スプリットはクロアチア第2の都市で人口は17.8万人(2011年現在)。
都市圏で34.8万人。
アドリア海東海岸の小さな半島に位置し、
クロアチア南部ダルマチア群の最大の都市だ。
293年から305年ローマ帝国がディオクレティアヌス宮殿を
造営したのが都市の起源だ。
ローマ時代の遺跡、ディオクレティアヌス宮殿の内部に入るとそこは薄暗く、
ローマ帝国の面影を垣間見ることができる。
その内部の一部はお土産屋さんがひしのいていて、
一種独特の雰囲気を作り出している。
この宮殿を造ったディオクレティアヌスはこの地、ダルマティア属州の
生まれで284年から305年までローマ帝国の皇帝に在位していた。
彼はローマ帝国の安定化に努め「3世紀の危機」と呼ばれる
軍人帝国時代を収拾した皇帝だ。
スプリットのこの宮殿はもちろん世界遺産に登録されている。
このエリアは9000人以上も収容した地下の一部で
半円筒ヴォールトを見えた石造建築物だ。
正にここは古代の上に中世が乗っている遺跡となっている。
この部屋の中には1000年前のごみが溜まっている貴重な遺跡だ。
下の写真は天井に穴を開けて中世のごみを
古代の倉庫に落としこみ穴を塞いだ後のごみ。
ごみの処分を通じて歴史がつながっているすごいコーナーだ。
293年にディオクレティアヌス皇帝が神殿を建てたところ、
近くにあった重要都市サロナが異民族の侵入により放棄され、
市民が宮殿の周囲に移住してきたのが街の始まりと言われている。
この時代は日本では弥生時代の頃というから全くすごい歴史だ。
その後12世紀から14世紀には自治都市として繁栄し、
その後ヴェネツィアの支配下に入った。
この場所はイベントに使われている様で、仮設のステージが出来ていて、
すみずみに照明器具が設置してある。
こんな仮の設備でも古代の建造物が息を吹き通して
モダンな施設に見えてくるから不思議だ。
宮殿は北、東、西側のファサードからそれぞれ塔が
突き出ており、城壁に囲まれている。
北門は金の門、東門は銀の門、西門は鉄の門と呼ばれ、
南側のファサードのみで海に接し、無防備状態に成っている。
仮ステージの横とST.John院の所にあったスフィンクス。
約3500年前にエジプトから持ち込まれたもので
オリジナルスフィンクスが12個もあるらしい。
ステージ奥には円筒形状の部屋があり、
なぜか天井がぽっかり丸く穴があいていた。
この中で丁度男性3名のコーラスイベントが行われようとしていたが、
そこへブラジルの観光グループが来て、
ガイドさんがその場の空気を読まずに長々と観光ガイド説明が始まってしまい、
なかなかコーラスを始めることができなくなってしまった。
スプリット旧市街観光
そのコーラスを動画で撮ってみました。
ドームの中でそのソフトな歌声が響き、一瞬異空間の空気が流れ、
心地よい一時を過ごせた。
古い建物も中庭的な所から洗濯の干し物が目に入ってきた。
旧市街地ではあまり生活のにおいが無かっただけに
この光景は新鮮な印象を持った。
この度の1つのテーマは路地と以前も書いたが、
ここスプリット旧市街地でも狭い路地空間はとても目に止まった。
特に3枚目の石畳は古そうで、古代ローマ時代の香りがする。
ここは路地裏にあるスプリットの有名チョコレート店。
ガイドさんの紹介により、ここで皆買い物をしていた。
外国の人も後からドンドン入店してくる。
何の記録だかわからないが店頭にギネスの記録の表示が貼ってあった。
何門だったか忘れたが宮殿城壁の門。
ここには観光用だと思うがローマ時代のコスチュームを着た兵士が立っていた。
門を出た所には10世紀頃のゴレゴール神父の巨大な銅像が迫って立っていた。
足元に触れると願いが叶うということで足の指あたりが光っている。
他の街でも似た配色、デザインの女性用ロングドレスが売られていたが、
スプリットでも古い街並みにフィットしたドレスがディスプレイしてあった。
これは民族服かもしれない?
このエリアはガイドさんの説明によると古代遺跡を修復している所とか。
レンガと石の塀はまだ真新しく見えた。
修復されたのかもしれない。
いくつかの写真を見れがわかるかもしれないが、
この日もものすごく陽射しの強い日であった。
その為、木陰の所には観光客が集まってくる。
このブーゲンビリアの所もそうだ。
このショーウインドーのガラスにも日本語で書かれているが
ネクタイの発祥の地はクロアチア。
クロアチアが誇る最高級ネクタイブランド「Croata」がここで売られている。