Tokyo Walker

諸事探訪

Auto YASHINON 5cmF2/YASHICA

2023年03月30日 18時19分21秒 | カメラ

 連日の曇り、雨で今年の桜は諦めた。合間を縫って出掛けてみた。巷の春の様子はどんな様子だろうかと。今日のレンズは「Auto YASHINON 5cmF2/YASHICA」。お気に入りの一本だ。
 植物(花)の写真は撮るけれど、その名前まではなかなか判らない。それらしいと判っても、確信を持てる程では無い。調べてみると、とにかく亜種、変種が多いのがこの世界だ。
 植物学の博士に聞いてみたが、花だけで断定するのが難しいものは多々あるらしい。最終的には、花、枝葉、丈、根まで見ないと判らないものがたくさんあるとのことだった。

 この時期、あちこちの傾斜面、土手に咲いていた。あでやかな黄色が目立つ。これは野生のヤマブキだと思うが、市販のものとはかなり異なるので比較は難しい。しかし、ヤマブキ色から金色(大判小判の色)とは、昔の人はよく言ったものだ。




 いつもは四月中頃過ぎだと思うけれど、気の早いシャクナゲ(石楠花、石南花)がもう咲いていた。相変わらずド派手な花で、その存在感は余りある。


 こちらはアセビ(馬酔木)というものらしい。古くは「アシビ」と呼ばれていたこともあったようで、実は「悪し実」から訛ったという話もある。「馬酔木」が示すように葉には毒性があるようで、「馬も酔い倒れる」らしい。小さな鈴のような花をたくさん付けて可愛らしいが、油断も隙も無い。


 これはシャガ(著莪)という植物らしい。日本では比較的何処にでもある植物らしいが、今までジックリ見たことは無かった。シャガは花は咲くが実は成らず、根で増えるものらしい。


 全く自信は無いが、これはムラサキツツジではないだろうか。低木でありながら、ひと際目立つ爽やかな紫である。これにも「オオムラサキ」「エゾムラサキ」「カラムラサキ」等と種類があり、何が何やら判らない。


 深紅のツバキ(椿)と山桜の競演。桜も椿も散り際で、桜はハラハラと、椿はコロリコロリと花を散らせて地面を汚していた。しかし、こんな競演は初めて見たような気がする。


 新緑準備中の木々だが、モノクロではいかにも寂しい風景になる。今回からモノクロにも挑戦しようと思っての最初の一枚だが、あまり力まず撮っていこうと思う。


 ちょっとアンダーになってしまったが、岩にしがみつく根の形相が凄まじい。モノクロならではの迫力である。独特の世界観があるように思うのは気のせいだろうか。


 普段見ることのない根だが、土が流れてしまったか、むき出しになっている。実際、大木ともなれば鬼のように根を張っているものだ。何とも凄まじい。

Body   α7Ⅱ/SONY
Lens    Auto YASHINON 5cmF2/YASHICA
Mount Adapter M42/MEX(Ping押しFlange無し)/FOTGA
Filter   φ46 MC Protector NEO/Kenko
Hood    φ46mm S/Walz



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光を求めて

2023年03月27日 14時58分37秒 | カメラ

 表題の「光を求めて」から宗教の話しかと誤解されるかもしれないが、「写真」の話しである。最近、ひょんな事からモノクロ写真について出会う機会があった。元々写真の元祖は白黒で、今更出会いも何も無いのだが、再認識と言った方が正しいのかもしれない。
 写真は技術的な発展により白黒からカラー化されて久しい。カラー化はいろいろな意味で写真に貢献していることは確かであり、そこに異論はない。カラー写真はその情報量によってモノクロ写真を圧倒する。しかし、情報量が多いことによって損なわれた部分もある。それは写真がどうしても「散漫」になってしまうことである。モノクロに比べて、どうしても主張が希薄になってしまうのである。従って、そこに意図的なものがあったとしても、圧倒的な情報量の中に埋没してしまうのである。

 単に「美しい」「綺麗だ」というだけではどうしてもありふれてしまう。ましてや漫然と、何の意図も無く撮ったのでは尚更のことである。モノクロ写真は情報量が少ない分、単純である。そのために主張が明確になりやすい。もしそこに意図的なものがあるとすれば、それは浮き立って見えてしまうのである。

