期限付きの仕事や創作活動、試験勉強、論文や課題、プロジェクト、イベントの準備などに取り組んでいる人にしばしば見られる不適応に、セルフ・ハンディキャッピングという現象がある。ハンディキャップとは、ご存知のように不利な条件のことで、これは読んで字の如く、自己にハンディキャップ、不利な条件を与える、という行為だ。一種のセルフ・サボタージュともいえるものだ。
具体的にこれはどういうことかというと、良かれ悪しかれはっきりとした結果のでるプロジェクトに取り組んでいる人が、意図的、或いは無意識的に、何かしら自分にとって不利になる条件を取り入れて、成功する確率を下げてしまう、ということだ。
たとえば、大学入試の試験勉強に取り組んでいる人が、お金に困っているわけでもないのに12月に入って突然アルバイトを始めたりする。或いは、長期の旅行に行ったり、友人たちと連日遊び歩いたり、勉強はそっちのけで、問題を抱えている恋人を助けることに没頭したりする。絶対的な勉強量が不足したり、意識が別の方に向いてしまっているので、明らかに受験生にとっては好ましくない状況である。興味深いことに、こうした行為にでる人の多くは、能力はあり、きちんと努力すれば望んでいる結果を出せる人たちであるということだ。
なぜ彼らはこのように自分で自分の首を絞めるようなことをするのだろう。
矛盾するようだけれど、彼らはこのように自分を成功しにくくすること、自分を貶めるようなことによって、自分を守っているのだ。なぜなら、このように、(うまくいかない)「環境的、外的」な要因、理由を設けることで、実際に失敗したときに、自分の能力の問題ではなくて、外的、環境的な問題があったから失敗したのだと結論付けることで、自己疑念という根本的な問題と向かわずに済むからだ。「もう少し準備する時間さえあったら、うまくいっていた」、「もう少し心の余裕があったらうまくいっていた」、という素晴らしい言い訳が成立するのだ。このトリックのさらに素敵なところは、逆にこのような不利な条件下で事がうまく運んだときに、「あれだけ不利な状況だったのに、自分は成功した!」、「やっぱり自分はすごい!」、「もっと時間があったらもっと自分はできたんだ!」、と、さらに自己愛を満たす材料も同時に提供されている、ということだ。
このように、「どちらに転んでも」、「それなり」のメリットがあるこの戦略は、常に「それなり」の報酬、つまり、自己愛の保護、或いは促進、という機能があるので、強化され、永続されがちとなる。意識しなければ、これは人格に組み込まれ、ごくごく自然にいろいろな場面で展開されることになる。
問題なのは、こうした戦略をほとんど無意識的に常套手段としている人たちは、いつまで経っても自分ときちんと向き合うことができないし、失敗する恐怖、自分の能力が期待していたほどでないかも知れないことに直面する恐怖に直面して、その中で本当に努力することでしか手に入れられない本当の充足感、満足感、深い自己受容、潜在能力の引き出し、といったものを経験することもないことだ。
いつまで経っても、「自分は本気になりさえすればすごいんじゃないか、でもそうでなかったらどうしよう」、という境地のまま、何か大きな飛躍を経験できずに時間を過ごしてしまう。
失敗したり、自分の「現在の」能力を失敗によって正確に把握することで、能力は高められ、将来の成功の可能性は高められるわけだから、その「どちらでも一応大丈夫」という安全圏から抜け出さないと、本当のことは始まらない。それから、実際にやってみるとわかるけれど、今まで恐れていたようなものは、実は幻想であって、実体のないもので、現実はそれほど怖くも悪くもないのだ。本当に恐ろしいのは、努力しきれないライフスタイルを続けているうちに、好機を逃してしまう、ということだと思う。
以上は割りと分かりやすい例だけれど、もっと見えにくいセルフ・ハンディキャッピングの例として、たとえば、恋人とのコミュニケーションにおいて、本当はもっと連絡を取らなければいけないことが分かっている状況や、もっと話し合いが必要だと認識している状況で、なぜかそうしない、そうできない、ということが考えられる。
