人間は一人ひとりがユニークであり、唯一無二であり、誰一人として全く同じ人生を歩んでいる人はいません。
生まれ育った過程環境も違えば、今日まで歩いてきた道のりも違うので、性格も世界観も価値観も多かれ少なかれみんな異なり、そこから出てくる情緒体験も異なります。
こういう意味で、我々人間は一人ひとりが「実存的孤独」(existential aloneness)という宿命を持っています。
一方、我々人間の情緒体験や人生経験というのは、より広い意味では共有されていて、今あなたが抱えている悩みや苦しみは、古今東西、決して新しいものではなく、必ずこの世のどこかに同じような悩み、苦しみを抱えている人はいます。それは本質的に普遍的なものです。
さらには、先述の実存的孤独という宿命は、全ての人間が抱えているもので、そういう意味で我々は皆繋がっていて、想いを共有していて、ひとりではありません。
つまり我々は実存的孤独と普遍性という二極の間を生きている存在です。
人生のその時々によって、私たちはそのどちらの感覚をより強く感じています。
たとえば、何か起きた時、ものすごくショックを受けたり、落ち込んだり、強い不安感や恐怖心や罪悪感や自己嫌悪に陥っている時、実存的孤独にどっぷり浸かっているかもしれません。
自分が周りの他の人達とは本質的に異なるのではないか、劣っているのではないか、おかしいのではないか、ひとりだ、孤独だ、寂しい、消えたい。
こんな気持ちになっている時、その人は強く実存孤独を感じています。
興味深い事に、こうした心境にいた人が立ち直る時、その人は少しずつ人生の普遍性を感じるようになっています。人や社会や世界との繋がりを取り戻している時です。
このように書くと、実存的孤独よりも普遍性の方が望ましくて優れた境地のように思えるかもしれませんが、そういうわけではありません。
優劣や正誤の問題ではなく、どちらの境地も必要です。
例えば、あなたの大切な人が何かでとても悩んだり落ち込んだりしている時、「あなたはひとりではないよ」、「みんな一緒だよ」、などと言ってもなかなか伝わりませんし、逆にその方はあなたに対して心を閉ざしてしまうかもしれません。
「あなたには私の気持ちは分からない」、と言うかもしれませんし、孤独感が増してしまうかもしれません。
誰かに寄り添ったり励ましたりする時、私たちは両方の極について意識している必要があります。
逆に、あなたが今まさにとても落ち込んでいて孤独感に苛まれているとしたら、この「普遍性」のテーマに意識を向けてみるとちょっとだけ気持ちが楽になるかもしれません。
こんなことを書いている私も、今夜はちょっと落ち込む事がありました。そして、これを書いているうちに、随分と気持ちが回復しました。これを読んでくださっているあなたに感謝です。