びわ湖・勝手気ままな日々!

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いよいよ高校教員ラスト5年!私に鞭打ってくれた人々ー17

2019年05月08日 | 1歩前へ踏み出す!

13 須原先生の職員会議での発言(北嵯峨高校)とその後

 なんと、北嵯峨高校の校長の辞令をいただいた。辞令受理当日は好天で府庁から三条京阪の駅まで徒歩で帰った思い出は忘れない。鴨川の桜を眺めながら引継の日程確認のため前任丸尾校長先生に連絡した。懐かしく晴れ晴れとした場面である。北嵯峨高校の所在地は京都市内の北西端、愛宕山の麓と表現するのでしょうか?南には名勝嵐山、天龍寺、北に隣接する大覚寺、広沢の池付近は平安時代の風景、誠に素晴らしく、これらは歴史的風土保存地域として、京都を代表する地域であり、全国各地の遠くから訪問される場所として知られている立地条件にある。これまでの職場、宇治、(東宇治・莵道・城南)伏見(教育大附属)左京区(私学・東山)など市内の東南であったのが、今回突然市内北西端の北嵯峨高校になったから驚きである。その後、住まい移転を真剣に考えることとなったのである。
 私の場合、朝は早く始業までの時間が至福のひとときとして、あれこれと考えるのが誠に嬉しいこととしてあった。JR嵯峨嵐山駅から名勝大覚寺大沢の池を一周して、職場に到着するのである。私が好んだ通勤コースと言える。また、半ドンの土曜日などは徒歩で一条通りを東へ、途中広沢の池をゆっくりと、時には立ち止まりいにしえの風景にひとり浸っていた様に振り返ります。俳句とも言えぬ一句が湧き上がったのも丁度、12月1週目に広沢の池の水が抜かれ、大きな鯉などを池ざらいがされ年末恒例の風景だそうです。そんな様子をじっと眺めていて、ふと「池ざらえ 大きくあへぐ 鯉の口」と浮かんだのです。早速、インターネット投句を他の駄作四句とともにいたしました。平成13年12月6日の選句に入り、このことがきっかけとなり現在も一日四句の日記風川柳を作り続けております。(平成24年5月11年間)(令和元年5月18年間)追記 
またまた、表題からはずれあらぬ方向へ話が進んでいますね、立ち戻ることといたしましょう。北嵯峨高校新任校長の顛末記、着任して間もない定例の職員会議でのやりとりです。教職員組合員のひとりからの校長に対しての質問が投げかけられたのでした。というのは、『昼休み職員として昼食の他、自由に時間を過ごせる権利を有するはずの時間に』生徒から先生に質問がありますと言われることがあります。すなわち大切な休み時間がつぶれてしまうことになるので、その代替えの時間を保障してもらえませんか?このことについて校長先生に見解をお伺いいたします。とこんな質問であった。私の返答は、生徒に対して、1 緊急性の有無を確かめ 2 別の時間を約束する 3 授業での約束の1つとして事前に生徒達とルールを決めておく、等が必要では無いでしょうかと、答えたと記憶します。突拍子もない質問に対して出席全職員は呆れると言うか、しばらく空白の時間が流れていた。その次ぎに、その空気を断ち切るように。
須原当時教務部長が発言!『着任間もない校長先生にあなたが質問する内容では無いように思います。質問された先生は、ここ北嵯峨高校在任歴は何年になります?教師として生徒との信頼関係が長年在任されながら築けて無い事を、どうすれば築けるのですかと今この職員会議の場で尋ねるのですか?質問の先生は生徒との信頼関係を作れないまま、長く勤務されているなら、その事を放置されている事こそが問題で、質問者の職場で教え教えられる先生達間の人間関係に問題があることが浮かび上がるのでは無いでしょうか?他の先生方いかがなものでしょうか?平たく言えば『質問の先生は何年北嵯峨高校におられるのですか?着任間もない校長先生に質問するべき事では無いと思いますが!』質問者は明らかに着任校長に予想もしない質問を投げかけて混乱させようとする卑怯な「心が見え隠れするのです」いかがですか?と強く主張されて、その場は一件落着した。時が経て、彼の校長への質問先生「KY・空気が読めないと言うかTPOのずれている」は、校長面談の際に判明した、彼はIT(PC)堪能で成績及び進路調査書システム改善プログラムに殊の外造詣が深く、京都府立高校の共通システム構築に、自ら手を挙げて、プロジェクトチームに参画して、府内、永年の懸案であったフリーソフトとして共通システムを完成させたその先生なのであったのです。私は、北嵯峨高校在籍わずか二年で、(教育長のコメントは残りの在任期間・高校体育連盟会長職の為・2人教頭の高校へ配慮として)桂高校へと転勤、その後、その彼も桂に転勤してきて、桂の成績や進路資料の窓口として、私が責任を持ってやりますのでお願いします。と、多くの教員がややもすれば避けようとする職務を立派に成し遂げてくれたのです。と言うエピソードです。
のちのちの事であるが、北嵯峨校長着任時の質問の先生は実は生真面目で、生徒との微笑ましい人間関係とはほど遠い、何か堅苦しい、よそよそしい会話しか出来ない人柄であったのです。その代わりと言っていいのか、実務能力は目を見張るほどにあり、IT関係については殊の外堪能であって、京都府立高校レベルの教務システム構築に尽力されることとなったのである。私の最終勤務校の府立桂高校への希望転勤でもあり、大いに教務関係の実務上に大きな働きをして頂いた経過があることも付け加えてこの章を終わることといたします。

 

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