コミュニケーションをおろそかにすることで、恋愛関係の消失、破局の確率は高くなるのだけれど、実際に関係がうまくいかなくなったときに、自分の性格、能力、容姿など、個人的な要因ではなくて、コミュニケーションが足りなかった、という表面的な理由で自分とも相手とも向き合わずに済むということだ。それで破局が訪れたら、その人はもちろん傷つくけれども、実際に相手と向き合って駄目だったときの破局と比べたら、その傷はずっと少ないし、同時に、向き合って失敗したことで成長できる機会も逃してしまっている。そこで何とか自尊心が守られたので、そのパターンが無意識的に繰り返されていったりする。 また、見捨てられる恐怖、嫌われる恐怖を強く経験している人が、いざ嫌われたときに、「コミュニケーションが足りなかった」、という理由が存在することで、それ以上内省することもない。
逆に、コミュニケーションが足りない中でなんとなく恋愛が続いていたら、「これだけコミュニケーションが不足しているのに自分達はうまくやっている。もっと話し合ったらもっと関係はよくなるかもしれない」、という可能性を可能性のまま温存して心の平衡を保っている、という可能性もある。
このように、具体例は枚挙に暇がないけれど、ひとつ共通して言えるのは、セルフ・ハンディキャップを続ける限り、その人の自己愛や自尊心は適当に守られるかもしれないけれど、本当に欲しいものは永遠に手に入らない、ということだ。それは文字通り、長い目で見ると、自分を損なわせる行為である。
(オリジナル執筆日:2011-12-23 20:59:18)
***より踏み込んだ内容をお読みになりたい方は、こちらの記事をご覧ください: https://note.com/taka_psych/n/ndcb2028c864e
セルフハンディキャッピングは、一般論としては、分かりやすく、理解しやすい概念だけれど、これが個人レベルで、どのようにあなたの人生をサボタージュしているのか本当に深いところで認識するのはなかなか大変です。というのも、人は、ひとりひとり、全く異なった家庭環境で育ち、学校における体験なども、ひとりひとり、とてもユニークなものなのです。そうした中で、ひとは多かれ少なかれ、何かしらのトラウマを経験しますが、あなたがどのようなことで、どのように傷を受け、何にコンプレックスを感じ、そうした中で、どのようになんとか自分を守ってきたのか、そうしたことは、実際はとても複雑で、また、これは無意識的に作用している部分が多いので、盲点は少なくありません。
これはあなたの人生に有害に働いていると同時に、あなたのこころの安定を保っているもので、ゆえに、ここから脱出するには、適切な理解、洞察、サポートと、この自己防衛に取って代わる、健全な新しいチョイスが必要です。もしあなたが今、この問題で自分が困っていることに気づいて、なかなか抜け出せずに困っていたら、私のところに気軽に連絡してみてください。実際に、私のオフィスに来て、何度か心理カウンセリングに参加してみるのもいいですし、これが一番いいのですが、それが億劫でしたら、メールセラピーやスカイプセラピーを試してみるのもいいと思います。
メールセラピーにおいては、もちろん秘密厳守であるため、あなたはもっと個人的なところで、どういうことに悩んでいるのか、私に伝えることができます。それについて私が丁寧に回答するやり取りが、1回のサービスで2往復まで可能です。私のブログの文章が、あなただけの個人的な自己改善マニュアルになります。どうか、ひとりで悩まないでください。私はいつでもここにいて、あなたをサポートします。メールセラピーについては、こちらの記事、http://blog.goo.ne.jp/smf405/e/d1c75907a27367f015a29f3c51336019を参考にしてください。
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言い訳する行為を探すために自ら墓穴を掘ってるんですね。
ところで、
寝ている間に見る夢って、自分でも意識してない心理状態が影響するものなのでしょうか。
