興味津々心理学

アメリカ発の臨床心理学博士、黒川隆徳によるあなたの日常の心理学。三度の飯よりサイコセラピーが好き。

理想

2009-08-15 | プチ臨床心理学
 人間、理想があるから成長や発展があるのだ、という考え方は
一般的だと思うけれど、一方で、理想があるゆえに、
がっかりしたり、怒りを感じたり、悲しみを経験する、ということは
意外と知られていないかもしれない。

 理想とは、ひとつの幻想ともいえる。
幻想とは、そのひとの精神世界や自己愛の賜物であり、
そこには「本当の意味」で、他者は含まれていない。
たとえば、ある夫が「理想の家庭」を思い描いたときに、
そこにもちろん妻や子供は存在するわけだけれど、
その「理想の家庭」のなかの妻や子が、いったいどれだけ
「現実」の妻や子の人格や価値観を反映しているだろうか、
それから、その「理想」を妻や子がまったく同じように
よいものと思っているだろうか、それを共有しているだろうか、
などと考えていくと、その理想の中の「他者」ですら、
そのひとが頭のなかでこしらえたものに過ぎないことが分かる。

 「理想の職場」、「理想の結婚相手」、「理想の家庭」、
「理想の友人」、「理想の社会」、「理想の上司」
それから「理想の恋愛の終わり方」、「理想の転職の仕方」、
「理想の借金の返し方」、「理想の口論の仕方」、
「理想の車の買い方」(書いていて段々わけが分からなくなってきた)
など、「理想の~」というのはその人が理想を持つ限り、
いくらでも存在する。(ところでこの記事は私の理想からはほど遠い)
上の例でも、たとえば、「理想の上司」がいるとして、
その上司との関係性のなかには、多かれ少なかれ、共同幻想が存在し、
無意識に目をそむけている、見たくないような欠点や問題点はあるだろう。
その「目をそむけている」ものがどんどん前面に出てきて、
遂に目をそむけきれなくなったとき、その共同幻想は崩れ、
ひとは失望や、怒りや、苛立ちや、悲しみを経験することになる。

 ところで、いうまでもないけれど、理想と希望とは二つの異なるものだ。
希望とは、もっと現実的で、幻想が少ない分、無理もなく、
そのようにならなかったときの精神的ダメージも少ない。
 たとえば、恋人と誕生日のデートをするひとが、
その日の「理想」をがちがちに固めて頭の中で夢想して切望していたら、
ちょっとしたずれや思いがけないできごとにがっかりするかもしれないけれど、
「こんな感じになったらいいな」ぐらいの「希望」であれば、
そこからちょっとやそっと現実がずれたところで、
もっと柔軟に構えて、その「ずれ」を楽しめるかもしれない。

 このように考えると、「理想などはじめから持たないほうがよい」、
という師の言葉にうなずけるところは多い。
理想があるから、その結果に点数をつけてみたり、自己批判的になったり、
たとえば「今回のプレゼンは90点」とかいって、
十分によくできたのに、フィードバックもよかったのに、
その「10点」ゆえに、フルに自分を認めてあげられなかったり
するひとも多い。

 理想をいえば、理想など持たずに、しかし現実的で柔軟な希望を持って、
そのときそのときの現実をきちんと経験して受け入れていくことだと思う。