江戸時代より「神楽坂の毘沙門さま」として信仰を集めてきた善國寺。
日蓮宗の寺院で旧本山は大本山池山本門寺で鎮護山善國寺という。
開基は徳川家康、開山は日惺上人と伝わる。
当時は馬喰町に創建されたが、たびたび火災に見舞われ、
寛政5年(1793年)に現在地へ移転した。
芝正伝寺、浅草正法寺とともに江戸三毘沙門と呼ばれている。
本堂の左右には神社の狛犬のように阿吽一対の狛虎像が置かれている。
案内板には「石虎」と表記され、製作は江戸時代後期のものだ。
阿形の台石右側に町名、世話人名が刻まれ、
善國寺周辺の住民が寄進したことがわかる。
人気アイドルグループ「嵐」の活動休止の発表を受け、
嵐の聖地として知られる当寺では、ファンによるコンサートチケット
当選祈願などの絵馬奉納がこの様に沢山下げられていた。
神楽坂の坂名の由来は、
坂の途中にあった髙田八幡(穴八幡)の御旅所で神楽を奏したから、
津久戸明神が移ってきた時この坂で神楽を奏したから、
若宮八幡の神楽が聞こえたから、
この坂に赤城明神の神楽堂があったからなど、
いずれも神楽にちなんだ諸説がある。
それにしてもこの街にはなぜか着物がよく似合う。
江戸城から牛込への出口にあたる
牛込見附(牛込御門)の一つをなす橋が牛込橋。
牛込口とも呼ばれた重要な交通路でした。
現在の外堀になっている一帯は堀が開かれる前は
広大な草原でたくさんの武家屋敷が建ち並んでいたという。
牛込橋は寛永13年(1636年)に外堀が開かれた時に
阿波徳島藩主の蜂須賀忠英によって造られた。
飯田橋駅前にそびえるランドマークタワーがこの飯田橋セントラルプラザ。
ここは以前は外堀(神田川)であった所を暗渠にした所で、
その形跡がなんとなく残っている。
尚、飯田橋の名は外堀にかかる橋の名で、
江戸時代の名主・飯田喜兵衛の名前に由来すると言われている。
飯田橋セントラルプラザには、
この様に立派なステンドグラスが設置されている。
このセンターが丁度、千代田区と新宿区の区境に成っていて
それを標示するプレートが埋め込められていた。
外堀はここで神田川(江戸時代は江戸川と呼ばれていた)と
合流し東に流れていた。
尚、神田川は江戸時代初期に江戸城北側の堀として掘られた人工の川だ。
この神田川は首都髙の下に流れていてここから来ているのを初めて知った。
この様な都内の隠れた水辺にさぎが数羽現れていたのにはビックリした。
飯田橋駅前の巨大な交差点歩道橋。
形は□の字で交差点が広い為、かなり歩く歩道橋だ。
小石川後楽園は文京区後楽1丁目にある都立庭園。
江戸時代初期に水戸徳川家の江戸上屋敷内につくられた
築山泉水回遊式の日本庭園(大名庭園)だ。
国の特別史跡及び特別名勝に指定されている。
水戸光圀が明の遺臣朱舜水の選名によって「後楽園」と命名した。
「天下の憂いに先じて憂い、天下の楽しみに後れて楽しむ」から。
小石川後楽園の西側の塀の石垣は、鍛治橋跡(東京駅の南側)から
発掘された外堀の石垣石を利用して組まれたもの。
飯田橋から水道橋の総武線のガードには歴史を感じさせる
レンガ積造りの髙架下があり、架けられた鉄橋には
1904年 DUISBURG-GERMANY
という銘が打ち込まれている。
ということはこの鉄橋は115年間この線路を支えてきたことになる。
鎌倉時代初期の創建といわれている三崎稲荷神社。
万治2年(1659年)に伊達綱宗が幕府から神田川改良工事を命じられたとき、
三崎稲荷神社に祈願したところ工事がスムーズに
進んだことから社殿を新築したという。
明治37年の鉄道敷設に伴い、現在地に移転した。