目覚めの悪い夢を見たものでちょっと気になってしまいました。
って、こんなことをよだかさんに聞くと、ちゃんとクリニックの受付通せよ、と言われちゃいますね。
失礼いたしました。
そうなんです、そういう言葉が存在するんですよ。ただ、アメリカ人が普段もっと一般的に使う言葉は、Self-sabotage, Self-sabotaging,ですね。ほとんど同義です。
夢については、本当にいろいろな説がありますが、精神力動的な精神療法をしている立場から言いますと、夢はほぼ例外なく、「自分でも意識してない心理状態が影響」するものです。我々が意識できている、こころの「自我」という部分は、本当に氷山の一角で、それは本当に様々な無意識の防衛機制によって、いろいろな感情や気分、アイディアや記憶が巧みにブロックされているんですよね、いろいろな理由で。でもそうやってブロックされたいろいろなものは、常に吐け口を求めているわけで、それが、防衛機制のずっと緩くなった夢という境地で表現されるようになるわけです。しかし、それでも微妙に防衛機制は機能しているので、それでも間接的、象徴的な表現になったりします。
それは、その日の昼間にあったことがダイレクトに分かりやすく夢になっていて、「これなら翻訳、解釈の余地もない」と思えるような、自明に見える夢でさえ、そうです。たとえば、昼間に会ったある人が夢にでてきたとして、でもよく分析してみると、実はその人はその人ではなくて、昔の誰か、或いは、現在のほかの誰かをRepresentしていたりします。そうやって洞察を深めていくと、発見は本当に多いですよ。一見悪いものに見えた夢が、事が前進している実は良い兆候だったり、逆に良い夢だと思えたものが、自分が退行していることを表している悪い兆候だったりするので、人間の見る夢は本当に深いです。
この単語の説明はたくさんヒットするのですが、だからどうなの?というところまでは行き着いていないものばかりだったので、
いや~ここへきて、訊きたかったことが書かれていていたのでとてもスッキリしました。
心理学とは全く関係ない主婦ですが、他にも興味のある項目がわんさか載っているので、これから見るのが楽しみです!
iphoneのホームに置いたので全部読みたいと思います。
今日はもう遅いので寝ます。
寝る前に最高のブログに出会えて、ラッキーな一日の閉めとなりました。ありがとうございます。
嬉しいコメントありがとうございます。お役に立てて幸いです。くだらない散文が多いですが、これからも是非ご愛読ください。よろしくです。
ありがとうございます。素敵なお名前ですね。また気軽に来てくださいね。
でもなんかおかしいぞ、と思い、言い訳してしまう心理を調べていたところに貴殿のブログにたどり着きました。
こちらに書かれていることがカレの言動にぴったり、納得しました。
自己愛と自尊心を守ることだけに長けていて、まるで詐欺師のようなカレ。もちろんセルフ・ハンディキャッピングであることは罪ではありませんが、本当に欲しいものは永遠に手に入らないような人なんだろうな、と。
カレとは距離を遠くするか、縁を切るか、我慢をするか、気にしないかのいずれしか方法しかないな、と思えています。
ずっと疑問だったので、わかっただけでもスッキリしした。
ひと言、お礼がいいたくて・・・、ありがとうございました(^^)
お役に立てて何よりです。この心理は、多かれ少なかれ誰にでもあり得る要素だけれど、これがその人の生活に、人生に影響するようになったら、それは本気で治さなければいけませんね。しかし、この心理はその人を心の傷から巧みに守る性質があり、繰り返しているうちにそれが空気を吸う如くに自然になってしまったりして、恐ろしいことだと思います。そうなってしまうと、よほどその人に自覚があり、治す意思がない限りどうしようもないので、そうですね、Miyuさんのほうで距離をとったりするのがよさそうですね。
「実際にやってみるとわかるけれど、今まで恐れていたようなものは、実は幻想であって、実体のないもので、現実はそれほど怖くも悪くもないのだ。」
とおっしゃってますが、実際にどのような経験をしてそういう風に思ったのですか?
