次に、市長は就任して最初の令和5年3月議会で市長給与を1割削減し、「隗より始めよ」と、議会へ同調を求めました。またその一方では、一部の市議会議員の連盟で、昨年12月議会に「市議会議員の報酬削減について早期に議論を開始する決議」が提出され、自身が求める報酬削減の議論が進んでいないことをもって、塩漬けだと指摘し、議論に慎重な議員を批判しました。
議員報酬は議員個人の生活の問題でもあり、また議員の市政相談や議員活動のあり方にも関係する問題です。SNS中心の議員活動なら経費はかからないかもしれませんが、議員は市民の代表であり、その活動スタイルは多種多様で、一律ではありません。
議員活動が多様であるからこそ、老若男女の多様な意見を市政に届けることができます。古いスタイルだからダメだとか、SNS中心でないとダメだ、とはなりません。
「隗より始めよ」の意味は、大事業をするには、呼び水となる小さなことから始めるのが必要だという意味だそうです。つまり市民や子ども達の出血を伴う棚卸しという大事業の呼び水とするため、市長は、自身の給与を10%削ったということです。
自身の仕事ぶりと報酬が見合わず、身を切りたいというなら、周りに同調を求める必要はありません。人知れず身を切ればいいのです。身を切る事を宣伝する必要もありません。
私達の任期はすでに一年を切っています。三年前に掲げた公約の実現に向け、がむしゃらに取り組まなければならない時期です。私の公約はどれも完結していません。あと一年、それこそ命懸けでやらな
ければいけません。
私には正直、こんな不毛な選挙活動に付き合っている暇はありません。政治家人生残り一年を切っているんです。議員報酬について議論するならば、私は、議員報酬は削減ではなく、引き上げるべきだと考えています。
その理由は、長引く経済の低迷と高齢化などにより、日々の市民ニーズに行政だけでは対応できないことが増えているからです。市民の暮らしを預かる議員として、行政ができないから、何もできないとは言えません。まさに議員は最後の砦なのです。
私は、様々な事情で家を追われた方と暮らしたことも3度ありますし、暴力を受けたベトナム人の技能実習生3名を預かって欲しいと言われたこともあります。今はネパール人の留学生の方20名近くが3月末で契約が切れるとのことで、家を探すのに苦労しています。
何十年も空き家だった商店街のシャッターを開けるのに工事をしたり、正直お金はいくらあっても足りません。私の活動スタイルがまずいのかも知れませんが、借金だけが膨らんで、破産するかどうかのきわきわで議員活動をしています。
市民の声に応えようと思えば思うほど、市で対応できない問題で、経費がかかります。議員は基本ボランティアなので、市民は気軽に相談できます。市外であろうが、外国の方であろうが、子どもであろうが、いつでも、誰でも、何度でも。私は、議会制度は最高の市民サービスだと思っています。
しかし私の活動は、北九州市議の諸先輩に比べるとまだまだ弱小です。遥か上をいかれている方ばかりです。私はそうした先輩議員を尊敬し、学び、北九州の流儀や人情、議員活動を学びました。私以外の議員さんには正直もっともらって欲しいと思います。
現在、議会改革協議会で議員報酬について議論されていますが、私は選挙前にやる必要はないと思います。議員が本来やるべき仕事が沢山あり、塩漬けでいいのです。報酬については次の期で当選された方々で、持続可能な議員活動も含めて議論する問題だと思います。任期が一年もない議員が集まって議論しても、選挙目当てだと思われるだけです。
仮に、5%、10%と削減しても、まだ足らないと騒ぎ立てられるのがオチです。中途半端に下げても、文句を言われるなら、むしろ一円もいりません。いくらがいいでしょうかと顔色を伺いながらの議員活動なんてしたくありません。
そこで質問します。最初に述べた予算事務事業の棚卸しにより、151億円もの予算が見直しされるという影響は、市民の生活や、高齢者の生きがい、子供達の成長阻害など、かなり広範囲におよぶと思っています。
武内市長は、自身の給与を10%カットされましたが、今回の市民の痛みと釣り合いが取れるというんでしょうか。一年前に「隗より始めよ」と言われた結果が、今回の棚卸しなのでしょうか。市長の見解を伺います。②