興味津々心理学

アメリカ発の臨床心理学博士、黒川隆徳によるあなたの日常の心理学。三度の飯よりサイコセラピーが好き。

怒りへの上手な対処法について

2017-08-21 | プチ臨床心理学

 今回は、999さんからのリクエストにより、怒りのコントロールについて書いてみたいと思います。999さん、お待たせ致しました。以下が999さんからの質問になります。

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怒りのコントロールの事について聞きたいです。
昔の記憶からの怒り、あるいは精神的な未熟さ(我慢弱さなど)で、怒りのコントロールに最も根本的に有効的な方法、あるいは、対処的にでも有効的な方法を教えてください。


すいませんが、個人的な事はこちらは書かず黒川先生の意見が聞きたいです。
明確なアドバイスでなくても、黒川先生から広範囲な見方での考えを聞きたいです。
ブログの更新を楽しみにしてます。

 

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一口に怒りといっても、それには実に様々な種類の怒りがあり、その怒りには、様々な理由があります。

たとえば、とにかく短気で怒りっぽいことに困っているけれど、怒りをあまり引きずらないという方もいれば、とくに短気でも怒りっぽくもないけれど、ある特定の状況や人物に対して、怒りがどうしても収まらなくて苦しい、という方もいます。また怒りには、適切で、正当性のある怒りもあれば、経済的に不利な立場にいる配偶者や子供、部下や後輩など、自分よりも弱い立場にいる人を支配したり、八つ当たりしたりと、非常に不適切で間違った種類の怒りもあります。いずれにしても、怒りという我々人間の基本感情は、喜び、悲しみ、恐怖、嫌悪などと同様に重要なもので、適切な怒りというものは、人間という社会的な存在が、その社会のなかでうまくサバイブするために、なくてはならない感情でもあります。怒りには怒り特有の重要な役割と機能があるのです。

しかし我が国日本では、社会的、文化的に、怒りという感情に対してマイナスのイメージがあります。親や教師から、とにかく怒るな、怒ってはいけないと、怒ることがとてもいけないことのように言われて育った方も多いと思います。2017年現在でも、本屋に行けば、いかに怒らないでいられるか、どのように怒りを抑制するかについて書かれている自己啓発本がたくさんあります。私はこの傾向を悩ましく思います。なぜなら、適切で正当性のある怒りをあまりに多くの人がうまく表現できずに、鬱や不安、摂食障害、アルコール使用障害、ギャンブル、薬物、買い物、セックスなどのあらゆる依存症、身体表現性障害などに陥って苦しんでいることが本当に多いからです。怒りを表現できないことが常に直接的にこうした精神疾患と結びついている、とまでは言いませんが、怒りの問題は、こうしたメンタルヘルス不全に大いに関係しています。ここで大切なのは、怒りという自然な感情を押し殺すのではなくて、きちんと経験して、適切な形で言語化して自分の思いを相手に伝えることです。怒りを爆発させずに経験して相手に伝えるためには、怒りという感情を上手く扱う必要があります。今回の記事が999さんと読者の皆さんにとってその一助となれば幸いです。

怒りというテーマは、日々の臨床の中で、非常に普遍的なテーマであり、不適切で破壊的な怒りの表出で人間関係を壊してしまうことが多くて苦しんでいる方から、怒りを感じることが全くできずに鬱や体調不良、慢性的な空虚感などに苦しんでいる方まで、日々多くのクライアントさんにお会いしているので、怒りについて感じること、考えることは多く、このポストも例によって内容が拡散して収集つかなくなりそうなので、なんとかまとまりのある記事にしたいと思います。

