興味津々心理学

アメリカ発の臨床心理学博士、黒川隆徳によるあなたの日常の心理学。三度の飯よりサイコセラピーが好き。

共感性 その1 (Empathy #1) 

2015-01-12 | プチ精神分析学/精神力動学

 普段の生活のなかの対人関係で、私たちは誰でも多かれ少なかれ、傷ついたり、悲しんだり、苛立ちや怒りを感じます。それはどんなに恵まれた人間関係においても起こることなので、難しい人間関係のなかでは本当によく起こります。私たちは同時に、そうするつもりはなく、他者にそのような経験をさせてしまうこともあります。

 さて、このように誰かを傷つけたり、傷つけられたりするときに、根本的には何が問題になっていたのかといいますと、そこには共感性の問題があります。

 共感性とは、自分の主観は傍らにおいて、相手の立場に立って、物事を見たり、感じたり、想像したりする能力です。これは、同情(Sympathy)とは似ていて異なるものです。同情は、自分の気持ちや経験を、相手に重ね合わせた投影によって起こりますが、共感は、そうした投影を超えて、正確に相手の立場や気持ちを理解することです。誰かをみて、「ああ、かわいそう」と思った時、私たちは、その人に対して同情している場合が多いですが、共感は、その「かわいそう」から一歩でも二歩でも進んだ、深い理解によります。

 とはいっても、同情と共感は共通する部分も多く、ある種の同情は、共感であったりします。たとえば、誰かを見て「かわいそう」と思った時、その対象が、本当に「あたしかわいそう」と思っていたら、それは共感です。逆に、「かわいそう」と言葉に出して、その人がこころを開く代わりに、あなたには予想外の反感などを示した場合、そこには共感ミスがあったと考えられます。あなたが何か辛い経験をしているときに、投影的な人がやってきて「ああ、すごくよく分かる!分かるよ!!」と言ってきたときに、「あんたになんか分かるわけない」という気持ちがでてきたときも、これにあたります。その人は、自身の経験をあなたに重ね合わせているだけで、あなたの気持ちは理解していないかもしれません(脚注1)。

 というのも、その人はそのとき実際のところ「あたしかわいそう」と思ったかもしれません。その時点では、あなたは正確に相手の立場を理解していたことになります。しかし、もし反感に遭った場合、あなたは、その人がたとえば強くありたいと思っていたり、同情されたくない、と思っていることに注意を向けることができなかったり、理解できなかったためなので、この段階で、共感ミス、ということになります。

 この場合の上手な対応は、いろいろ考えられますが、たとえば、「かわいそう」という代わりに、「ひどいよね」とか、「大変だね」とか、「大丈夫」とか、別の言葉を掛けてあげたり、また、声ではなくて、まなざしであったり、表情であったりするかもしれません。そして、もしかしたらその人は本当に、誰からも放っておいて欲しいかもしれません。その場合、そのときはそうっとしておいてあげて、後で歩み寄るのがよいかもしれません。

 共感性は、あらゆる人間関係の問題や、良い人間関係における鍵概念で、とても大切なテーマですので、これから何度かに分けてお話してゆきたいと思います。

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(脚注1) 世間一般において、「誰々の~なところにすごく共感します!」というふうに、「共感」という言葉がしばしば使われますが、これは、精神分析学や臨床心理学における「共感」とは意味合いが異なります。「~にすごく共感します」と言うときに、その人は大抵の場合、自分自身の経験や意見、気持ちなどを、その人に重ね合わせているわけで、それが(心理学における)本当の共感である場合ももちろんありますが、ただの投影に過ぎない場合もよくあります。