興味津々心理学

アメリカ発の臨床心理学博士、黒川隆徳によるあなたの日常の心理学。三度の飯よりサイコセラピーが好き。

檸檬と揚羽蝶

2023-09-27 | 戯言(たわごと、ざれごと)

 今年は庭に揚羽蝶がたくさん来るようになり、どうしてだろうと観察していたら、レモンの木に用があるようだった。

 それで息子が幼稚園から借りてきた図鑑で彼と一緒に調べてみたら、揚羽蝶はレモンを含む柑橘系の木に卵を産む事がわかった。

 随分前からこのレモンの木の葉は何者かによって食い荒らされていて、小さな芋虫を見つけては取り除いていたけれど、それが揚羽蝶の幼虫だったと知ったのは比較的最近だ。

 息子は1歳ぐらいからレモンが大好きで、例えばレストランなどで、我々夫婦が食べるカキフライに付いてくるカットされたレモンを目敏く見つけては食べてしまっていた。とても酸っぱそうに、とても嬉しそうに。

 それもあって、2年半ぐらい前に、妻がパルシステムでレモンの苗木を買ってくれたのだけれど、送られてきた苗木はほとんど葉っぱもない不思議なシロモノで、「これが果たしてレモンの木に展開するのだろうか」と半信半疑に育てていたら、ニョキニョキと大きくなり、いつしか私の身長を超えた。2メートルぐらいだろうか。

 しかし今のところまだレモンは結実していない。

 毎年、きれいで良い匂いのする白い花が咲き、小さな実ができ始めるけれど大きくなる前に落ちてしまう。息子も楽しみにしているので残念だ。

 でもレモンの木は姿が良くいい匂いで成長も早いので、既に十分に楽しくて、実はいつかそのうちに成ればいいと思っていた。

 しかし最近、揚羽蝶の大きな幼虫を複数発見して、新たな葛藤が出てきた。

 息子はレモンも好きだけれど、昆虫も大好きで、今はその緑色のかわいらしい芋虫に興奮している。

「そだてようよ!」

というので、芋虫たちが付いている枝ごとハサミで木から切り離し、水の入った一輪差しに入れて、大きな虫籠を縦にして、その中にそれらを丸ごと入れると、芋虫たちは、何事もなかったように、おいしそうにレモンの若葉を食べていた。

 揚羽蝶の幼虫を優先するか、レモンの木を優先するか。

 揚羽蝶の幼虫にとってはレモンの葉はご馳走で不可欠なものだけれど、うちのレモンの木はまだまだ小さく、あまり大きなダメージは与えたくない。すでにだいぶやられている。 

 それにしても、「害虫」って何だろうとつくづく思う。揚羽蝶の芋虫が害虫かどうかは、あくまでそれをその人間がどう捉えるかだと思う。

 話が若干逸れるけれど、最近、アメリカザリガニについてよく考える。

 というのも、6月ぐらいに、地域の固有の種のメダカを保護するための子供向けのザリガニ釣りのイベントに参加したときの、そこにいた何人かの子供たちのザリガニに対する残酷な扱いがとても気になったからだ。その子たちの親御さんたちの様子も気になった。

 そのイベントでは、みんなでザリガニを釣って一か所に集めて、最後は深く掘った穴にそのザリガニたちを生き埋めにして処理をしているので、そのイベントによく参加している子供たちは、大人たちのそうしたザリガニの扱い方をよく見ているのだろう。

 命と生態系の話にひとつの正しい答えなどもちろん存在しないし、大事なのは、それぞれが答えのない問いに考え続けて自分たちなりに行動していく事だと思う。

 自分としても、息子に、生き物の命の大切さと、外来種からその土地固有の生態系を守ることの重要性のバランスについてどう伝えていくか、考え続けている。

 いずれにしても、命に上下や優劣があるのだというメッセージは伝えないように気を付けているけれど、そこには様々な矛盾が孕んでいて、なかなか難しい。自分自身この辺りは矛盾していて、その矛盾がなかなか解けない。