怒りについてまず考えるべきことは、先述した怒りの機能と役割です。なぜ、怒りという、多くの文化圏でネガティブなものであるとされている感情が、人類誕生から今に至るまで我々の基本感情として残っているのか。それは人間が社会的存在としてのサバイバルに必要だから、と言いました。それはつまりどういうことかといえば、たとえば、以下は例によってでっち上げのフィクションですが、悟さんの悪徳上司和也さんが、悟さんが営業で取ってきた契約を自分の手柄にしようとしているのを発見した時。ここで悟さんの精神が健全であれば、怒りを感じるはずです。正当な怒りです。怒りを感じて、自分の感情や考えを言語化して、和也さんの不正を阻止することでしょう。それで和也さんも、悟さんはそういうことができない相手だと学びます。一方、悟さんに過去の様々な理由で怒りを表現することができずに、この瞬間に怒りを無意識的に抑圧したり、否認したりして、自分の怒りの感情を認識できないとどうなるでしょう。和也さんは、悟さんは搾取できる相手だと認識して、以後も同じようなことをして悟さんを利用することになるかもしれません。結果として、悟さんはすごいストレスに苦しむことになりますし、それで鬱に陥るかもしれません。

さて、ここで悟さんが経験した怒りは、悟さんをどのように助けてくれたでしょうか。

和也さんという他者が、自分の手柄を横取りしようとしている、つまり、自分の所有物が、他者によって略奪されそうになっている危機に瀕していることを、気づかせてくれていますね。他にも例はいくらでもあります。悟さんの妻の恵梨香さんに、独身でイケメンで経済力もある和也さんがちょっかいを出し始めたとき、悟さんは健全な精神状態であれば、怒りを経験するはずです。怒りは悟さんに適切なアクションを促し、和也さんを恵梨香さんから遠ざけます。それで悟さんは無事に恵梨香さんと子供を作り、子孫を残すことができました。しかしもし悟さんがこの瞬間に怒りを経験できないと、恵梨香さんはことによると和也さんとできてしまうかもしれないし、恵梨香さんを奪されて子孫を残す機会を喪失してしまうかもしれません。進化心理学的に書いてみました。手に汗握る恐ろしい話ですね。でもこういう悲劇は実際にいろいろなところで起きています。ところで、この時の悟さんの怒りを見た恵梨香さんは、悟さんが自分のことを大切に思っているのだと感じるでしょうし、もし怒りが観察されなかったら、自分のことなんてどうでもいいと思われていると誤解するかもしれません。怒りにはこうした二次的なコミュニケーション機能もあります。子供が危ないことをしているときに、親がある程度強く叱ることで、子供にはそれがどれだけ危険だかわかるものです。

やはり話がまとまらなくなってきたので、この辺で仕切り直しをします。ここまでをまとめますと、怒りには、1)自分の大切な人、ものが、何者かによって奪われそうになっていることをその個人に教えてくれて、適切なアクションを促す、という機能があります。他にも、2)自分の大切な人、ものが、何者かによって危害を受けそうになっているのを認識したとき、適切なアクションを促して、大切な人、ものを守ることを可能にしてくれます。また、3)自分自身が身の危険に立たされた時、その状況を克服するための適切なアクションを促してくれます。他にもいろいろありますが、こうしたことが、怒りの進化心理学的な機能です。

問題は、その個人の成育歴や性格、過去の非常にネガティブな経験やトラウマなどにとって、この怒りという感情を感じすぎる場合や、逆に、感じることができない、という場合です。たとえば、幼少期の家庭環境の問題で、非常に嫉妬深い人がいたとします。嫉妬とは、自分の大切な人の愛情や注意、関心が、自分ではない他の誰かに注がれてしまっているのを察した時にでてくる感情ですが、この嫉妬心の強さは、その人の不安感や世界に対する基本的信頼の問題などとも関係しています。強い嫉妬心は、誤反応を及ぼします。たとえば、先ほど登場した悟さんですが、もし悟さんが極端に強い嫉妬心に苛まれていたら、全く潔白の恵梨香さんのあらゆる社会的行動や付き合いが気になるでしょうし、人間関係に潔癖で既婚で子持ちの和也さんと街でたまたま会ったときの他愛のない小話に怒りを感じるかもしれません。お分かりのように、この時の悟さんの怒りは不適切で場にそぐわない怒りであり、この怒りは悟さんの人間関係や人生において、不利に働きます。このような不適切な怒りと不安感に苛まれている方は、ご自身で問題意識がある場合が多く、セラピーにもお越しになるので、その怒りについて取り組むことになります。

