http://gigazine.net/index.php?/news/comments/20100417_dream_meaning/
上記の記事(↑)は、この間ミクシィのニュース記事でたまたま読んだのだけれど、これは結構面白い記事だと思う。わが国では、あまり根拠のない「夢占い」と、臨床心理学的、精神分析的な、臨床的根拠に基づいた「夢分析」がしばしば混同されているけれど、この記事は、一応精神分析学に基づいた解釈を加えている。ところでこの記事で、人が死ぬ夢について、一般向けにかなり控えめに書かれているけれど(たとえば、「・・・あるいは、その人物にどこか遠くへ行ってほしいと感じているか、逆にその人を失うのが怖いと思っていることを示す場合もあります」)、実際のところ、もっと良くあるのは、Dreamer(その夢を見ている人)は、無意識的に、或いは意識化しようとすればできるけど意識することを回避しているレベルで、その夢の中で死ぬ誰かに対して、怒りや攻撃性を抱いている、ということだ。
極端に言えば、その人を夢の中で間接的に殺している。それで、Dreamerが本当はその人のことを殺したいのかといえば、必ずしもそうではない。
ただ、夢というのは無意識に押しやられた感情のはけ口で、それは間接的であると同時に、極端な表現であることも多い。その夢を見た後で目が覚めて、「すっきりした」、というDreamerはあまりいないし、たいていの人は、それが夢でよかったとほっとするし、夢の中で経験しているのはその対象を失う恐怖や悲しみだ。
それが普通に直接的に、その誰かを失うことに対する恐怖の表れであることも多く、その場合は、怒りや攻撃性、という解釈はあてはまらない。
ただ、そういう夢を見たときには、その意味について、それからその夢の中で死んだ人と自分との関係性について、少し時間を掛けて考えてみるといろいろ新しい発見があるかもしれない。
夢は、Dreamerの性格によっても意味は相当変わってくるのだけれど、たとえばそのDreamerが優しいひとだったり、怒りや攻撃性などの、自分が誰かに抱く悪感情が嫌で抑制したり抑圧したりしがちな場合、夢の中でそのような間接的な形で怒りや攻撃性を表現している可能性も高い。
ひとは誰でも大切な人に対する怒りや攻撃性など意識したくないものだが、それが必要であるときにも回避し、抑圧し続けたら、そのコミュニケーションや関係性には必然的に問題が生じる。それが夢からの―無意識からの―ヒントだと受け取って、そのひととの関係性を見つめてみて、もし自覚できたら、建設的な表現で、その気持ちを相手に伝えるべきである。そのようにして気持ちが言語化できたら、そういう夢は見なくなるだろう。
しかしさらに複雑なのは、その人が、たとえ夢のなかでもその大切な誰かに対する怒りを経験することができない場合、その大切な誰かの代わりに他の誰かを死なせることもある。
たとえば、賢二くんは彼女の舞ちゃんに無意識的に、本当は怒りを感じているのだけど、心優しい賢二君、夢の中でも舞ちゃんが死ぬことなんて耐えられない。しかし無意識は怒りの表現を求めている。その結果、夢の中で、舞ちゃんの代わりに、賢二君の親友の聡史くんの彼女の理沙ちゃんが死んだりする。
ここで、賢二君は、親友の聡史君カップルに自分の問題を投影し、理沙ちゃんを死なせることで、本当は舞ちゃんに対する怒りを表現していることになる。
こうなると、賢二君が相当に精神分析の知識に長けていない限り、とてもじゃないがこの意味は分からないだろう。
こういう、夢の中のさらなる代理体験、というのは意外とよくあることで、それを覚えておくと、夢分析は進み、自分に対する理解はさらに深まるだろう。
夢分析で一番大事なことのひとつは、この例でも分かるように、夢の意味というのは、個人個人の性格や、人生経験や、今置かれている状況や、そのそれぞれの人間関係などのコンテクストと密接に関係しているので、この記事のような一般的な解釈はあくまで参考までで、誰にでもあてはまるわけではない、ということだ。夢を見たら、自分のコンテクストと結びつけて考える習慣を身に着けると、夢分析はずっとしやすくなるし、有意義になるかもしれない。
上記の記事(↑)は、この間ミクシィのニュース記事でたまたま読んだのだけれど、これは結構面白い記事だと思う。わが国では、あまり根拠のない「夢占い」と、臨床心理学的、精神分析的な、臨床的根拠に基づいた「夢分析」がしばしば混同されているけれど、この記事は、一応精神分析学に基づいた解釈を加えている。ところでこの記事で、人が死ぬ夢について、一般向けにかなり控えめに書かれているけれど(たとえば、「・・・あるいは、その人物にどこか遠くへ行ってほしいと感じているか、逆にその人を失うのが怖いと思っていることを示す場合もあります」)、実際のところ、もっと良くあるのは、Dreamer(その夢を見ている人)は、無意識的に、或いは意識化しようとすればできるけど意識することを回避しているレベルで、その夢の中で死ぬ誰かに対して、怒りや攻撃性を抱いている、ということだ。
極端に言えば、その人を夢の中で間接的に殺している。それで、Dreamerが本当はその人のことを殺したいのかといえば、必ずしもそうではない。
ただ、夢というのは無意識に押しやられた感情のはけ口で、それは間接的であると同時に、極端な表現であることも多い。その夢を見た後で目が覚めて、「すっきりした」、というDreamerはあまりいないし、たいていの人は、それが夢でよかったとほっとするし、夢の中で経験しているのはその対象を失う恐怖や悲しみだ。
それが普通に直接的に、その誰かを失うことに対する恐怖の表れであることも多く、その場合は、怒りや攻撃性、という解釈はあてはまらない。
