興味津々心理学

アメリカ発の臨床心理学博士、黒川隆徳によるあなたの日常の心理学。三度の飯よりサイコセラピーが好き。

前に進むことを急ぎ過ぎないことの大切さについて

2016-05-17 | プチ臨床心理学

何かに躓(つまず)いた時に、「早く立ち上がって前に進みたい」と願うことは、とても健全であり、大切なことだと思う。それは回復したい、克服したい、成長したいという願いだ。

しかし人はときに、前進することを急ぎ過ぎる。

それはたとえば、会社の人間関係の問題で鬱になり、休職を余儀なくされた人たちに見られる傾向だ。

こうした人たちの多くは、とてもまじめで、倫理的で、責任感の強い人たちだ。

「自分が休んでいることで部署の人達に迷惑を掛けてしまっている。早く戻らないと」。

それは胸が痛むような、切実な思いだ。

彼らは「休職」ということで、会社を休んでいるけれど、精神的にはまるで休めていない。四六時中、罪悪感と焦燥感に苛まれている。休むことになってしまったことで、「もう少し頑張れたのではないか」と、現在働き続けている人たちと自分を比較して恥じたり、劣等感に苛まれたりしている。

こうしたときに、「早く良くならないと」、「もう1ヶ月も休んでいる」、「自分は駄目な人間だ」と、心身の調子が戻らないことに焦り、いつ戻れるのか、また、戻ったところでいつ再び同じようなことで躓くのかと、将来にものすごい不安を感じ、八方塞がりのように感じてしまう。

こういうときに、周りの人が、「今はとにかく休もう」と言ってもそれはなかなか伝わらないし、自分が感じている苦しみを周りがわかってくれないことで、どうしようもない孤独感を感じることもある。

こうした思いを抱えて藁をもつかむ思いで私のところにやってこられる方に寄り添って、共感して話を聞いていると、「何とかしてあげないと!」とこちらも焦る気持ちが強くなり、思いつきのアドバイスや認知行動療法などのテクニックを使ってでも速やかに助けてあげたい、という感情に扇動されそうになることがある。

これを逆転移(Counter-transference)というが、ここで実際にいきなり認知行動療法などを始めるのは、その強烈な逆転移の行動化であり、セラピストがクライアントと一緒になって焦ってしまっては良い変化は望めない。

逆転移の強い感情に耐えられない時にセラピストは行動化するが、ここで本当に大切なのは、セラピストがその感情と心の痛みに耐えて、向き合って、落ち着いてクライアントの話を聞き続けることだ。

ただ、この思わず動かさせそうな胸の痛む感情は、目の前のクライアントが感じている感情そのものであり、これをうまく伝えることで、クライアントは、理解されている、分かってもらえている、という気持ちがでてきて、孤独感が軽減し、焦燥感や罪悪感とも冷静に対峙できるようになる。

セラピストは、クライアントの心の痛みを経験し、受け止めて、クライアントと一緒に悩み考えなければならない。サイコセラピーは、セラピストが自分のこころを使ってクライアントのこころを治していくプロセスだ。

こうしているうちにクライアントは、「どんなに会社を休んでも、こころが休まっていなかったら、いくら休んでも休めていない。こころから休めるようになったときに、復職の可能性が現実的になる」、という私の話を信じてくれるようになる。信じて、心から休む勇気がでてきて、個人差はあるけれど、そのしばしの「休み」を楽しめるようになる。

立ち止まる勇気がでてくる。

きちんと一時停止しないといけないところで徐行運転をして済まそうとすると、事故を起こしたり、捕まってしまう。

立ち止まって、休職の原因となった人間関係について振り返り、さらには、その奥にある、自分自身との関係性、過去の未解決の問題についても洞察を深め、無意識を意識化し、根本的な問題が改善、解決されていく。

こうしたプロセスなしに、焦る気持ちに流されるままに付け焼刃的なリワークや社交スキルトレーニングのようなことをしても、それは傷口に貼り付ける絆創膏のようなもので、根本的な問題の解決には至らないから、復職しても、将来同じようなことで躓きやすい脆弱性は残したままになる。

このように、人は何かに躓いたときに、焦らずに、きちんと立ち止まって躓いた理由について理解することが大切だ。

躓いたことを認め、そんな自分自身を受け入れてあげるところから、真の前進は始まる。