ここで何について取り組むかと言えば、それは本当に多岐に渡るのですが、しごく大雑把にいうと、まずはその人の半生についてじっくりとお話を聞かせていただきます。その人の幼少期の親子関係、ご両親や近かった祖父母、叔父叔母の性格、家庭環境、特筆すべき出来事、小中高校時代、大学時代、職歴、トラウマなどについて、聞かせていただきます。多くの場合、こうした方は、過去の未解決な問題やトラウマがあるので、その解消、克服をします。冒頭で、特に短気でもないのに何か特定の人、もの、状況に対して怒ることが多かったり、怒りが収まらなくて困っている、という方は、たいていその怒りは過去のトラウマと繋がっています。いわば、トラウマ反応としての怒りなので、トラウマを克服することで、それに関連する現在の人、もの、状況に対して強い感情を抱くことがなくなっていきます。

トラウマというと、何か大掛かりなことを想像する方もいらっしゃるかと思います。もちろん、何か大きなトラウマである場合もありますが、自分ではそれほど意識していなかったけれど、実はトラウマになっていた、という種類のものもあります。いずれにしても、人間生きていれば何かしらのトラウマを経験するものです。それが現在の生活を常に脅かす深刻なものもあれば、普段はほとんど問題になっていないけれど、何かしらの引き金(Trigger)で、活性化する種類のトラウマもあります。まったくトラウマのない心が無傷の人間などいなく、人は何かしらのソフトスポット、弱点を持っています。

そこで、今回紹介したいのは、多くの人にとって多かれ少なかれ役立つであろう、認知行動療法のテクニックを紹介します。

認知行動療法についてはここでも過去に何度か紹介していますが、今回は少し具体的なテクニックについてお話します。

まず、我々のあらゆる基本感情(喜び、悲しみ、怒り、恐怖、嫌悪)は、誰かの言動や出来事そのものによって起こるわけではありません。たとえば、上司から叱責を受けたときに、ひどく落ち込む人もいれば、それほど落ち込まない人もいます。たとえば、上司の美咲さんに怒られた部下の健司さんと崇さんですが、健司さんはすごく落ち込んだのに対して、崇さんはあまり落ち込みませんでした。ふたり同じことで、ほとんど同じように叱責を受けたのに、どうしてでしょう?健司さんの落ち込み、悲しみ(感情)は、美咲さんからの叱責(出来事、他者の言動)そのものによって起きたわけでないのがここからわかります。

では何が健司さんの悲しみを引き起こしたのかといえば、健司さんが、美咲さんからの叱責を、「どのように解釈したか」です。

この「解釈」つまり、認知の仕方に着目したのが認知(行動)療法です。しかしこの解釈は通常ほとんど無意識的に行われていて、瞬時に起こるものなので、本人もなかなか自覚できません。実際、この解釈的思考は、自動思考(Automatic thoughts)と呼ばれるぐらい、自動的、無意識的です。

