興味津々心理学

アメリカ発の臨床心理学博士、黒川隆徳によるあなたの日常の心理学。三度の飯よりサイコセラピーが好き。

否定から肯定へ

2019-06-24 | プチ精神分析学/精神力動学
「少なくとも今は何が嫌で何が自分に必要ないかはよく分かるようになった」とか、”At least now I know what I don’t like or what I don’t need.” とか、ひとりの人とまとまった時間サイコセラピーに取り組んでいると、文化を超えて、しばしば聞こえてくる言葉があります。

こうした言葉を聞くと私は嬉しくなります。なぜなら、一見否定的にも聞こえるこうした言葉は、その人の自己感やアイデンティティが確かなものになってきている現れだからです。

それはまた、これまで長いこと抑圧されてきたその人の主体性が息を吹き返して元気になりつつある現れです。

こうした現象からよく思うのは、まだ言葉を話すことのできない赤ちゃん達の日に日に強くなる自己感や主体性です。

赤ちゃん達は、まだ言葉が話せない段階から、個人差もありますが、生後10ヶ月ぐらいになると、かなり力強い自己主張をするようになります。

まだ言葉を身につけていないので、「何が欲しい」と言うことは当然できません。

しかし、何が欲しくないのか、何が嫌なのかは、とてもはっきりと主張するようになります。

例えば離乳食を与えている時に、いくつかの料理があると、食べたくないものがスプーンで口元に運ばれてくると、口を開かなかったり、一度口に含んだものを「ベーっ」と吐き出すようになります。

もう少し進むと、首を勢いよくブンブン横に振って、「それじゃない」と養育者にはっきりとわかるように伝える事ができるようになります。

面白いものです。

その子なりの食べたい順番があって、結局は全部食べるけれど、例えば「今水が飲みたい」時にご飯を出されるとブンブン首を振り、お豆腐を出されても首を振り、養育者が水だと気付いてマグカップを差し出すまで他のあらゆるものを口にするのを拒否するけれど、ひとたび水を飲むと満足して食べるようになります。

ピンポイントで「○○が欲しい」と言えないから、養育者が、「これかしら?」、「これ?」、と、その子の反応を見ながら何が欲しいのか順番に試していくわけですが(指を指すようになりますが、何を指差しているのかわかりにくい事もあります)、この子達の「否定」や「拒否」が、肯定へと繋がる否定であることはよくわかります。

サイコセラピー、特に精神分析的・精神力動的心理療法は、しばしば「育て直し」と言われますが、その人が生まれ育った家庭環境で、嫌なものを嫌だという事が親から受け入れられなかったり、欲しいという事が許されなかったり、欲しくないものを受け入れることを強制されるという経験を重ねていると、人は自分が何を欲しいのか、また何が必要でないのか、わからなくなります。

なぜなら、そうした否定的な環境で、受け入れられない自分のニーズを意識し続けるのは本当に辛いからです。

受け入れてもらえないなら感じることをやめよう、という意識的、無意識的な試みは、子供の知恵です。

そうして否定的な家庭環境を生き抜くわけですが、そうしたことの代償は、その人が大人になって、自分は何が欲しいのかわからなくて、自分にとって正しいものを選べなかったり、間違ったものを選んでしまうことです。

それはキャリアかもしれないし、結婚相手かもしれないし、ライフスタイルかもしれません。

それでも、サイコセラピーを通した、否定されたり裁かれたりする事のない、受容的で共感的な治療関係のなかで、その人がかつて無意識に抑圧してしまっていた主体性が少しずつ息を吹き返してくるのです。

本当は嫌いな事、欲しくない事を、相手の反応を心配しなくても良い安心安全な雰囲気ゆえにプロセスできるようになり、冒頭のような言葉が発せられるようになるのです。

これは発達促進的な関係性であり、一種の修正的情緒体験です。

このように、発達心理学的見地からも、人間はもともと否定から始まるわけで、しかしその否定が他者から大事にされることで、強い主体性や自己肯定感に繋がっていくのだから、ある種の否定は決して悪いものではないと思うのです。