「絶対に解放せずに、そのザリガニが死ぬまで責任をもつ」という条件で、このイベントでは、ザリガニは持ち帰らせてくれる。

 興味深いことに、持って帰る子はほとんどいない。いや、持って帰りたいという子はちらほらいたけれど、親御さんがそれを許さなかったりして、持ち帰りが成立しないのだ。

 うちには、以前カラスに襲われているところを息子と一緒に助けた大きなヒキガエルがいるので、そのヒキガエルの餌になると思い、事情をお話したら、主催者の方が、「まさに命の循環!」と快諾してくださり、特に小さいザリガニを厳選して持ち帰ってヒキガエルに与えてみたところ、最初は食いつきが良かったが、途中から全く見向きもしなくなった。

 それで、殺すわけにもいかないしどうしたものかと考えて、結局、この少し前から、めだかを飼おうと、タイミングよく息子と一緒に作っていたビオトープ池にはまだ居住者がいなくて空いていたので、そこで育てることにした。とりあえず、水草とタニシをたくさん入れて。ソーラーパネル式のエアポンプもついていて、なかなか悪くない環境だと思う。ザリガニは食欲がとても旺盛で、水草もすごい勢いで食べていくし、お世話はなかなか大変だけれど、それもだんだん落ち着いてきた。数か月経った今もそのザリガニたちは元気で、毎朝毎晩仕事の行き帰りなどにその子たちを観察するのが楽しみになっている。ザリガニは子供のころ大好きだったので、ザリガニを見るたびに、小さな幸福感が湧いてくる。

 話が大幅に脱線したけれど、今回の我が家の庭のレモンの木とアゲハチョウの幼虫の件は、そんなに難しい問題ではなく、彼の興味関心がレモンから揚羽蝶の幼虫にシフトした今は、幼虫を優先しようと思った。彼はもう少し大きくなると今度はレモンの木の方に再び興味を持つかもしれないし、小さな子供の好奇心はそれこそ生モノだ。

「よし、レモンの葉っぱをたくさんあげてアゲハ蝶の幼虫を育てよう!」

というと、息子は嬉しそうに「いいね!いいね」と言ったけれど、同時に、

「らいねんは このきに あみかけておこうね」

というので、どうして?と聞くと、

「らいねんは れもんたべたいから、はっぱがたべられちゃう」

と言う。「まあそうだけど、今後は揚羽蝶が卵産めなくてかわいそうだね」、と言いそうになったけれど、やめた。

 希望としては、揚羽蝶の幼虫がたくさん育っても大丈夫なくらいにレモンの木を大きく育てる事だ。

 今朝、息子は、その揚羽蝶の幼虫の入った虫かごを持って幼稚園に行った。息子の幼稚園は、みんなと共有する、という目的で、家で育てている生き物を幼稚園に持って行って良いことになっている。

 幼稚園に入ると、踊り場に、息子の親友の、大の虫好きの男の子が育てているカマキリの虫かごがあったので、その隣に揚羽蝶の幼虫の虫かごを置いた。

 すると、息子のお友達や親御さんたちがわらわらと集まってきて、絵本や図鑑によく出てくる揚羽蝶の幼虫の姿をみて喜んでくれて、息子もとても嬉しそうで、虫たちが与えてくれる豊かさを改めて感じた。

 あとで、カマキリの持ち主の男の子に聞いたけれど、彼は最近は、毎日幼稚園が終わると、カマキリのご飯のために必ず蝶を捕まえてから家に帰っているという。


あめふり

2023-05-15 | 戯言(たわごと、ざれごと)

 日曜日の昼下がり。

 徒歩3分ほど先に住んでいる母がちょうど我が家の前の路地に迷い込んできたところを妻が見つけてくれて、とりあえず家の中に入ってもらった。

 その時自分は4歳の息子と内緒話をしていて、「今日はママの日だから、ママに内緒でケーキ屋さんでケーキ買ってきて驚かせようね」ということで、出掛けるタイミングを見計らっていたところだった。母にも買って、持って行こうと思っていたので、ちょうどよいと思い、母と息子と3人で車で出掛ける事にした。

