びわ湖・勝手気ままな日々!

温故知新!大切ですね、次代に生きる方々の知恵と活力となります。令和時代を健康で楽しみましょう。

リクエストに応えて!私に鞭打ってくれた人々-2

2019年05月03日 | 1歩前へ踏み出す!

=よみがえる青春=

先ず1から順番かリクエストの項目か?全18テーマある為、気長にお付き合い下さい。
追記(全20テーマに増えました。2022/03/13sundy)

2 卒業式リハーサルと永田一郎皆勤賞

 念願の陸上競技部顧問としての出発、さい先良い近畿高校陸上大会総合優勝まで付いてきた事は、若輩私にとっては大きなプレッシャーとなったのは確かで、力みが見られたであろう。加えて、学校対抗の陸上競技会の最終を飾る1600㍍リレーの魅力にも感動し何としてもこの種目強さ維持に意欲を密かに燃やしていた。 前年、京都中学大会で800㍍リレー優勝チームへ早速勧誘に出向いた。メンバー4人中、2人が我が東山校へ希望を表明し、その1人が永田一郎だった。この永田一郎の入学許可を決意したことで、私は彼の晴れて卒業までの3年間を職員としての命運を賭けることとなったのである。陸上競技部の永田一郎ではなく、学年が進むにつれて東山高校の永田一郎として名をはせていったのである。商業科在籍であり、(普通科8:2商業科)日常の授業で、先生の対応が気に入らなければ、授業終了しても先生を教室から出させないまま閉じこめて置くとか、・・・そんな時、後見人として陸上部吉田顧問が校内放送で呼び出され、事態収拾を図ると言った具合が何回かあったり、当時の生徒達の間では密かに彼の言動を支持する生徒もあり、一部の職員間ででも苦笑いの程度とする出来事として、理解されていたのは、私としても少しの救いでもあった。

 彼、永田一郎の陸上競技活動は最初の一年間くらいしか、記憶になく、発端は故障なのか、学業成績に欠点があると部活動停止ルールを適応したのがきっかけか、確か両方の理由から、部活動から次第に距離を置くようになっていた。私にとってその頃の一番の心配事であった。彼を呼び出しての話では、吉田先生!心配せんでも大丈夫、僕はわかっているので先生に迷惑はかけないから、高校生活を楽しませてくれませんか、と言われ、胸を撫でるひととき、散歩中リードヒモを離した大型犬の行方をしきりに気にしている飼い主の心境が続いた。いよいよ、高校生活の終盤、九州への修学旅行、瀬戸内海を一路北九州へ途中船内の出来事、まんの悪いことに、大阪のある高校と同船中、けんか勃発!騒ぎが大きくなり、先生の耳にただならぬ不穏な空気が伝わってきたときには、いよいよ、最終局面、甲板上で大乱闘一触即発の場面で、何と刃物を振りかざした相手数人を前に、上半身裸の、永田一郎が ”殺すもんなら殺せ やれるもんならやってみーと タンカを切っていた”のである。そんな時間が少し流れ、相手もさすがに刃物を使えなかった。興奮が徐々に硬直し冷めていった時に、相手校も先生が、我が方は永田の仲間達と先生が、その場を後退する事となって、にらみ合いは続いたが、以後何もなく無事に下船する事となって、一同ひやひやの中の旅の始まりとなったことを鮮明に思い出す。ここまでの話で、やや永田一郎の人柄が少しは理解してもらえたかと思います。

 永かった永田一郎の東山高校陸上競技部生活、他の京都の主な男子高校の中でも、東山の永田一郎の名はとどろいていたのであります。いよいよ、卒業!私は重かった毎日から解放される事を大いに歓迎していた。その矢先の出来事!明日晴れて卒業式!前日のリハーサル!私は、彼の学年との接点は1教科指導教師としてあっただけで、学年行事には出席する必然性も無かった。従って、卒業式リハーサルで何が起こっているのか知るよしも無かったのである。その日の夕刻、私に管理職から、話があると言われた。

 明日の厳粛な卒業式に、後見人として、彼永田一郎を式に出ないように指導してくれないかと言う話である。一体全体何があるのか、理解できずまま、彼に連絡して理由を聞いてみる事とした。
 話は、こうだ・・・式リハーサル途中に、結託して、ジャンプ傘を突然!開ける遊びを敢行したのである。それも、1つや2つでなく、幾つも開くのである。進行を取り仕切る教頭や学年の先生は、うろたえ、いかにその場面を納めたのか気がかりであったが、・・・結論はこうだ、永田一郎の発案で、最後の最後まで、高校生活を楽しみたいというものであった。彼らの度を超した遊びを、頭から押さえつけ様とする先生、(大人の)うろたえる様を、喜んでいたと言う事である。明日の当日は、晴れの日に他ならないのであるから、司会進行役の教頭から私に、張本人と見られる永田一郎を式に出させないことで事態の収拾を図ろうとしたのである。
 永田一郎の話、吉田先生!心配ご無用!私を含め、我々生徒は東山高校に対して感謝してるのや、明日本番は馬鹿な事はやらないから・・・と言う事である。教頭先生へその旨伝え当日を迎えたのである。 永田一郎の読みに狂いがあった。ひとり本番にジャンプ傘を開いた馬鹿がいたのである。その時、一郎は叫んだ!厳粛で大事な卒業式で 何をしでかすのか! と馬鹿をせいしたのだった。以後式は何もなかったように、無事にすべてが進行し厳粛な打ちに終わったのでした。式後、一郎は3年間無遅刻無欠席の表彰と副賞を貰い大感激でありました。

 私に、最後の頼みと来たときには最後の最後まで無理を言いに来たのかと、手放しでは喜べなかったが、その頼みはこうである。無遅刻無欠席の副賞まで貰い、直接学校長へ礼を述べたいと行って来たのです。担任や他の大人達は、てっきり 校長室へ殴り込みを(お礼参り)企てると強く防御したので、これは、吉田先生に頼みを聞いて校長先生と会わせてもらえると願い出たのである。
 当の校長も、かねがね噂の永田一郎が直々にお礼を?腰を退きながら対応して頂き本人感激で 襟を正したり、言葉遣いを丁寧に 等とはほど遠く、人間、永田一郎が裸でこころからの お礼の言葉を言わせていただけた。と言う話。大学を出て2年目から3年間の貴重で宝物の様な新任教師教育期間であったと振り返ります。今、永田一郎はどうしているのか会いたいものである。
 風のたよりによると、父親の出身地九州鹿児島で生活しているらしい。
 
 
追記 2021/8/6(月)
鹿児島から京都亀岡に引っ越しで帰って来たのである。以後、3度逢って話しが出来た。感慨一入である。
彼の息子は警察官として、先生、働いてます。等涙の流れる言葉も貰って一安心・・とにかく良かった。
今後、4度5度と会う機会にいろいろと旧交を温めたいと楽しみにしております。その時、続編として追記出来るのが楽しみであります。吉田荘治76才と1日に記す。

 

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