 折しも「ザ・ヒューマン/NHK」で、写真家でもあり画家でもある陳漫(チェンマン)が紹介された。写真家は解るが、同時に画家というのは珍しい。大体、時間を掛けて絵を描くのが苦手で写真家になるようなものなのに、彼女はそれを苦にしない。そしてよくカメラを持って森の中を散策している。「いい写真を撮る秘訣」あるいは「何を目指して撮る」のかという質問に、それは「光」だと答えていた。見ているもの、気にしているものは「光」だけなのだ。そして、新たに取り組んだ屏風絵(2頭の獅子と茶の古木)は、モノクロの世界そのものであった。

 You tube「まきりな/Makirina ch」 https://www.youtube.com/watch?v=PyrltHbrjlw
 まきりなさんのYou tubeの中でも紹介されているが、そぼ降る雨の中、森を散策して「Micro-NIKKOR-P Auto 55mmF3.5」で写真を撮るというものがある。普通には「いや、雨はちょっと」と敬遠するものだろうけれど、彼に言わせれば雨降り、曇りだからこそ撮れる写真があるのだという。雨にけぶる薄暗い森の中、モノクロ・モードでかすかな光を見逃さないようにして写真を撮っている。明るい晴れた日では難しい、この「光」が重要なのである。自然が織りなす造形とこの「光」がすべてであるとしたら、モノクロはその表現に最もふさわしいものなのかもしれない。

 掲載写真はカメラのCreative Style機能でカラーは「Standard」、モノクロは「白黒」に設定して撮影してみた。次回は本格的に白黒に設定して、訴求力のある「主張する」写真に挑戦してみたい。モノクロが持つ本当の迫力を表現することが出来たらすばらしいと思うのだが、どうだろう。

Body   α7Ⅱ/SONY
Lens     Micro-NIKKOR-P Auto 55mmF3.5/Nikon
Mount Adapter NF-SαE Adapter/Rayqual
Filter   φ52mm Pro1d Protector(W)/Kenko
Hood   無し



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春到来

2023年03月13日 01時26分23秒 | カメラ

 寒い寒いと思っている内に、ここ数日急に暖かい日が続き、重い腰を上げていつもの公園へ散歩に出掛けた。今年になって初めての公園散歩となる。春の兆し、ツクシでも撮ろうかと思って、「Micro-NIKKOR-P Auto 55mmF3.5/Nikon」を持って出かけたのだが、肝心のツクシは見当たらなかった。探し方が悪いのかも。

 公園には小規模な紅梅白梅の林があるのだが、今年は急激な暖かさのためか、一斉に咲いていた。いつもはチラホラと咲いていたように思うが、こんな満開状態は初めて見た。そのため、梅の木がこんなにたくさんあったのかと再認識した次第。ほのかな甘い香りが漂ってくる。人々も何と無くのんびりしている。それもその筈、長いコロナ禍だったのだから無理もない。


 公園は冬の間に枯れた草もすっかり片づけられて、春を迎える準備は整ったようだ。これからいろいろな草花が芽を出すに違いない。


何だか判らないが、緑の中にひと際目立つ赤い実(?)を見つけた。


ツバキも咲いていた。


 我が家のシデコブシもあっという間に開花してしまった。


 チューリップは緑の葉を伸ばし、その陰で恥ずかしそうにスイセンも咲き出した。本来、どちらも秋に球根を掘り出して、植え替えるのかもしれないが、我が家では万年放置状態。チューリップは三~四色が遂に一色だけになり、花も随分小さくなってしまったけれど、毎年葉だけは元気に育っている。

 ツクシ撮影用にマクロを持ち出したが、その効果を発揮する場面は無かった。標準レンズでも寄れるなら、同等の撮影は出来るだろうと思うが、オールドレンズの多くは寄れないレンズなので、ここはやはりそれなりの効用はあったのだろう。改めて思ったことだが、マクロは確かに寄れるけれども、被写体によっては実物の大きさが判らなくなるという欠点がある。現実には小さい花なのだけれども、マクロで撮った写真は画面いっぱいに撮れるため、現実のイメージとズレが生じてしまうのだ。しかし、そこには日常の見慣れた世界とはちょっと違う別の世界があるのかもしれない。

Body   α7Ⅱ/SONY
Lens     Micro-NIKKOR-P Auto 55mmF3.5/Nikon
Mount Adapter NF-SαE Adapter/Rayqual
Filter   φ52mm Pro1d Protector(W)/Kenko
Hood   無し


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