 息子と母が後部座席で話している。よく思うことだけれど、この二人の関係性は不思議なものだ。

 何かの会話をしていて、息子が、

「ばあばはわすれんぼうだから」

というと、

「まあ。言われちゃったわ」

と母が楽しそうに笑って答えた。

「確かに忘れん坊だよね」

と私がいうと、母がさらに笑い出し、そこで息子が、

「だってばあば、あしたにはぜんぶわすれちゃうでしょ」

と言った。私は一瞬悲しくなったけれど、息子は母を責めているわけでもなく意地悪を言っているわけでもなく、思っている事を素直に言っていて、母もそれに楽しそうに応じていた。

 そこで私はいつものように、

「確かに忘れちゃうけれど、大事なのは今日だよ。今この瞬間が楽しければそれでいいんだよ」

というと、母と息子はまた楽しそうに笑った。

 外は土砂降りで道はいつになく混んでいたけれど、それはなんだか楽しいドライブだった。


夜桜の花火大会とクリスマスパーティー

2023-04-03 | 戯言(たわごと、ざれごと)
 土曜日、品川で仕事をしていたら、妻からLINEがありました。Instagramの情報で、夜に中井町で花火大会があるというのです。ちょうど仕事が早く終わる予定だったので、是非行こうと伝えました。夕方、茅ヶ崎で合流して3人で車で会場に向かいました。

 中井町は人口の少ないのどかなところですが、会場に着くと、そこでは驚くほど多くの人たちで既に賑わっていました。なんとか無事にレジャーシートを敷けて、長蛇の列に並んでなんとか夕ご飯も確保できたらまもなく花火が始まりました。

 10分という比較的短い時間ですが、うちの4歳児も含めて、特に子供達の歓喜が印象的でした。「た〜まや〜」とかかわいい声がそこら中から聞こえてきます。老若男女、みんな楽しそうです。

 そこでふと思いました。特に未就学児はこの3年のコロナ禍で、近くでじっくり花火を楽しむ機会は非常に少なく、今回が初めての子もたくさんいるのではと。

 夜空には大きな花火で、その辺り一面は満開の桜並木で、外気はまだ肌寒く、不思議な感覚でした。

 花火が終わった後も、熟年者の方たちのジャズバンドの演奏が、アマチュアとは思えない程にレベルの高いもので、「A列車で行こう」から「愛しのエリー」まで、素晴らしいものでした。気づいたら妻と息子は手を取り合って音楽に合わせてダンスをしていました。

 翌朝、なんとなく、アレクサにデュークエリントンの「A列車で行こう」を掛けてもらうと、息子は気に入ったようで、「あれくさ、リピートさいせいして!」と言いました。彼は音楽の好みが難しくて、こちらがリクエストした曲でも気に入らないとすぐに「アレクサ、ストップ!」と言って再生を止めてしまうので、彼と好みが合った時はちょっと嬉しいです。

 そこで不意に思い出しました。クリスマスの季節にIKEAで買った、組み立て式のお菓子の家の賞味期限が迫っている事に。そこで急遽、「お菓子のおうち一緒に作らない?」と息子に聞いてみたら大はしゃぎで「やるやる!」というので、2人で作りました。クリスマスどころか季節は復活祭です。

 その後もリビングでは「A列車で行こう」の陽気な音楽が流れ続けていて、彼が日々作っているLEGOの小さな街でも、盛大なクリスマスパーティーが行われました。彼の心の中はすっかりクリスマスです。