しかし、注意を向けることで、この自動思考の特定や抽出は可能です。

やり方としては、あなたが何か強い感情を感じたときに、「今頭の中を何が過った?」("What's going through your mind?")です。

例えばこういうことです。

健司さんは美咲さんに、「大した仕事量でもないのに何でそんなに仕事遅いの?やる気あるの?もっとしっかりしてよ!」と言われて、とても悲しい気持ちになり、落ち込みました。例えば私がカウンセリングのセッションでこの話を健司さんから聞いて、「その時の状況をよく思い浮かべてください。何が頭の中を過りました?何か考えとか?」と聞いてみると、「ああ、なんか、『やっぱり俺は無能なんだ。この会社にいちゃいけないんだ』って思いました」と答えます。なるほど、自分は無能だ、この会社にいちゃいけないんだ、って思ったら、すごく悲しくなりますね。はい。すごく悲しかったです。今思い出しても悲しいなります。ですよね。悲しいですよね。それにしても、健司さんは本当に無能なのですか? え? ああ、そんなことを言われるのはやっぱり私が無能だからだと。そうですか。健司さんには確か三人の上司がおられましたよね。他の二名の方もそのように言うんですか? いや、他の二人の方はそんなことは言いません。頭の中では思ってるかもしれませんけど。褒められることはないんですか? あ、いや、お二人ともよく褒めてくれます。先日もプレゼンがあったのですが、とても分かりやすかったと言ってくださいました。良いですね。それで、仕事は遅いって言われますか? いや、そういうことを言うのは彼女だけです。自分でも、仕事が人より遅いとは思っていなかったので、ショックだったんです。今までのお話を聞いていると、相当な仕事量ですよね。確か、3人の方から引き継ぎを受けたって言ってましたよね。そうなんです。すごく忙しくて。なるほど。そういえば、同期の崇さんも遅いって怒られていましたね。あは、そういえばみんな彼女から怒られてますね。そうなのですね。それはもしかしたら、そういうことを言う美咲さんの方にも問題があるかもしれませんね。ええ、実は、彼女の下で過去に5人鬱で休職している人がいます。5人!それはすごいですね。美咲さんにきつく怒られるのは、明らかに健司さんだけではないですね。そういえば、崇さんはどうして落ち込まなかったんでしょう。ああ、不思議に思って聞いたんですよ。そうしたら、「パワハラ上司がまた始まった」って思ったって。なるほど、全然個人的に受け止めていませんね。一方で健司さんはとても個人的に受け止めていますね。仕事の絶対量は間違えなく多そうですし、美咲さんの方にも問題がありそうですが。そうですね。自分なりにやってるつもりですし、他の人からはそういう指摘は受けませんし、彼女は最近なんだかイライラしているから。いいですね。「自分なりにうまくやっているし、他の人からは遅いといわれないし、彼女は最近イライラしている」。彼女から怒られたことを思い出してみて、さっきの「俺は無能だ、この会社にいちゃいけないんだ」と置き換えてみてください。「自分なりに~」と。はい。今どんな気持ちですか? あ、ずっと気が楽ですね。

例がだいぶ長くなってしまいました(繰り返しますが、これはフィクションです)が、ここで私が健司さんとしていたのは、問題となっている自動思考を抽出して、その自動思考がどれだけ正確であり、妥当性を持っているのか、多角的に検討して、それに相反する、より現実的で建設的な、代わりになる思考を作る、という作業です。自動思考である解釈そのものが変わることにより、感情にも変化が及ぼされるわけです。

これを、あなたが何かで怒りを感じたときに、ひとり認知行動療法をやってみるわけです。

たとえば、あなたがピザのデリバリーを頼んだら、どういうわけかいつまで経っても配達されず、問い合わせたら、どういうわけかオーダーがきちんと入っていなくて、再度注文したら、1時間待たされたあげくに違うものが届いたとき、あなたは怒りを感じるかもしれません。というか、これは誰でもイライラする状況でしょう。多少のイライラでしたら、それは正当な怒りですし、怒るのも当然です。イライラしながらも、オペレーターや配達員に対して切れずに対応できたのならば、あなたは特に怒りにおいて問題のない方かもしれません。問題は、こういうときに腹が立って仕方がなく、オペレーターに怒鳴り散らし、配達員に暴言を吐き、コールセンターに電話し、さらにそこでオペレーターに暴言を吐くような場合です(コールセンターに電話して落ち着いて苦情を入れるのは問題ないでしょう)。オペレーターに切れそうになった時に、自問します。「今頭のなかで何が流れている?」と。「客を何だと思ってるんだ」、「自分は軽視されている」、「せっかくピザを頼んだの台無しだ」、「無能なバイトのせいで」、など、いろいろ出てくるでしょう。こうした時に、「落ち着こう。オーダー入れなかったのはこのオペレーターじゃないかもしれない」、「きっとオーダーが多すぎてキャパオーバーだったんだ」、「人間誰でも間違えはある」、「運が悪かった」、「クレーム入ってテンパってオーダーミスしたんだ。仕方ないなあ」、「割引してもらおう」、などと考えると、だいぶ怒りは落ち着いてくるはずです。お分かりのように、この時の凄まじい怒りは、このネガティブな状況に対して特定の解釈をした時に起こります。その特定の解釈を意識化して、より多角的、現実的な思考を考えてみることで、怒りという感情そのものに変化が生じるわけです。これは他にも、誰かが待ち合わせ時間に遅れてきたときにすごく腹が立つ人が、「自分は軽視されている」、「人の時間を大切にしてくれていない」、などという自動思考に気づいたとき、「きっと何か事情があったんだろう。とりあえずわけを聞いてみよう」、「この人はなんだか毎回遅れてくるけど、遅れてくるのは自分に対してだけじゃないみたいだし、何か個人的な問題があるのだろう」などと考える、つまり、相手の言動を個人的に受け止めることをやめると、怒りの感情も軽減するものです。

