ときどきアメリカ人の日常会話で出てくる面白い表現に、geographic cure (地理的治癒)というものがあります。
興味深い事に、この言葉を使う人はそもそも「地理的治癒」の存在を信じていない人であり、この語彙には通常いささかの皮肉が込められています。
さて、geographic cure(地理的治癒)とは何でしょう?
これは、読んで字の如く、地理的要素に癒しを求める方法で、つまりは、ひとつの町で人生がうまくいかなくなった時に、別の町に引っ越して、一からやり直そうという試みです。
なかなか大陸的な発想で、超大国アメリカ人らしい人生戦略です。実際アメリカ人は引越しが多いことでも有名ですね。
それではなぜこの述語が否定的に使われるのでしょう?
それは、多くの人が、「場所を変えたからといって本質的な問題解決にはならない」事をわかっているからでしょう。
もちろん、地理的治癒が根本的な問題解決に繋がるケースや、その状況下において唯一の現実的な解決策である場合もあります。
例えば、学校で集団による悪質ないじめがあり、学校がきちんと対応してくれないという状況で、転校したら転校先ですごくうまくいった、というケースや、今までに部下を何人も休職に追い込んでいる、いわゆるクラッシャーと呼ばれる病的にサディスティックな上司に標的にされている職場で、適切な異動先のない人が、転職してすごくうまくいっているケースなど、成功例はたくさんあります。
問題なのは、地理的治癒を常套手段として内省する事なく繰り返す場合です。
「地理的」とは文字通り居住地を変える事に限らず、ある状態をリセットしてバージョンは異なるものの本質的には同じ事を繰り返す戦略です。
例えば、ひとつの恋愛から次の恋愛へ、ひとつの結婚から次の結婚へと、離婚と再婚を繰り返す人がいます。
こういう人は、関係がうまくいかないのは相手や状況など外的要因のせいであり、次の相手こそは正しい相手だと思い込んで、同じ過ちを繰り返し続けます。
一見これまでとは全く異なった相手。
一見全く異なった職場。
一見全く異なった街。
それなのに。最初は新しい気持ちで新鮮でうまくいっていたものの、時間が経って気づいたら同じような問題に遭遇し、同じような気持ちになっています。
なぜなら、こうした人がうまく認識できていない未解決な個人的問題は、土地を変えようと相手を変えようと、どこまでもその人に付いてくるからです。
その問題を認識してきちんと向き合って解決するまで。