 しばらくして彼が、

 「おかしのいえたべたい!」

というので、

 「そうだねえ。まずはおうちが固まってからかな」

と伝えると、

「おかしのいえ、きょうたべたい!」

と、引きません。

 しかしよくよく考えてみると、クリスマスは既に過ぎているし、彼の主張の何が問題なのかわからなくなってきました。それでも直感的に、

「そうだよね。今日食べたいよね。ただ、せっかく作ったのにその日のうちに食べちゃうのは勿体ないから明日食べようか?」

と伝えてみたら、納得してくれました。

すると息子は突然スターウォーズのLEGOのミニフィギュアの「オビ=ワン・ケノービ」を持ってきて、

「これはこのひとのおうち」

と言って、オビ=ワン・ケノービをお菓子の家の前にちょこんと置きました。

 その翌朝。

「おかしのいえ、たべる」、

と息子が再び言うので、

「約束だったね。食べて良いよ」

と伝えたら、息子はなんだかあまり嬉しそうではありません。

「どうしたの?ずっと食べたかったんでしょう?」

と聞いてみると、

「う〜ん。たべたらこのひとのおうち、なくなっちゃう」

と、オビ=ワン・ケノービを見つめて言いました。

 彼はいつお菓子の家を食べられるのでしょう。

 




じゃんけん

2023-03-15 | 戯言(たわごと、ざれごと)
 昨日、幼稚園に息子を迎えに行った時、年長さんのAちゃんがやってきた。会うとよく話しかけてくれる子だけれど、彼女はあと数日で卒園、もうすぐお別れだ。

 息子は他の子達と追いかけっこに夢中だった。

 Aちゃんはふいに、

「ねえ、じゃんけんしようよ」

というので、私はいいよと同意した。

絶対に勝ちたくないなあと思った。もし勝ってしまったら、こちらが負けるまで続けるまでだが、できれば第一戦で負けたい。自分が負けるように願いながら、2人で一斉に、

「さいしょはぐぅ!じゃんけんポン!」

と、Aちゃんはチョキを出し、私はパーを出して、うまく負ける事ができたので、ほっとして、次は、

「あ〜!負けたあ!!」

と悔しがって見せたら、Aちゃんは至って冷静に真顔でこちらを見て、

「どうしてまけたのか、そのりゆうについてよくかんがえてみて」

というので、私はその意外な一言に驚いて一瞬言葉が出なかった。Aちゃんは本当に賢くて面白い子だ。

 負けを希求していたことを見透かされたのだろうか?彼女のどこからこのよう言葉が出てきたのかとても興味深くてもう少し話してみたかったが、

「パパーっ!!」

と息子が走ってきたので、Aちゃんに別れを告げて息子と園をあとにした。Aちゃんと会うのはもしかしたらこれが最後かもしれない。

同じ月

2023-02-03 | 戯言(たわごと、ざれごと)

 よく晴れた寒い日曜日に、妻と息子と三人で近くの大きな公園に行った。

 三人でここに来るのは久しぶりな気がした。

 

 ふいに妻が、「あ、鳥の巣」、と言うので、彼女が指差す方を見上げた。

 

 その落葉樹の高い木の無数の枯れた枝の中に、大きなヤドリギがあった。


「あ、あれは鳥の巣みたいだけど実はヤドリギだよ。大きなヤドリギだね」

と答えたら、

「へえ、あれがヤドリギなんだね」

と、意外に興味を持ってくれた。

 

 息子は既にだいぶ遠くの方を走っている。

 

 「ヤドリギ、なんとなくずっと探してたんだ。クリスマスの時期に興味を持ってー」

 自分は嬉しくなって、ヤドリギの生態などについてついつい語り始めたら途中から彼女の興味が失せたのが分かったのでこの話は終わりにした。

 

 でも立派なヤドリギでなんとなく見とれてしまって、気づいたら妻は息子の方に駆けて行った後で、二人は遠くの方に見えた。

 自分は急いでヤドリギを写真に収めようとiPhoneで撮影しようとしたら、夕方の澄んだ空に月が出ているのに気づいた。綺麗な月で、ヤドリギと一緒に写真に収めて、二人の方に走っていった。

 翌日の月曜日の夕方は、妻の誕生日のお祝いに恒例の海老名のお店に行った。義理の両親と妹との待ち合わせには時間があったので、それまで三人でビナウォークで遊ぶ事にした。

