前回のお話、「共感性」の続きです。
今回は、ひとつ具体的な例を挙げて、共感性とは何かについて、考えてみたいと思います。
1月も気が付けば下旬に差し掛かっておりますが、今回の年末年始は、多くの人において、9日の大型連休で、1月5日の月曜日に、「会社に行きたくない」とツイッターでつぶやいた方が多数おられたことが話題になっていましたね。そういうわけで、以下の2通りの会話は、会社員の和樹さん(30)と専業主婦の由香里さん(29)の、1月4日の日曜日の夕方の会話です。いつものように、これらの会話と登場人物はすべて筆者がでっち上げたものです。
会話パターンその1:
和:「ああ、休暇が終わってしまう。明日から仕事だあ、嫌だなあ」
由:「何甘ったれたこと言ってるの?十分休んだでしょ?気合入れないと」
和:「・・・そんな。酷くない? ちょっと愚痴っただけじゃん」
由:「愚痴っても何も変わらないよ。頑張って!」
和:「もういいよ。ちょっとタバコ買ってくる」
何だか殺伐としておりますね。それでは、次のパターンを見てみましょう。
会話パターンその2:
和:「ああ、休暇が終わってしまう。明日から仕事だあ、嫌だなあ」
由:「そうだよねぇ。今回はお休みが長かったし、気持ちの切り替えも大変だよね」
和:「そうなんだよ。休みが長すぎた。楽しかったなあ」
由:「楽しかったよね。久々にふたりでゆっくり過ごせたし」
和:「うん。俺もすごく楽しかった。またふたりでゆっくり時間過ごしたいね」
由:「そうだね。またしばらく忙しくなりそうだけど、楽しみにしているよ」
和:「ちょっとコーヒーでも飲みに出かけない?」
由:「いいね、どこ行こうか」
はい。大分様子が違いますね。 あなたのパートナーとの普段の会話は、どちら寄りですか。もし前者寄りだとすると、注意が必要です。なるべく早く軌道修正をしなければなりません。後者寄りの方、今の関係性を大事にしてください。 さて、パターン1とパターン2で、何がそもそも異なるのかといえば、お分かりのように、和樹さんの最初の発言に対する、由香里さんの対応です。この会話の本質的な違いは、由香里さんの共感性の有無によるところが非常に大きく、前者において、由香里さんには共感性が欠けていたため、会話は棘のある、殺伐としたものになってしまいましたが、後者の場合は、由香里さんが共感性を発揮したため、会話は親密で温かなものへと発展しています。
前回の記事において、共感性とは、自分の主観を傍らにおいて、相手の立場に立って物事を見たり感じたり想像したりする能力であると言いました。
パターン1において、由香里さんは、自分の主観を和樹さんに押し付けて、突き放す感じであったため、和樹さんは傷ついて、こころを閉ざし、その場から去りたくなってしまいました。
しかしパターン2では、由香里さんが、自分の主観を傍らにおいて、和樹さんの気持ちに寄り添い、和樹さんのこころを正確に鏡に映し出すような対応であったため、和樹さんは、「分かってもらえてる」「理解してもらえてる」と感じて、落ち着いて、こころが穏やかになっています。そして和樹さんは、そういう共感的な由香里さんともっと時間が過ごしたく、コーヒーを飲むことを提案しています。
共感性は、良い人間関係において非常に大切なものですが、それほど難しいものではありません。日常生活において、共感性を使うことの第一歩は、この例からもお分かりのように、まずは相手の話に耳を傾ける、ということです。相手の言っていることをよく聞いて、相手の気持ちや立場を理解するように努めます。
さて、理解はできたとしても、それに相反する、あなたの意見があるかもしれません。このときに、あなたの意見を言う前に、まずは、あなたが理解した、相手の気持ちについて、そのまま言葉に出して相手に伝えてみます。あなたがあなたの意見を伝える機会は必ずあります。しかし、まず最初にするのは、相手の気持ちを理解して、理解したことを、相手が分かるように伝えることです。ちょうど、会話パターン2の由香里さんのように。それで相手が、「分かってもらえている」と感じると、さらにこころを開いて話をしてくれるので、会話は深まってゆきます。