ただ、そういう夢を見たときには、その意味について、それからその夢の中で死んだ人と自分との関係性について、少し時間を掛けて考えてみるといろいろ新しい発見があるかもしれない。
夢は、Dreamerの性格によっても意味は相当変わってくるのだけれど、たとえばそのDreamerが優しいひとだったり、怒りや攻撃性などの、自分が誰かに抱く悪感情が嫌で抑制したり抑圧したりしがちな場合、夢の中でそのような間接的な形で怒りや攻撃性を表現している可能性も高い。
ひとは誰でも大切な人に対する怒りや攻撃性など意識したくないものだが、それが必要であるときにも回避し、抑圧し続けたら、そのコミュニケーションや関係性には必然的に問題が生じる。それが夢からの―無意識からの―ヒントだと受け取って、そのひととの関係性を見つめてみて、もし自覚できたら、建設的な表現で、その気持ちを相手に伝えるべきである。そのようにして気持ちが言語化できたら、そういう夢は見なくなるだろう。
しかしさらに複雑なのは、その人が、たとえ夢のなかでもその大切な誰かに対する怒りを経験することができない場合、その大切な誰かの代わりに他の誰かを死なせることもある。
たとえば、賢二くんは彼女の舞ちゃんに無意識的に、本当は怒りを感じているのだけど、心優しい賢二君、夢の中でも舞ちゃんが死ぬことなんて耐えられない。しかし無意識は怒りの表現を求めている。その結果、夢の中で、舞ちゃんの代わりに、賢二君の親友の聡史くんの彼女の理沙ちゃんが死んだりする。
ここで、賢二君は、親友の聡史君カップルに自分の問題を投影し、理沙ちゃんを死なせることで、本当は舞ちゃんに対する怒りを表現していることになる。
こうなると、賢二君が相当に精神分析の知識に長けていない限り、とてもじゃないがこの意味は分からないだろう。
こういう、夢の中のさらなる代理体験、というのは意外とよくあることで、それを覚えておくと、夢分析は進み、自分に対する理解はさらに深まるだろう。
夢分析で一番大事なことのひとつは、この例でも分かるように、夢の意味というのは、個人個人の性格や、人生経験や、今置かれている状況や、そのそれぞれの人間関係などのコンテクストと密接に関係しているので、この記事のような一般的な解釈はあくまで参考までで、誰にでもあてはまるわけではない、ということだ。夢を見たら、自分のコンテクストと結びつけて考える習慣を身に着けると、夢分析はずっとしやすくなるし、有意義になるかもしれない。
大事な息子が亡くなったと言って、自分を責めて泣いている夢です。怒りを抑えている、というと最近の状況で、旦那に対しての怒りをかなり抑えています。本当は自分が苦しいのに、どうしても今抑えないといけない状況で・・・。
だから、こういう夢をみたのだろうか、とも思いました。でも、息子の死・・とは本当に辛いものでした。今私が抱えているストレスなんて・・と思いました。夢でよかったって思いましたが、未だに不安が消えなくて、家を出ていくときも、神経質になってしまったくらいです。やはり、心理的に気持ちのいい夢ではありませんね。
はじめまして(ですよね?みさずさんの語り口からある知人を思い出しました)。
それは嫌な夢ですよね。起きてからも不安定にさせられる嫌な余韻の残る夢です。
ただここで興味深いのは、(せっかくコメント頂いたのであえて触れますが)みさずさんが「代理の人の死」と思っているところで、それは実は代理ではないような気がしました。なぜなら、みさずさんは、旦那さんに対して怒りがあるのをきちんと認識しているので(それを表現できているかどうかは別として)無意識に代理を取るほどその感情が受け入れがたいものではなさそうです。問題は、息子さんにたいするいろいろな複雑な感情で、それは旦那さんに対する感情よりもずっと受け入れがたいものなのかもしれません。ただ、客観的に考えて、そのようにみずささんが苦しむほど支持的でない夫婦関係において、ただでさえ大変な子育てにはいろいろなストレスがでてくるだろうし、そこで確かに存在する自然な感情を認めてあげられると、そういう夢も不要になります。そういう意味でも、これはみさずさんの無意識からの意味深いメッセージのようにも思えます。繰り返しますが、私はみさずさんの状況を全く知らないので、これはあくまでひとつの解釈、ということで参考までにですが。
コメント返信ありがとうございます。なるほど、よだかさんのおっしゃるように、確かに最近はいろんな事が重なり、ストレスも大きかったように思います。夢をみた時点では、夫に腹を立てていてそれが残っていたようにも思いますが、確かに考えてみると、子育ての中で気になる不安な点もいくつかあります。プレッシャーのような物を無意識のうちに感じていてしまっていて、それが(恐れや不安が)こういう後味の悪い夢となって現れたのかもしれません。確かに無意識なだけに、意味深いメッセージでもあるのかもしれないです。その息子に対する感情には、自分でもよく向き合わずにいて、それを認めていなかったのかも。。。どこかで、まだまだ大丈夫だ、と自分に言い聞かせていてその感情に気がついていなかったのかも。。。?頑張りすぎていたのかもしれない。今は子供との問題の方が深刻であるのか・・?人の意識とは面白いものですね。。。
仰せのように、夢は私たちが普段の生活のなかでいろいろな防衛機制によって意識できていないことを無意識がなんとか表現していることが多いので、そこに注意を向けるのは自分のより全体的なものを把握する手がかりとなり、とても有益です。
我々の意識的な自分(自我)は、個人差こそあれ、実際無意識の領域と比べて驚くほど限られているので、その経験がPositiveなものであれ、Negativeなものであれ、無意識にこぼれているものは多いです。夢は幾重ものレベルで解釈でき、絶対的な答えはないのですが、みさずさんのように、夢をいろいろ気づく材料にするの大切なことだと思います。