 息子は相変わらず元気が漲っていて、すごい速さで階段を駆け上り始めて、再び遠くの方にいる。

 その様子を妻がiPhoneで撮影して、家族LINEに送ったものを見たら、昨日と同じ月が、同じ色の空に浮かんでいた。

「この写真、月が入ってるね。意識して入れたの?」

と聞いたら、

「そうだよ、綺麗だよね」

と、なんの気なしに妻が答えたことがなんだか嬉しかった。

 


今年も宜しくお願い致します。

2023-01-30 | 戯言(たわごと、ざれごと)

1月ももう終わりですが、遅ればせながら、皆さん、あけましておめでとうございます。今年も宜しくお願い致します。

今月は、新年早々家族でコロナに感染しました。。幸い誰も重症化しなかったものの、やはり普通の風邪などとは異質なものですね。

うちは、デイケアに通所している母と、幼稚園に通う息子がいて、どちらから来るか、上から来るか、下から来るか、という感じでしたが、結局上から来ました。普通の風邪と異なると思ったのは、とにかく、市販薬では熱が下がらなかったことです。

木曜日に妻と私に症状が出て、木曜日はどのクリニックも大体お休みで、仕方なく市販薬の解熱剤を飲みました。

通常の風邪ならば、解熱剤を飲まなくても(飲んだらさらに)暖かくして早く寝れば、翌朝には確実に熱が下がりますが、今回は、どんなに暖かくしても悪寒と神経痛が収まりませんでした。金曜日の朝一で掛かりつけのクリニックに電話したけれど発熱外来は常に満席で、途方にくれましたが、心ある地元のクリニックのお医者さんが、掛かりつけでもないのに受け入れてくださり、お薬をいただけました。本当にありがたかったです。地元で人々から信頼されている理由がよくわかりました。かくありたいものです。

驚いたのは、処方された解熱剤を飲んだらすぐに熱が下がったことです。

それまでずっと38.6℃が続いていまして、高熱の苦しみは長年経験しておりませんでしたので、これが38℃代のしんどさかと、体感できました。いや、しんどかったですね。

コロナ感染中のダブルケアは過酷です。息子は真っ先に良くなり、母はあまり症状が出ていなかったことには救われましたが、幼稚園もデイケアも訪問ヘルパーも完全に使えない状態で、夫婦ともに高熱でとてもしんどくて、その熱が全然下がらないけど息子と親の面倒は待ったなしでみないといけない。

とは言っても、いただいた処方薬を飲んだらまもなく、大量の汗が出て、熱がどんどん下がっていくのが体感的に分かりました。「あれあれ、体が動くようになってる。動けるじゃん」って感じです。

ついつい長話になってしまいました。

重症化しなくてもなかなかにしんどいですし、二度と掛かりたくないですが、いろいろと学びも多く、意味のある時間でした。本当に人生無駄なこと、無意味な事などありませんね。渦中にいる時はしんどくてなかなかそんな風に考えられませんが。

生活が正常化してから息子に聞いてみました。「コロナウイルスはどうだった?」と。

すると彼は、「たのしかった!」と即答しました。実際彼にとってはかなり楽しい日々だったと思います。

今まで彼にとってはコロナといえば、彼のママが好きな「コロナビール」(「ママビール」と言って栓を抜いてくれます)と、時々家族で行くコロナワールドが経営する「コロナの湯」という温泉施設でしたが、新型コロナウイルスが彼にとってつらくて悲しい体験にならなかったのは救いです。

皆さんも、くれぐれも気をつけてお過ごしください。第8波も気づいたら下火になってきましたが、油断は禁物です。致死率や重症化のリスクが下がっていても、掛かると大変ですし生活は相当に面倒な事になりますから。

皆さんの健康で充実した一年を祈りつつ


臨床心理学博士/公認心理師

黒川隆徳

 

 


正月飾り

2022-12-30 | 戯言(たわごと、ざれごと)

