わたしのあしあと - 2nd half -

私の人生の後半戦の記録です。突然降りかかった病気をキッカケに、与えられた私の残りの人生を楽しんで過ごしたい!

[メンタル] 6年経った今

2019年08月06日 | 身体のうつ
「もう普通の生活は送れないのかもしれない...」

そう思う程、身体に異変が生じてから6年が経った。

もう何度も書いているけれども、おさらい。

きっかけは夏風邪。
休んでも、風邪薬でも治らず、病院に行っても回復しない。
そのうち目が痛くなり、眼下に行ったら耳鼻科を勧められ、そこで見つかった急性副鼻腔炎。
抗生物質を服用して1週間経っても、身体がおかしい。普通じゃない。
そのうち身体の背面が痛く、平衡感覚が失われ、会社にも行けなくなった。

精神的なものだといわれで精神科を受診したところ、脳神経を疑われ、検査入院。
しかし、ここでも検査での異常はなく、大病院の神経内科に行くようにと言われ・・・
大病院では予約がないと診てもらえず、やっと取った予約日まで約1ヵ月の間、自宅の天井を眺めながら、
「死んだ方が楽・・・」
と思いながらも、懸命に痛みを我慢した。
やっと大病院での検査を受けたら、やっぱり異常なし。
そこでついたのが

身体表現性障害(身体症状症) とかヒステリーというもの。

https://www.msdmanuals.com/ja-jp/%E3%83%9B%E3%83%BC%E3%83%A0/10-%E5%BF%83%E3%81%AE%E5%81%A5%E5%BA%B7%E5%95%8F%E9%A1%8C/%E8%BA%AB%E4%BD%93%E7%97%87%E7%8A%B6%E7%97%87%E3%81%8A%E3%82%88%E3%81%B3%E9%96%A2%E9%80%A3%E7%97%87%E7%BE%A4/%E8%BA%AB%E4%BD%93%E7%97%87%E7%8A%B6%E7%97%87

要は、、、
死ぬような病気じゃない、ということ。

だから
 "いつか良くなる!"
" いつか元のカラダ、感覚に戻る!"

そう信じて暮らした。

一旦ひとり暮らしを引き上げて実家に戻り、家族のサポートの下で生活。
その間、大雪が2度降って、年老いた両親が雪かきをするのに、私ができないなんて・・・と心苦しくなったこともあった。

両親の介護が必要になった時、いったいどうするのだろう???
私はきっと収入がないし・・・
なんとか元に戻ってくれ!

そう願い、自分なりの努めをしながら日々時間が過ぎるのを待った。

ようやく温かくなり始めた初春。
思い切って再度ひとり暮らしに生活をしてみることに・・・
そして、精神科に併設するデイケアにも通うことにしてみた。

身体の痛みを主とする異変はあまり変わらない。
でもどうにか生活はできる。

ここで一旦リセットしよう。
人生の折り返し。
すべてやり直してみよう。

計1年半の休みを経て、勤めていた会社に戻ることが自分の負担になるとも思い、退職することに。
さらに、精神障害者手帳も取得。

精神障害者枠での雇用を今勤めている会社にしていただき、新たな人生をスタートさせた。


すべての始まりから6年。
かなりの回復をしてる。
普通に会社にも行ってる。
身体に表れる特殊なうつ病ということで、周りの理解も得られてる。

時々襲ってくる身体の痛み。日々の疲労感。
それらを背負いながらやっていくことは、以前の私からしたら、とってももどかしい。
悔しい、と言った方がいいかもしれない。

欲を張らずに、生きていること、現状に大きな悩みがないこと、小さな幸せを感じられること。
そういうことを考えながら、今を過ごしている。

最近、仕事がつまらない。
障害者枠での業務は、与えられたことをこなして、できないことは怒られて。
誰からも褒められない。

なぜつまらないか、、、
いろいろと考えたら、成果物がないことがひとつ挙げられると思った。
ルーチンワークはできて当たり前。
ならば、このルーチンができたことをひとつの成果と思い込むことにしている。最近から始めたことだけど。


月日はどんどん過ぎていく。
イヤでも年をとる。
どんなこともポジティブに!
好きなことをしよう。
つらくても、その裏側を考えてみよう。

メンタルの病というものは、完治という目安があるようでない。
一旦治ったかと思っても、再発することが多々ある。
だから、私もそれを認識しながら過ごしている。


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