興味津々心理学

アメリカ発の臨床心理学博士、黒川隆徳によるあなたの日常の心理学。三度の飯よりサイコセラピーが好き。

Victim-Blaming (被害者を責める周りの人々)

2006-07-14 | プチコミュニティー心理学

周りで誰かが何かで傷ついているときに、
そばにいる人間がついついしがちなことのひとつに、
Victim-Blaming (被害者を責めること)というものがある。
心を痛めている人を前にして、「何とか励まさないと」とか、
「なんとかアドバイスしなきゃ」とか思って、ついついさらに
追い討ちをかけるようなことを言ってしまう傾向で、
これは誰でも両者の立場において多かれ少なかれ経験のある
ことだと思う。

Victim-Blamingとは、具体的にはどんなことかと言うと、
たとえば、性暴力の被害者の友達が、本人に向かって、
またはその人のいないところで、

「なんでそんな時間にそんなところにいったのよ?」 
「そんな格好してるからだよ」 「不注意だったんだよ」、
「これから気をつけなよ」

などと、被害者を知らず知らずのうちに責めてしまうのは
良くある話だ。いかなる理由があっても、性暴力は
絶対にあってはならないことであって、被害者に非はないのに、
ついつい人はそうしがちだ。

だれかがいじめられたり、差別されたりするのを、
その人の個人的な問題のせいだと非難するのもそれである。
問題は差別意識や偏見そのものの方なのに。

問題なのは、私たちは被害者を責めようとして
そうしているのではないということだ。被害者を救おうとして、
助けようとして、慰めようとして、実のところ被害者を責めている。
いじめられっ子に、

「そんな格好してるからいけないんだよ。もっと他の格好しようよ」

と言ったり、

「暗いからいじめられるんだよ。もっと明るくなろうよ」

と言ったり。

でも言われた本人からしてみたら、自分のライフスタイルや
性格や、存在そのものを否定されているようで、余計に罪の意識を
抱いたり、自己嫌悪に陥ったり、自信を喪失したり、自責の念に
さいなまれたりして、そこには良いことなんて何もない。

人は傷ついたときに、別にアドバイスが欲しいわけではない。
ただ、親身になって、話を聞いてほしいだけかも知れない。

大切なのは、共感である。カール・ロジャースの、来談者中心療法の
根本にあるのは、「人は、共感してもらうこと自体によって癒される」
という考えだけれど、「本当の意味」で話を聴いてもらっていると
感じたとき、人は癒しを経験することは、広く知られている。

周りで誰かが泣いてるとき、傷ついているとき。
その人の気持ちを、こころの痛みを、経験している葛藤や感情を、
まず親身に聴いてあげることが、その人の回復を助ける第一歩だと思う。

でも、「本当の意味で人の話を聴く」というのは、なかなか難しいことだ。
アドバイスするほうがずっと楽だからだ。なぜなら、人は物事に答えや論理を
見出したい動物で、そうしないことには不安や居心地の悪さが伴うからだ。

でも、VICTIM-BLAMINGを避ける努力をすること、相手の気持ちを
理解しようとすること、即座の断定や判断を避けることは、より深く
相手の話を聴くことに繋がり、そうした姿勢の人間が回りにいることは、
こころを痛めている人にとって、なによりのサポートであり、
こころの回復への確実なきっかけとなるものだと思う。