物はないように思う。何処にでもあるのだけれど、どれが本物とか、原種とか難しい植物学的なことはさておき、この時期、突然見たことのない紫陽花に出会う、という驚きがある。和洋折衷のこの紫陽花は、その雰囲気も含めてうまく撮れたように思う1枚だ。
箱根湯本の駅周辺では、足湯、日帰り用温泉、高級ホテルなど、要望に応じた施設があり、そんなところでゆったり過ごすのも悪くないと思う。温泉といっても、雰囲気重視から実利本位までスタイル様々。自分に合った場所(温泉)が見つかるといいのだが。
町田市立薬師池公園/総面積 7,700㎡。薬師池は「野津田薬師のほとりの池」の意味。公園内の野津田薬師と言われている薬師堂は天平年間(729~749)行基の開基と伝えられている。現存する薬師堂は明治16年(1883年)に再建したものらしい。
薬師池は、戦国時代は北條氏照の支配領域で、天正5年(1577年)に北条氏照の印判状が野津田の武藤半六郎(河井家祖先)にくだり、水田用水池として天正18年(1590年)まで開拓された。この年、小田原城は秀吉の軍に包囲されて落城、北條氏政、氏照は切腹している。
江戸時代には福王寺池(福王寺溜井)ともよばれいた。宝永4年(1707年)の富士山噴火による降灰ですっかり埋まってしまったが、その後3年掛けて浚い工事が行われた。文化14年(1817年)にも泥砂が溜まったので浚い工事が行われたらしい。周辺の七国山を含む「クヌギ、コナラの雑木林」は武蔵野の原風景だと言われている。

薬師堂を見て千年以上の悠久の時を感じるなんてことは、なかなか難しい。また、周辺の雑木林を見て、それが「武蔵野の原風景」だと言われてもこれまたピンと来ない。薬師池のすぐ横を鎌倉街道が走る。七国山には「鎌倉井戸」なんてものもある訳だから、この辺を散策すればその時代を少しは偲ぶことが出来るのかも知れない。
時は6月、薬師池の湖面にさざ波が立ち、そよぐ風も心地よい。
菖蒲はもう咲き終わり、次は紫陽花が出番を待っている。
薬師池は、戦国時代は北條氏照の支配領域で、天正5年(1577年)に北条氏照の印判状が野津田の武藤半六郎(河井家祖先)にくだり、水田用水池として天正18年(1590年)まで開拓された。この年、小田原城は秀吉の軍に包囲されて落城、北條氏政、氏照は切腹している。
江戸時代には福王寺池(福王寺溜井)ともよばれいた。宝永4年(1707年)の富士山噴火による降灰ですっかり埋まってしまったが、その後3年掛けて浚い工事が行われた。文化14年(1817年)にも泥砂が溜まったので浚い工事が行われたらしい。周辺の七国山を含む「クヌギ、コナラの雑木林」は武蔵野の原風景だと言われている。

薬師堂を見て千年以上の悠久の時を感じるなんてことは、なかなか難しい。また、周辺の雑木林を見て、それが「武蔵野の原風景」だと言われてもこれまたピンと来ない。薬師池のすぐ横を鎌倉街道が走る。七国山には「鎌倉井戸」なんてものもある訳だから、この辺を散策すればその時代を少しは偲ぶことが出来るのかも知れない。
時は6月、薬師池の湖面にさざ波が立ち、そよぐ風も心地よい。
菖蒲はもう咲き終わり、次は紫陽花が出番を待っている。
旅と言えば、時計は欠かせない道具。単なる時間だけではない。時刻表を確認したり、所要時間を計算したり、発車・到着時刻を確認したり、時計はあらゆる場面に出て来るものだ。ところが、ここに来てその重要な時計が「停止」してしまった。
この時計は、遙か昔に購入したもので、型式から製造年を調べると2000年ということらしい。はや12年も前のことになる。電池式で実は1度も交換したことがない。12年間時刻合わせすらしたことが無かったのだ。あまり止まらないので、ひょっとしてこの時計はソーラーかな?なんて思ったりもしたのだが、確かに購入したその頃、ソーラー式はまだあまり見掛けなかったような気もしないでもない。

で、時計屋さんに出掛けて電池交換を依頼したところ、「時刻合わせが出来ないので電池交換は止めておきます」とのこと。話しを聞いてみると、何とリューズが錆び付いて動かないというのだった。確かに通常の力では押しても引いても回しても動かない。
どうするべきか相談したところ、メーカー修理に出すという手があるらしい。やむなく「修理代がかさんでも」と腹を決めて、お願いした。依頼してから3週間、長旅を終えてG-SHOCKは戻ってきた。メーカーなら直せるだろうと期待しての依頼だったが、伝票には「修理不可」の文字が、、。そんな訳で、重要な旅のToolはここで再起不能となってしまった。
12年間というもの、暑い日も寒い日も雨の日も風の日も、いつも共にあったG-SHOCK。考えてみれば、まるで戦友のようなやつだったな。
この時計は、遙か昔に購入したもので、型式から製造年を調べると2000年ということらしい。はや12年も前のことになる。電池式で実は1度も交換したことがない。12年間時刻合わせすらしたことが無かったのだ。あまり止まらないので、ひょっとしてこの時計はソーラーかな?なんて思ったりもしたのだが、確かに購入したその頃、ソーラー式はまだあまり見掛けなかったような気もしないでもない。

で、時計屋さんに出掛けて電池交換を依頼したところ、「時刻合わせが出来ないので電池交換は止めておきます」とのこと。話しを聞いてみると、何とリューズが錆び付いて動かないというのだった。確かに通常の力では押しても引いても回しても動かない。
どうするべきか相談したところ、メーカー修理に出すという手があるらしい。やむなく「修理代がかさんでも」と腹を決めて、お願いした。依頼してから3週間、長旅を終えてG-SHOCKは戻ってきた。メーカーなら直せるだろうと期待しての依頼だったが、伝票には「修理不可」の文字が、、。そんな訳で、重要な旅のToolはここで再起不能となってしまった。
12年間というもの、暑い日も寒い日も雨の日も風の日も、いつも共にあったG-SHOCK。考えてみれば、まるで戦友のようなやつだったな。