 年の瀬の夕方。

 信号待ちで、後部座席から息子が話しかけてきた。

「みてみて、あそこ、うちとおなじのがかざってある!」

彼が指さす方向を見ると、通りの向こうの一軒家の玄関のドアに正月飾りが取り付けられていた。

「あ、本当だね。正月飾りっていうんだよ」

「どうして しょうがつかざり かざるの?」

私は一瞬考えてから、

「飾ると良いことあるみだいだよ」

と答えたら、

「いいことってどういうことがあるの?」

と、彼はなんだか楽しそうにいうので、

私は再び一瞬考えてから、

「そうだね、たとえば、〇〇とママとパパがこれからの一年間健康で元気でいられるとかね」

と答えたら、4歳の彼は呆れたように、

「そんなのあたりまえじゃーん」

と答えた。うーん、当たり前のことじゃないんだよ、と言いそうになって、またちょっと考えて、

「そうだね、確かに当たり前かもしれないね」

と言ったら、「そうだよ、あたりまえだよ」と彼は繰り返した。もっといいことないの?と。

 毎日手を合わせるような気持ちで過ごしている自分としては、家族の健康が何よりだけれど、息子がそれを当たり前だと認識している現実がまたありがたくて嬉しかった。

 


miracle years

2022-11-22 | 戯言(たわごと、ざれごと)
4歳の息子がアイスクリームを一心不乱に食べている。バニラアイスが薄いチョコレートでコーティングされたものだ。

よほど美味しいのだろう。普段は多弁な彼がこの時は無言で、何かに取り憑かれたように、真剣に食べている。その小さな手で木の平らな棒をしっかりと握りながら。

しかし彼はふいに、「あれ?」と言って、辺りを見回した。

どうしたの?と聞くと、

「◯◯、おうちにいるとおもったらちがうところにいた」と言って笑い出した。私も思わず笑い、ここは大学のカフェテリアだよ、と伝えると、「そうだった」と言って彼は再び笑った。

我々は、ORF(オープン・リサーチ・フォーラム)というこの大学の科学の祭典に遊びに来ていた。さんざん遊び回り、今はおやつの時間の小休止。

確かにそれはおいしいアイスだ。チョコレートの薄いコーティングがパリっとした歯応えで、その瞬間にバニラアイスが口の中にわーっと広がってくる。それにしても、彼は見当識が一瞬狂うほど夢中で食べていたのかと、私はなんだか感銘を受けた。

そっか、◯◯、アイス食べるのに集中してリラックスしてたらここがおうちだと思っちゃったんだね、と言うと、彼はなんだか安心したように、

「そうそう。パパもそういうことある?」

と聞くので、そうだね、パパもたまにそういう事もあるよ、と答えたら、

「そうでしょ」

と言って、彼は楽しそうに笑い、再びチョコレートバーを食べるのに集中し始めた。

そうは答えたものの、自分は何かに解離するほどに感動してそれを味わい尽くした体験を最後にしたのは一体いつの事だったか皆目思い出せなかった。自分の人生にも確かにそんな事もあったという感覚だけは覚えている。

何もかもが新鮮な幼少期は確かにミラクルイヤーで、その一つひとつの彼の体験を大切にしてあげたい、できるだけそこに立ち合えたら、そしてその彼の大事なプロセスを邪魔しないようにしなければ、と思いながら、チョコレートアイスと一体化している息子を眺めていた。
 
 





こころのびょうき #2

2022-03-27 | 戯言(たわごと、ざれごと)

(前回の続き)

昨日の夕方、久しぶりにこの病院の周りを二人で歩いていたら、彼は唐突に言った。

「こころのびょうきのびょういんはよるもやってるの?」

また始まった。彼なりに考えるところがあるのだろう。

「そうだね。この病院は24時間やってるよ」

「こころのびょうきはあしたもつづくの?」

「うーん、そうだねえ。心の病気はそんなすぐには治らないからね」

「こころのびょうきはなおらないの?」

「いや、そんな事はないよ。治るけど、時間が掛かる事があるんだ」

この後しばらく「なんで」の応答が続いた。「なんでひとはこころのびょうきになるの?」、「◯◯もこころのびょうきになるの?」などなど。

息子はとても元気な子だけれど、感受性が強く、最近はウクライナ情勢に影響されている。「ろしあぐんが、うくらいなをおそうのがこわい」、「ろしあぐん、なきながらたたかってるよね?」、などと言ったり、夜中に寝言で「◯◯、ろしあにいきたくない」、と言ったり、彼なりに「こころのびょうき」について考える事があるのかもしれない。

