令和4年、南座公園「都をどり」のポスター。
舞台の美術意匠を手がけた日本画家・堂本印象の門人ゆかりの日本画家・三輪時子が描いた。
明治5年の創始以来、京都の春を彩る風物詩として戦中戦後の混乱期を除き、
百年以上の長きにわたり毎年欠かさず上演してきた「都をどり」。
戦後初となる2年連続の休演を乗り越え開催することとなった。
本拠地の祇園甲部歌舞練場は耐震対策により休館中のため、
平成31年に引き続き「南座」にて令和4年4月1日(金)~24日(日)公演。
令和の御代を迎えて最初の公演となる本年は「泰平祈令和花模様」と題し、
王朝文化に花開いた美の世界に力強く躍動する武芸の数々を取り合わせ、
泰平の世を迎えられますようにとの祈りを込めて舞う。
稽古を重ねてまいりました芸妓・舞妓が心を合わせて舞う、令和初舞台です。
この日のために誂えた西陣織の帯と京友禅の衣裳を身にまとい舞う「罥歌」から始まり、
競馬で名高い上賀茂神社、蛍の飛ぶ夏の夕べ、手鞠遊びの洛中を経て、
平家物語でおなじみの八島・勝尾寺・宇治と宮廷文化、皇室ゆかりの場所を巡り、
夏・秋・冬と舞い進み桜が満開の仁和寺でフィナーレを迎える。
各3回公演、約60分。
主催者は学校法人八坂女紅場学園。
これは「総おどり」。
江戸時代の御殿舞を源流として祇園甲部でのみ受け継がれてきた
京舞井上流の舞の真髄と年ごとに新たな振り付けと趣向を凝らした
新作をご披露し続けるという「都をどり」の伝統はそのままに、
令和の御代もより良い舞台を届けられるよう「ヨーイヤサー」の掛け声で
幕を開ける令和・初舞台。
第3部 「夏座敷螢夕」。
京の花街(かがい/はなまち)は今日6つの花街がある。
ひとつはこの日の都をどり「祇園甲部」、
明日紹介しようと思っている「宮川町」(京おどり)、
一番古い歴史のある「上七軒」(北野をどり)、
鴨川と木屋町通りの間にある「先斗町(ぽんとちょう)」(鴨川おどり)、
一時は祇園乙部と称されていた「祇園東」(祇園をどり)。
この京都花街組合連合会に加盟する5地区を総称して五花街と呼ぶことがある。
これ以外に非加盟の「島原」を入れて6つの花街が京都にはある。
第4部 「京遊戯色々」
総をどりは季節の名所を群舞で紹介するもので、
衣裳は京友禅と西陣織の匠の手になる逸品で毎年新作を誂えます。
着物には平安遺族の乗り物であった御所車の車輪を意匠化した「源氏車」。
肩口の枝垂桜は都をどりの伝統です。
帯の輪つなぎは八坂神社の紋の1つである五瓜唐花に唐草を合わせた紋が入っている。
第5部 「那須与一扇的」
「都をどり」は明治5年第1回京都博覧会の附博覧(余興)として
時の京都府知事・槇村正直の発案のもと、祇園万亭(現・一力亭)
主人・杉浦治郎右衛門と三世井上八千代によって考案された。
以来、祇園甲部の舞は京舞井上流のみとされ、
家元の振付・指導の下で芸妓・舞妓が舞を披露してきた。
第7部 宇治浮丹 夢一夜
(昭和の南座と歌人・吉井勇)
昭和時代は第二次世界大戦により一時中断したが、昭和25年に本拠地の祇園甲部歌舞連場から
南座へと舞台を移して復活公演を行い、歌人・吉井勇は晩年のすべてを作詞に捧げ、
小説家・谷崎潤一郎や、日本画家・堂本印象らとともに
昭和時代の都をどりを華やかに彩りました。
明治5年の創始以来、毎年京都に春を呼ぶ風物詩として新作をご披露してきた「都をどり」。
その会場、大正2年建築の祇園甲部歌舞練場は国の登録有形文化財の指定を受け、
花街祇園の特徴として百年以上に亘り皆様に親しまれてきた。
平成28年秋より現行の耐震基準を満たしていないとの事で休館、
令和5年「都をどり」開催を目指して工事が進んでいる。
なお、隣りの弥栄会館は将来帝国ホテルに変わる予定。
今年都をどりが行われた京都四条「南座」は松竹が経営している。
近代建築に桃山園の意匠を取り込んだ地上4階、地下1階の建物は国の登録文化財となっている。
南座の歴史は江戸時代慶長年間(1596~1615)初期に起源を発し、
元和年間に官許された劇場で同一場所で今日まで興業を続けてきたという意味では
日本最古の劇場である。
平成28年(2016年)から本格的な耐震工事を行うため休館となった。
その後、平成30年(2018年)9月28日に工事が完成、竣工した。
10月27日には南座新会場記念行事として「南座開場式」「南座新会場祇園お練り」が開催された。
南座は歌舞伎を中心にした公演を行っており、特に毎年11月末日から12月末まで
行われる吉例顔見世興行は京都の風物詩となっている。
この時には役者の名前を勘亭流で書いた「まねき」と呼ばれる
白木の看板が劇場の入口にずらりと並べられることで有名だ。
ちなみに客席数は1082席。
飲食店や売店もある。
西の出入口のところには「阿国歌舞伎発祥の地」の碑がある。
慶長8年(1603年)この辺り鴨河原において、歌舞伎の始祖「出雲の阿国」が
初めて歌舞伎をどりを披露したと伝えられている。