もうひとつ、怒りという感情は、第二感情と呼ばれるもので、第一感情(悲しみ、傷つき、羞恥心、罪悪感、恐怖など)を覆い隠す機能があります。悲しみや、恐怖、傷つきた気持ちは、個人にとって、感じることがあまりにも精神的に苦痛である場合があります。この場合、そうした第一感情を感じ続けるよりも、第二感情である怒りを経験する方が、まだましであるので、怒りのほうを感じる、ということもしばしばあります。たとえば、悲しみを感じたら鬱になってしまいそうで、その悲しみから自分を守るために怒りを感じる人がいます。罪悪感を感じるのがしんどいので逆ギレする人もいます。これは明らかに不適応としての怒りで人間関係にも問題が生じます。話がさらに長くなってしまうので、今回は簡潔に述べますが、こういうとき、大事なのは、怒りに覆い隠された本当の感情のほうをきちんと認識して、経験することです。その第一感情をきちんと経験できると、怒りは収まります。なぜならこの時、防御としての怒りは必要なくなるからです。

やたらと長いエントリーになってしまったので、最後に少しまとめます。

怒りは人間にとって不快な感情であるため(脚注1)経験し続けるのは精神的に苦痛ですし、さらに社会的、文化的にも怒りを感じることがいけないことであれば、怒りを感じることに対する罪悪感も生じ、その相乗効果でさらに耐え難い感情となり、その圧力が強ければ、人はその感情を無意識的に抑制したり抑圧したり、否認することを学ぶようになります。怒りという感情が存在しなかったことにしてしまうのです。このように、自分が本来抱いている自然な感情を経験できないことが、その人の心身に悪影響を及ぼします。

ですので、むしろ私は、皆さんが怒りを経験したときに、その自然な感情をむしろ擁護するように勧めます。自分の感情は、まずは自分で受け入れて、大切にしてあげます。受け入れることができ、きちんと経験できた感情は、やがて自然に消えていきます。受け入れがたい怒りを、葛藤を感じながら、だましだまし感じていては、その怒りはなかなか解消しません。私としては、怒りを感じた時、その怒りを押させつけることもなく、ただあるがままに感じ続けるようにしています。もちろん怒りは不愉快な感情ですが、その怒りにとことん向き合って、怒りの原因となっている事物について、考え続けます。それはときに本当にイライラするものですが、精神力を鍛える機会だと捉えて怒りを感じ続けていると、最初は「この怒りは一生消えないんじゃないか」と思えたことも、不思議なことに、ほとんどの場合、徐々に徐々に消えていきます。そのタイミングは、自分なりに、その事物について心の整理がついたり、答えが出たときです。その答えに基づいて、必要であれば、アクションを取り、問題の直接的な解決を図ります。問題は、解決する場合もあれば、そうでない場合もあります。しかし、怒りという感情を大切にし、怒りが何を自分に教えようとしてくれているのかそのメッセージを把握し、そのメッセージを活かして自分のために立ち上がること自体が大事なのだと思います。このようにして一度答えが出た事物については、再度同じような状況に遭遇したときも、怒りを感じることもなくなります。怒ることなく、適切に対処できるようになります。怒りとは不思議なもので、このようにあるがままに経験し考え続けているうちに、矛盾するようですが、怒ること自体、少なくなっていきます。怒りへの向き合い方は人それぞれですし、その怒りの性質にもよります。この記事で紹介した認知行動療法的なアプローチが功を奏する場合もあれば、トラウマの解決に向けて取り組む必要がある場合もあります。



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(脚注1)進化心理学的に怒りが不快な感情であるのは、人がこの感情を一刻も早く解消したいため、怒りの原因になっている問題を速やかに解決するためです。もし怒りが人間にとって快適な感情だったら、取り除きたいとも思わないので、その個体はサバイバルにとって必要なアクションを速やかにとることもなく、致命傷を負っていたかもしれません。