自分のこのどうしようもない心理には名前があったんですね。
考えてみれば、いつも自らピンチに追いこんでたような気がします。
そのくせ、自分は皆より劣っててかわいそうだとか、だから仕方ないんだとか、私は一生皆には追いつけないんろうとか、悲観的になって落ち込むことがしょっちゅうです。
でもたまにハッと気づくことがあって、「あれ?自分って本当にかわいそうだっけ?」と我に返ったりします
。これを何度繰り返したことか…。
自分のことがわからなくてちょっと怖くて、いろいろな心理テストをやってみたりはしたのですが、ここでやっと納得できました。この心理の正体がわかって、なんだかスッキリしたようなホッとしたような感じです。
自分はただのドMなのかと思ってたら違うんですね(笑)
自尊心を守るためだったんですね~、自分は自尊心が欠けている方だと思っていたのですが、まったくの逆だったわけですね。
長々とお話してすいません、ありがとうございました(^-^)
この記事がお役に立って嬉しいです。Self-handicappingは、非常にTrickyな現象で、している本人自体なかなか気づかないもので、つまり、そこに自覚が出てくることが、このからくりから脱出する第一ステップだと言えそうです。また気軽に遊びに来てくださいね。
そして未だに変わっていません。しかし、この記事を拝読し、これからはこの心理状態に自覚的になって改善していきたいと思いました。ありがとうございます。
コメントありがとうございます。
これは実際、本当に多くの人が知らずのうちにしていることで、よくできた防衛機制なので、そこに気づくことは本当に大切ですね。気づくことから、新しい良いものが生まれます。また気軽に来てくださいね。
その時もわかりやすく問題構造を解説して下さっている事に感銘も受けたのですが、ブックマークもせずに去ってしまったために今回の出会いは僥倖でした。
今回は他者の評価を下げる心理を調べ始め、そこからセルフ・ハンディキャッピングという概念に出会って、先生のエントリに辿り着きました。
大変お忙しい事と存じますが、ごく端的なお答えで結構ですので、2点ほど質問させていただければ幸いです。
1,他者の評価を下げる心理について何か名前はついているのでしょうか?自分を知るために詳しく調べたいので、この現象がなんと呼ばれているかがわかれば大きな手がかりになるのですが、ネット検索ではノイジーな情報が多くて苦戦しています。
2,セルフ・ハンディキャッピングという心理の根本的な解決、また1の他者評価を下げる心理の解消は自己肯定感を高める事なのだと思うのですが、それは一朝一夕になせる事ではなさそうです。
しかしどちらも人生に深刻な影響を与える問題で、自己肯定感を高めるという事にも併せて向き合うにせよ、もう少し対症療法的というか短期的な対処法も当面の改善策として欲しく思います。
大まかな方向性で結構ですので何か示唆をいただけないでしょうか。
コメント欄に不相応な長文で申し訳ありません。
お久しぶりです。再び訪れてくださってありがとうございます。Takaさんのことは覚えていますよ。私もTakaなので、とくに覚えやすいのです(笑)
まず、質問1についてですが、これにはいろいろな現象がありますが、その中でも最も基本的で且つ、Takaさんの質問に近いものに、アメリカの心理学者レオン・フィスティンガー(Festinger)の社会的比較理論(Social Comparison Theory)というものがあります。いささか古典的ですが、なかなか便利な社会心理学の話です。
これは読んで字の如く、人間の、自己と他者を比較する性質についての理論で、これには上方比較と下方比較とがあり、Takaさんの質問は、下方比較のほうに該当します。
折角ですので、新しい記事で書いてみますね。Takaさんも、「社会的比較理論」などのKey wordで検索すると、いろいろ見つかると思います。
質問2についてですが、これは本当によい質問ですね。しかし、Takaさんのいうように、人が変わるには、日々の自覚と地道な努力によるもので、やはりこれは、筋肉で引き締まった体になるためのエクササイズにおいて、「2週間で筋肉質の体になろうとすること」の難しさと似ています。
さらに、セルフハンティキャッピングの怖いところは、ここから脱出しよう、と思っても、脱出のための努力を始めるまさにその行動を、セルフハンディキャッピングは捉えようとします。セルフハンディキャッピングから抜け出したい、本当に変わりたい、でも、努力しても変われなかったら怖いな、どうしよう、という不安が、100%の努力を難しいものにする、という盲点です。
