自分は高校時代に卓球をしていました。
いまや卓球は男子も女子も高校ともなれば全日本を目指すのかもしれませんが、自分の時代はせいぜい目指していてもインターハイ。
自分としては県大会に出て新潟市まで行ってみたい・・・程度のもの。
現代卓球界を見ていると隔世の感があります。
その卓球の女子選手が標記の会館に行きたいと言われていましたね。
自分もそこに行ったことがありますので、その発言を聞いた時に懐かしく思い出されました。
自分が行ったのはコロナの時期になってからで、鹿児島に行った理由は、本当は沖縄に行きたかったのですが、当時、沖縄のコロナの状況が悪くなっていて、今は行く時期ではないという状況である中、なるべく南の方に行きたいなと思ったからなのでした。
その旅行プランの中に標記の会館を入れていたのですね。
せっかくなので訪れてみたいと。
自分は60歳まぎわで行ってみたいと思ったのに対し、この卓球の女子は20代そこそこでこの会館にと思っている。
いや、自分的にはこの女子、たいそう立派だと思うしかないと感じました。
卓球の女子選手は炎上したとかいろいろありましたけど、いざ行ってみれば若年世代が日本を背負って特攻に行くというのは間違いなく悲しい歴史であるし、そのようなことであってはいけないということも改めて強く思わされる場所なのです。
決して戦争を肯定するといった建物ではないです。
でもですね、その歴史の上に成り立っているのが日本という国の現代であるのも間違いのない事実なのですね。
あの頃のあの方たちが居られなかったらどうなっていたのか。
今と同様だったのか。
同じように焼け野原から復興出来たのか。
きちんと・・・であるかどうかは分からないのですが、対抗措置を打ったからこその現代なのではないのか。
そういうことを考える、考えさせられるだけでこういう会館が存在するのは価値が大きいと思うのですね。
「特攻」という言葉から短絡的にダメな建物的に判断するのはよろしくないと思われますがいかがでしょうか。
ここには特攻直前に寝泊まりした小屋なども復元されていて、当然のことながらとてもウキウキな気分で見られるものではないのですよね。
隊員は覚悟を決めてここにきて最後の数日を過ごす。
決してデラックスとは言えないこの場所で、です。
でも、戦時中とは言え美味しいものは食べさせてもらえたんだろうな、とか。
そんなことを考えながら巡る会館なのです。
炎上・・・のことがあったのでタイムリーにブログに書くのは控えていましたが、もうそろそろ良いかなと思って書いてみることにしました。
でも書いているのは別にここへの訪問をお勧めしているわけではないのです。
興味を持って見てみたいと思われる方だけが行けば良いのだと思います。
関ケ原でもそう思ったのですが、自分はこの歴史の上にあるのです。
それは避けたくても避けられないことなのですよね。
なので、知りたいのであれば知っておくべき、行くべき場所かと思っています。
過去がどうであれ自分は自分という方も居られるかと思いますので、そういう方はそもそも行かれないと思っていますしね。
特攻隊員のお休み所(復元)です
海中でボロボロになったゼロ戦
かろうじて分かるかのような状態かなと思いました