普段の日常生活の中で、何気なく使っている
「感情」という言葉だけれど、それでは、
「感情ってなんですか?」とか、
「感情と気持ちの違いって何ですか?」
と言った質問をされて、上手く答えられる人は
少ないのではないだろうか。
一般に「気持ち」、「気分」、「感情」と
いったものは相関的、同義的に使われているけれど、
心理学における「感情」とは、一般社会における
「感情」の概念とは少し異なる。
心理学者の間でも、「感情」(Emotion)の定義に関しては
意見の分かれるところで、満場一致ということの決して
有り得ない概念であるということは、人間の「感情」という
ものが、いかに主観的で、複雑で、多岐にわたる概念かを
物語っているように思う。
多くの心理学者が感情的に異論を唱える
「感情」だけれど、基本的に、心理学における
感情というのは、どちらかというと、「進化論的」、
「生物学的」なものだと言うことにおいては、
異議はないと思う。
感情における考察には、少なくとも3つの局面があり、
それは、1)その感情を喚起する、特定の状況に
対する、個体としての、反応パターン、
2)個体において認識された感情の、他者への
コミュニケーション(表情、ジェスチャー、言語、また、
その言語の声のトーンなど)、そして、
3)Feeling of Emition,つまり、より主観的な感情だ。
この、3つ目の要素が、日常的に人々が使っている
「感情」の概念に一番近いようだ。
私たち人間の感情とは、自然淘汰における賜物で、
人間以外のいろいろな動物間で確認されている。
それが進化の過程で残ったのもだとされる根拠の一つは、
上記2の、「感情の他個体へのコミュニケーション」に
よるものだけれど、人間の、特定の感情を表す表情は、
地域や文化を越えて、普遍的だということがある。
感情のコミュニケーションは、非言語的(Non-verbal)な
ものが言葉による伝達よりも優先されるのだけれど、
(実際私たちは、相手の言っていることよりも、相手の
声のトーンや表情の方を判断材料において重視する)
これは、言語を持たない個体間が、いかに上手くそれぞれの
感情をまわりに表現しているかをみると理解できる。
感情について書くことそれこそ無数にあり、切りがないの
だけれど、今回は、上記3つ目の要素、「主体的な感情」に
ついて考えてみたいと思う。
**************************
私たちは日常生活のいろいろな局面で、じつに様々な
感情を体験しているけれど、「主観的な気持ちは実は
2次的なもので、その状況における体の反応の方が
気持ちに先行する」と聞くと、違和感を感じる人も
多いと思う。「何いってるの? 気持ちが先で、身体の
反応は後でしょう」と。
しかし、以下の体験をしたことはないだろうか。
・映画を見ていて、とりわけこころが動かされたと
思っていないけど、気付いたら涙がでていた
・人前で、ある状況で、恥ずかしいと思っていないのに、
気付いたら赤面していた
・誰か、不快な人を前にしたとき、自分はそれほど嫌では
ないと思っていたけれど、体中鳥肌が立っていた
他にもいろいろな例があるけれど、これらのことや、
これと似たような大変をしたことのある方は多いと思う。
このように、いろいろな状況下で、私たちが認識する
主観的な気持ちというのは、身体の反応(自律神経系、
内分泌系、筋肉など)を体感した後の、フィードバックに
よるものだと言われている。
つまり、1)外部のある特定の状況→2)脳の反応→
3)脳からの、自律神経系、内分泌系、筋肉系の喚起
への指令→4)発汗、動悸、身構え、鳥肌などの
身体的、感覚的な反応→5)脳へのフィードバック→
6)主観的な気持ち→再び2)へ
となっている。
(次回に続く)
最新の画像[もっと見る]