そういうわけで、決して私のサービスの宣伝をするわけではないのですが(本当です!)、自分ではどうしても見えないこころの盲点、死角を見極めて、Takaさんにわかる形で定期的に伝えて励まし支えてくれる、心理学者や心理カウンセラーと会うのが、長期的な成長はもちろん、短期的な改善にも有効です。世の中のあらゆる自己啓発本が、どんなベストセラーでも、ひとりの人間を本当の意味で変えるのになかなか成功していないのは、大衆向けゆえにどうしても仕方のない一般論的ガイダンスとは別に、この「自己分析の限界点」でもあります。
さて、宣伝ではない、と言いましたがそれは本当で、もちろんTakaさんが私に会いに来てくだされば大いにお力になれると思いますが(笑)、私のサービスなしでできる方法を紹介します。
あなたと同じようなことに悩んでいて、Takaさんのように、向上心のある、信頼できるお友達(家族や恋人、配偶者でもいいです)を見つけて、ふたりでモニターし合います。Takaさんの仕事は、その人の盲点を見抜いて優しくフィードバックを与えること、相手の人の仕事は、同様なことをTakaさんにすることです。この利点は他にもいろいろあり、たとえば、ひとは仲間がいると、互いに励ましあえるので、モティベーションの維持も一人より容易で、大変なことも続けやすくなります。
それから、自己啓発本的な発言はなるべく避けたいのですが、「どんなに小さな努力、どんなに小さな建設的な新しい行動」でも、それをしたら、必ずそうした自分を励まし、認めてあげてください。日記などつけて、日々、自分がセルフハンディキャッピング克服のために何をしたのか、書き続けるのもよいと思います。書くことは、記録として残るだけでなく、客観性もでてくるので、前述の「盲点」を軽減する役目もあります。
そして、定期的に、頑張っている自分に、何か具体的なご褒美をあげてください。おいしいものを食べてもいいし、好きなところに行くのもよいし、映画を見たり、なんでもよいです。大まかな方向は、つまり、Takaさんが、Takaさん自身の良い親になってあげる、ということです。またいつでもいらしてください。
以前に訪問した時にコメントしたかは覚えていないのですが、おそらくその時のtakaさんとは別人だと思います。
社会的比較理論、ちょっと時間をかけて調べてみますね。
また互いに励まし合うという解決方法は中々良さそうに思います。
すぐに思い当たる友人がいませんが(僕は内面的な深い所まで話すのは恋人くらいで、その恋人が今はいないので難しいですね;)、探してみようと思います。
先生のサービスにつきましては、伺ってみたいと真剣に考えています。
今まで良いカウンセラーに巡り合えていなかったのですが、先生は問題を言語化してすっきり整理して下さるので、探していた方だと感じています。
ただすぐには金銭的にちょっと難しそうです。
先生のサービスのお値段は妥当だと思うのですが、繰り返し通うことになるでしょうから余裕が無いと中々行けません。
蛇足ですがこういう人は結構多いと思います。
というのは、メンタルの充実と金銭的余裕はかなりの程度リンクすると思うからです。
僕も一時期は自営業で潤っていましたが、精神的にチャレンジ出来なくなってからはなんとかその日その日を生きているという感じになってしまっています。
景気とか能力とか環境とかに無関係な純精神的な問題と認識しているだけに歯がゆいですね。
自営業者やフリーランサーは自分で自分をモチベートしなくてはならないので、良いコーチがいると劇的に状況が改善すると思います。
もっともコーチの重要性に気づく事自体が難しいのですが。
そうでしたか、別のTakaさんだったのですね。失礼しました。Takaさん、多いですね。私がLAにいたときにお付き合いしていた日本人の小さなグループにもTakaさんが3人ほどいました(笑)。
Takaさんのように、ご自分に対する自覚や洞察のある人は、変われる人だと思っています。それが深まれば深まるほど、行動を改めたり、軌道修正をすることも容易になりますし。
Takaさんが仰せのように、Takaさんと同じような状況の方は多いと思います。そして、景気や個人の経済状況などの、個人を取り巻く様々なレベルの環境が、その人のこころにかなり直接的に影響することも事実で、実際、国際的精神疾患診断基準のDSMにおいても個人を取り巻く環境、状況を重視する傾向は強いです。お金の問題がもたらすストレスは大きく、複雑な問題だと思います。
私のサービスを考慮に入れてくださってありがとうございます。決してプッシュするつもりはありませんが、私のゴールは、できるだけ多くの人に良い心理カウンセリングを提供することで、そのために、スライディング・スケールを導入しました。これはアメリカでは広く浸透しているシステムで、個人の経済状況を考慮して、その人がなんとか通える価格まで料金を落とすものです(これについては、別の記事で詳しく述べようと思っています)。もし料金のために治療が難しいようでしたら、どうか遠慮なさらずに連絡してください。いずれにしても、Takaさんの健闘を祈っております。