彼の「なんで」にいろいろ考えながら答えていて、ふいにある事を思い出した。なぜ忘れていたのか。

「そうだ、◯◯、パパ、言ってなかった事がある」

「なになに?」

「実はねパパ、人の心の病気、治せるんだよ」、

すると彼の表情は急にパッと明るくなり、

「え〜〜〜!!なおせないでしょう!?」

と歓喜に満ちた声で言った。これは彼が嬉しい時にする反応で、例えばおもちゃが壊れた時、「パパ、このおもちゃ、治せるよ」と言うと、「え〜〜!なおせないでしょう!?」と言う風に茶化してくるのだ。

「いや、本当だって。パパ、人の心の病気治せるんだよ。パパ、よくいろんな人とお話してるでしょ?お話しながらこころの病気治せちゃうんだよ」、

と説明したら、納得したようで、

「◯◯は、れいびょうで、こころのびょうきなおせちゃうよ!どうしましたか?はい、もうなおりましたって」

と楽しそうに、いつものように張り合ってきた。彼なら確かに0秒で人の心の病気を治せるかもしれない。

「そうなんだね、0秒でこころの病気治せちゃうなんてすごいね」

「すごいでしょう!」

こんな感じで話していたら気が済んだようで彼は別の話をしはじめた。

「心の病気」の話題はきっとまた出てくるだろう。

ナデシコジャパンの澤さんが娘さんにサッカーを教えるように、自分は息子に臨床心理学や精神医学を教えていく事になるのだろう。どうせなら、運命論的な論調じゃなくて、楽観的で楽しいものを教えていきたいなと、ふと思った。


こころのびょうき #1

2022-03-27 | 戯言(たわごと、ざれごと)

今から半年ほど前、地元にある県内最大規模の精神病院の周りを、息子と一緒に散歩していた。実はここは、彼が会うことのなかった彼の祖父がかつて院長をしていたところだ。

その病院の正面玄関の前を通り過ぎた時、息子が言った。

「ここはなんのびょういん?」

刹那の逡巡。何て答えようか。一秒ぐらい間を置いて、

「うん、そうだね、ここはいろんな人が来る病院だよ」

と答えた。なんとなくこの会話を早く終わらせたいと思っている自分に気づいた。どうしてだろう。すると息子は、

「ここは◯◯もくるの?」

と、とても素朴に言うので自分はますます困りつつ、

「いや、◯◯は来ないよ」

と答えた。

いつか息子にゆっくりとメンタルヘルスや臨床心理学について教えていこうと思っていたけど、その心の準備がまだできていなかった自分に気づいた。

しかし息子の好奇心は強まるばかりで、

「どういうひとがくるの?」

と、より具体的に尋ねてきた。

ここで再び刹那の逡巡。3歳になったばかりの息子に適切で誠実な回答はなんだろう?しっくりいく結論が出ないまま、

「うん、ここは心の病気になってしまった人が来るんだよ」

と答えた。「心の病気」という表現はあまり好きではないけれど、3歳児には分かりやすいかなと思った。すると彼は、

「◯◯もこころがおれることがあるの?」

と、再びとても素朴に言った。

ここでまたはっとする思いがした。3歳の息子は既に私の話をよく理解している。そして、ずっと先だと思っていたメンタルヘルスについての彼との対話のタイミングが突然訪れたのだ。

それにしても「こころが折れる」という言い回しはどこで覚えたのか。

「そうだね。◯◯も心が折れる事はあるかもしれない。でもね、◯◯にはいつでもパパとママがついているから大丈夫だよ。すぐに元気になるよ」

と答えた。すると彼は安心した様子を見せた。

(続く)