- 祐さんから、新しい質問を頂きました。「気の利かない男性」についてです。とても興味深い内容で、せっかくですので、いくつかのレベルにわけて掘り下げて考察してみたいと思います。以下がその質問文の引用です。
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- はじめまして。
つい最近このサイトを発見し、興味深く拝見しました。
よく女性の友人と話すことが、独身の男性は気が効かないというものです。
既婚男性は奥様に教育されているのか、女性の喜ぶツボを心得ているよねという話をしていました。
ところが私の男性を見る目が肥えてきたのか、既婚者でも気の効かない人はいるし、若くてもよく気がつく人もいます。
以前の私の上司は誰もいないのに電話をとらなかったりするなまけものでした。
「え~、ちょっとこの荷物運んでくれてもいいでしょ。」と心の中でつぶやきながらこの人奥さんとうまくいってないのかしらと思うような人がいます。
女性にも気の効かない人はいますが、そういうことって奥さんや彼女の教育ではなく、家庭環境などで培われた本人の能力の問題なのでしょうか。
今いる会社のある男性は気が効かないばかりか、仕事でもミスばっかり。建築関係の会社なので、ほんのちょっとのミスが命取りになるのですが、どうしてこんな人が一級建築士の試験に受かったのか不思議でなりません。
愚痴っぽくなってしまって申し訳ありません。
よろしくお願いいたします。
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まずはじめに、あくまで一般論として、「独身男性は、既婚男性に比べて、気の利かないひとが多い」かどうかについて考えてみたいと思います。このことについての実際の実験などの研究は私の知る限りありませんが、一般常識的な推測で、それから、異性間での結婚についてですが、「結婚という共同生活を経験している男性は、ひとりだけで生活している独身者と比べて、そこに自分とはまったく違う生活環境で育った性格も世界観も異なる他者とうまくやっていく過程で、それまでは気付かなかったいろいろなことを必然的に学ぶようになり、また、その生活から、女性が何を求めているのか知るようになり、その結果、独身時代よりも気が利くようになる」、という推論はすぐに思いつきました。これは実際私の観察する限り、あくまで概して、ですが、YESであると思います。しかし、この差がどれだけ大きいかは疑問です。圧倒的な違いではないし、そうでないケースも相当にあります。
たとえば、亭主関白で超ワンマンな男性が、控えめで消極的で気配りの細かい女性と結婚したら、彼がこの結婚で「気が利く」ようになる可能性は低いですし、また、もともと気の利いていた男性が、非常に独立心が強く、相手に何かをしてもらうことに強い抵抗を示す女性と結婚したら、彼は彼女とうまく生きるために、今まで気を利かせてしていたいろいろなことをしないようにしていきます。「しないこと」が、この女性とスムーズにやっていくことに繋がるからです。このような結婚生活を何年も続けているうちに、彼はしないことが自然になり、独身時代と比べて「気の利かない」男性になるかもしれません。
それから、結婚はしていないものの、事実婚など、長期的、半永久的な同棲をしている男性は、この論理でいえば、新婚の男性よりも、独身でありながら、ずっと気が利く可能性は高いです。また、先ほど、「異性間での結婚」と書きましたのは、たとえばGayのカップルは、日本では「結婚」はできないものの、その共同生活で、ものすごく気が利くようになる人が多いです(彼らのなかにはもともと女性のような気遣いをする人が多いですが)。
さらに、これもよく知られていることですが、年下のきょうだいがいたり、異性のきょうだいがいる人は、一人っ子のひとよりも、気が利くことが多いといわれています。きょうだいという、血は繋がっているものの自分とは異なる人格をもった他者とうまくやっていくなかで、いろいろなバランス感覚、気配りを学ぶからです。
ところで、電話をとらないあなたの上司は、気が利かない、というよりも、性格の問題かもしれません。ひょっとしたら気付いているものの、部下のあなたが電話に出ることが当然、または、出るべきだと思っているため、出ないのかもしれません。あなたがいなくて、ひとりだったら出ているかもしれませんし、もしそこに彼の上司でもいたら、彼はさっさと受話器を取っているかもしれません。あまり感心できない態度ですが。。。
「女性にも気の効かない人はいますが、そういうことって奥さんや彼女の教育ではなく、家庭環境などで培われた本人の能力の問題なのでしょうか」、という質問に対する回答ですが、「奥さんや彼女の教育」と、「家庭環境などで培われる」ものに、はっきりした境界線、違いはなく、どちらの状況下においても、本人が身につけたものは能力であり、それは、これまでの説明でお分かりだと思います。
さて、ここから一段レベルの高い話をします。
人間は、無意識的に、自分の関心のあるものにどんどん注意が向き、同時に興味のないものには注意が向かないことがよく知られています。これは認知心理学の実験などでも明らかなことです。つまり、あながた他者を観察するときに、ほとんど無意識的に、「気が利く、利かない」、という基準を基にしているため、そこに神経が集中し、いままで気にならなかったことまで気になるようになっている、という印象があります。
また、人間は、以前私が『確証バイアス』の記事でも書いたように、自分が見たいものを見、見たくないものは見ない、つまり、自分の考えにつじつまがあう情報に注意がいき、つじつまが合わない情報は無意識に排除される、ということです。たとえば、あなたのまわりの「気の利かない」ひとが、いつも気が利かないのではなく、何か気の利くこともしているのだけれど、確証バイアスによって、その情報が抜け落ちている、という可能性があります。
もうひとつ、これも実は大事なポイントですが、「何をもってして、気が利く」のか、「気が利く」とはどういうことなのか、自問してみると新しい発見があるかも知れません。というのも、これらは人それぞれで全然違った基準があったりするもので、その人の価値観に左右されるところが多く、ある人にとっては「気の利く」行為が、別の誰かにとってはどうでもよかったり、全然気にならない場合もあるからです。もちろん、誰がどう見ても気の利かない人はいますが、「ちょっと気が利かないなあ」、と思った人が、実は別の視野でみると案外気が利いていたりすることはよくあります。このように考えていくと、何かが気になったとき、相手に注意を向けるよりも自分のこころを観察することで、何が自分にとって大事なのか、対人関係でどのような欲求が自分にあるかなど、いろいろな発見があって面白いです。
最後にまとめますが、気が利く人、気が利かない男性の違いは、1)配偶者、長期的なパートナーの有無、2)家庭環境の違い、3)1と2の相互作用、4)本人の性格、5)1、2、4の相互作用、そして、6)あなた自身の認知によるものと、その人の言動との相互作用、という少なくとも6つの観点において考えられると言えそうです。