足が丈夫な内に、どうしても「越中八尾おわら風の盆」が
見たくて9月1日、2日に富山に行って来た。
北陸新幹線開通に伴って2015年に完成した富山駅新駅舎
(JR西日本・あい風とやま鉄道駅舎。)富山駅の開業は明治32年に遡る。
乗車人員は1日7843人(降車客含まず―2016年)だ。
駅構内におもしろいエレベーターを発見した。
普通はロープで上下するが、ここのは油圧式で迫力満点、とても目立った。
平成18年開業した富山ライトレール線の富山駅北停留場。
日本初の本格的LRTとなる富山ライナーレールは公共交通活性化を
軸としたコンパクトで持続可能な街づくりに貢献し、全国地方都市の
先駆的モデルとなっている。又、グッドデザイン賞金賞(建築、環境デザイン部門)を
受賞している注目LRTだ。
中核市である富山市は人口416,498人(2018年4月1日推定)。
平成17年の合併により、全国の県庁所在地の中で2番目に広い
総面積を持つようになった。(因みに1位は静岡市)富山市市街地の道路は総じて広い。
これは昭和20年8月1日、2日の富山大空襲によって、市街地の
99.5%が焼失し、城下町としての入り組んだ町並みや面影は破壊された為か?
そして戦後近代都市計画が推し進められたからだ。
この空襲は地方都市へのものとしては最も被害が大きく、
現在も批判の声が根強い空襲の1つだ。
富山城は築城1543年(天文12年)、築城主は神保長職、水越勝重。
廃城は1871年(明治4年)。昭和29年富山産業
大博覧会開催を機に再建された。神通川(現在の松川)の流れを
城の防御に利用したので水に浮いた様に見えた為、浮城、安住城とも言われた。
又、滝廉太郎の「荒城の月」の着想の元になった城の1つとも言われている。
富山県にある信号機はよく見ると横並びではなく縦になっている。
これは雪が積もって見づらくならない様に縦にしたとか。
お国お国の違いがこんな所にも表現されているとはおもしろい。
旅ならではの発見だ。
富山市街地の西側には神通川が流れている。かつては富山の街の
東側を大きく蛇行していた。戦国時代には川のすぐ脇に
富山城が築城され、天然の堀として利用された。
富山市の西隣の砺波市は約人口48,000人(2018年4月1日現在)
散居とチューリップの街だ。
宿泊ホテルはここ砺波にあるホテル。まだチェックインまで
時間があった為、道の駅に立ち寄った。入口の所には
砺波市特産のチューリップ、40種類もの球根が売られていた。
砺波市ではチューリップの栽培面積が日本一を誇り、
年間600万球以上を生産している。富山県でのチューリップ栽培は
大正7年に東砺波郡庄下村から始まった。ここはチューリップの生育に
適した気温、日照時間、肥沃な土地、豊富で良質な
水などの自然の恵みがあり普及してきた。
他に富山米トップバッター富山生まれの新品種「てんたかく」の
新米が売られていた。この新品種は福井県生まれの「ハナエチゼン」と
宮城県生まれの「ひとめぼれ」を掛け合わせたもの。
一等小麦を名水庄川の清らかな水でこね合わせ細く長く伸ばしていくので
コシが強く歯触り良くとてもおいしい、大門素麺。
農家が田園に点々と散在する散居村の砺波平野の美しい風景。
広大な耕地の中に民家(孤立荘宅)が散らばって点在する
集落形態で一般的には散村と呼ばれている。日本国内最大とされる
砺波平野には現在およそ220㎞2に7000戸程度が散在している。
カイニョ(屋敷村)に囲まれた散居村の家々は中世まで遡りうるが
一般的には治安が安定し、為政者にとっても、農民にとっても都合が良かった。
生産性向上への関心が高まる近世期以降に形成又は
拡大したと考えられる。カイニョは防風効果もあり、燃料となり
建築用材になる杉が多い。
うまさ一番の富山のさかな10種
ホタルイカ 3月~6月 春を告げる富山湾の神秘
シロエビ 4月~11月 富山湾の宝石
バイガイ 通年 うまさ倍しあわせの倍の縁起物
アユ 6月~11月 夏を彩る清流の女王
紅ズワイガニ 9月~5月 富山湾の秋の使者
ケンゲ 9月~5月 コラーゲンたっぷり富山湾の珍味
クフラギ 8月~1月 王者を目指す秋の定番
ブリ 10月~2月 富山湾の王者
ウマヅラハギ 9月~3月 愛嬌あふれる冬の味覚
甘エビ 通年 富山湾のルビー
富山湾は天然の生簀と言われ魚の宝庫だ。