昨年の祇園祭神幸祭は神事だけ行われました。
(2021-8-7付ブログ参照)
この建物は京都を代表するものの1つで、八坂神社の西楼門(重要文化財)。
実際の正門は南楼門だが、あまりにも有名な門なので正門と思われていることが多い。
祇園祭はここ八坂神社(祇園社)の祭礼で、
一般的には山鉾町が主催する行事(山鉾巡行)が祇園祭と認識されることが多いが、
八坂神社主催の神事「神輿渡御」があくまでもメインの日本三大祭、京都三大祭の1つだ。
この時間は午後4時だというのに既に階段のところでは
3年振りの神幸祭を見ようと多勢の人々がその時を待っていた。
祇園祭 八坂御輿渡御編①
そうこうしていたら祇園交差点に東御座御輿を担当している四若神輿会の皆さんが
「ホイット ホイット」の掛け声も勇ましく堂々と正門に向かって行進していった。
こちらは北門のところで神事が始まるのを
今か今かと待っている中御座御輿を担当する三若神輿会の面々の方々。
もう既に熱気を感じる。
3基の御輿が安置されている舞殿の周りには神幸祭の関係者、
一般の人達が取り囲んで3年振りの御輿渡御の神事を待っている。
祭の前の静けさがヒシヒシと伝わってきた。
7月1日の「吉符入」に始まり、7月31日の「疫神社夏越祭」で幕を閉じる。
京都中心部で1ヶ月にわたって開催される祇園祭は基本的には
雨天・荒天でも決行されるが、過去に中止になったことが4回だけあった。
応仁の乱、太平洋戦争、阪急電車の地下工事そして今回のコロナ禍である。
そんな祇園祭1160年の歴史はすごい重みを改めて感じてしまう。
祇園祭 八坂御輿渡御編②
最初に舞殿から担ぎ出されたのが三若神輿会の中御座御輿。
この御輿には八坂神社の主祭神スサノヲノミコトの御霊が乗せられている。
中御座の神輿の屋根の形は六角形で3基とも違うが屋根飾りはともに鳳凰である。
三若の人達は約500名で担当する。
神輿渡御は神様を載せた重要な神事であるため、
当然八坂の神宮は大勢参列して御旅所まで渡御する。
神輿が境内から御旅所へ向かうのが「神幸祭(前祭)」、
御旅所から境内へ戻るのが「還幸祭」で雅なイメージが強い京都の街だが、
2階の神輿渡御は勇壮な行事で京都の意外な一面が見られる。
祇園祭 八坂御輿渡御編③
次に舞殿を出て境内を1周し本殿の前で担ぎ上げるのが東御座御輿。
屋根の形は四角でクシイナダヒメノミコトが祀られている。
この御輿は四若神輿会約450名がご奉仕している。
1枚目の写真から約1時間半が経過。
西楼門前の階段には八坂神社から出てきた3基の神輿を見ようと大変な人混みになっていた。
何せ3年振りの渡御ですから観衆の人達の熱気もすごい。
八坂の神宮の皆さんも東大路通から四条通に向かい、いよいよ御旅所に向かう。
これを見ても山鉾巡行とちがい神事だということがよくわかる。
沿道の大変な人出だ。
祇園祭 八坂御輿渡御編④
いよいよ祇園交差点に中御座御輿が登場。
「ホイット ホイット」の一種独特の掛け声。
そして「上げろ 上げろ」「まわせ まわせ」迫力。
色々書くよりも動画を見てその空気を楽しんでください。
そして三若会の長老。
NHKで放映されたノーナレ「祇園の神さん」の中で紹介されたスナックの大将。
祇園祭がずーっと人生で命と涙ながらに語っていた大将が
この日も元気で参加していたのを発見。
思わずシャッターを押した。
これ正直感動です!
祇園祭 八坂御輿渡御編⑤
続いて登場したのが四若会がご奉仕している東御座神輿。
もうこの頃は祇園交差点は熱気ムンムン最高潮だ。
祇園祭 八坂御輿渡御編⑥
今回この西御座神輿の紹介が少なくなってしまったのが残念だ。
この神輿は形が八角形で重さが約2トンと3基の中で一番重く、
ヤハシラノミコガミが乗っている。
約600名ほどの錦神輿会の人達がご奉仕している。
その中心的人達は錦市場の人々。
幾多の苦難を乗り越えてきた錦市場の人々の結束はものすごく強いと以前TVで報じられていた。
そんな市場気質(かたぎ)があるのか、一番荒々しく勢いを感じて
その迫力に引き込まれてしまった。
やはり祇園祭はこの御輿渡御を見なければ本当の祭の真髄はわからない。
神幸祭の翌日どうしても気になって3基の神輿が納められた「御旅所」まで行ってみた。
八坂神社の御旅所は古くは大政所御旅所と少将井御旅所の2ヶ所があったが、
1591年(天正19年)に豊臣秀吉の命により四条京極1ヶ所に移転した。
1912年(明治45年)四条通り拡幅に伴い現在の姿になった。
この御旅所は普段は京都土産処「Otabi Kyoto おたびきょうと」として使われているということで
神幸祭の7月17日から還幸祭の7月24日の1週間は
八坂神社の神様は御旅所にいて神社にはいなくなる。