興味津々心理学

アメリカ発の臨床心理学博士、黒川隆徳によるあなたの日常の心理学。三度の飯よりサイコセラピーが好き。

自分のなさから確かな自己感へ

2019-04-24 | プチ精神分析学/精神力動学
「自分がない」、と仰る方と交流していく中で、その方が少しずつ自己感を取り戻し、やがて強く自分を認識するようになるという過程は、私の日常であり、サイコセラピーの醍醐味のひとつだと思うのですが、それまでにさんざん自助本を読み漁り、自己開発セミナーに参加しても自分がよく分からなかった方たちが、どうして一見シンプルな対話の中で自分を見つけられるようになるのか、ときどき考えます。

そこにはいくつかの要素がありそうですが、決定的な要素として、「共感する他者」としての私という主体性が関係しているように思います。

というのも、本当のところ、「自分がない」人などいません。私はこれまでに何千人の人々と向き合ってきましたが、本当に自分がない人とはただの一度もお目にかかった事がありません。

自分がない、という人のほとんどは、自分が見えなくなっていたり、認識できなくなっている状態がとても長い時間続いている、という事だと思います。

そして、こうした人たちが自己感を強めていくためには、彼らの自己を認識する他者の存在が必要なのです (それは必ずしもセラピストである必要はありません。共感的他者、「良い対象」、new object としての他者です)。

なぜなら、こうした人たちの自己感の希薄さは、通常幼少期の、場合によっては大人になってからの、主要な他者からの、共感不全によるものだからです。

共感不全にはいろいろな理由がありますし、これは犯人探しではありません。

その人は、病気であったり、経済的な問題であったり、自身の心の問題であったり、夫婦関係や義理の家族との困難な人間関係であったり、それ以外の内的あるいは外的な問題で、大切な人にきちんと寄り添うことができなかったわけですし。

いずれにしても、人は、重要な他者から比較的一貫して共感して寄り添ってもらう中で、自分の「いま、ここ」の本当の気持ちを認識して、累積的に自己感を強めていく存在です。

クライアント本人にも最初はわからない気持ちを、セラピストは、セラピスト自身の自己、つまり心を使って、認識し、必要に応じて言語化して伝えていきます。それはちょうど、とても小さな子が転んでなんだか分からないけど怖くてとても不快で泣いている時に、お母さんが、「痛いね、痛いね」、と寄り添って共感してくれる事で、その怖くて不快な感覚が痛みであるとその子が理解していく過程と似ています。

「痛くない!」、「強い子は泣かない!」、「我慢できて偉いね」、とかではなく、ただその人の本当の情動に寄り添って一緒にいる感覚です。

人は、自分の経験を正確に映し出してくれる他者の存在を通して自己を認識します。他者の自己に認識される事で、自身の自己を認識する事が出来るようになるのです。

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