=よみがえる青春=
先ず1から順番かリクエストの項目か?全18テーマある為、気長にお付き合い下さい。
追記(全20テーマに増えました。2022/03/13sundy)
① 今井良春先生の指導
勝利に向けてあらゆる可能性を探り求めている指導者、あまたいる中のひとりとして名の知られている今井先生、全国高等学校選手権大会(一般に全国インターハイ) の第 1回から何と途切れることなく京都府を勝ち抜き連続出場をし続けている全国唯一の学校として知られ、その東山高校卓球部の強さの秘訣は果たして何があるのだろう。私は、たかが卓球と、それまではあまり注目する事は無かったが、縁あって保健体育の新任教師として勤める事になり、現在も続く東山卓球の快挙に先ず注目したのは当然の成り行きであった。当初青二才の私に対して、近寄れる雰囲気も許されず、しばらく様子を伺っておられたように思う。彼今井先生は歴史の教師として、教科及びクラス担任を持ち、全く普通教員として特別待遇を受けることもなく勤務されていた。後ほど耳にしたのだが管理職として異例の推薦をされたが、ことわり、教科指導クラス担任として、それに卓球部監督として、生涯一教員を貫かれ信念の指導者としても敬意を払うものであった。先生はスポーツ及び体育理論を正式に学んでいないと言うコンプレックスを、実は意識しておられ、徐々に私の保健体育指導の実践を理解されるに従って、心の門戸を開いてもらえるようになったのも幸いした。つまり、今井先生は実践を通して数々の勝利するノウハウを蓄積され、生徒の潜在力を最大発揮の局面に立ち会われ、なおかつスポーツ心理学にも実践を重ねる中で、ほぼ核心を掴むレベルにまでに昇り詰めておられたのである。当時、職場の多くの先生達(指導者)は「灯台下暗し」の諺のごとし、今井指導者哲学の何かを探ることなく、ただ漫然と東山学園はまさに宝の持ち腐れ状態であった様に思えたのである。今井氏は私の単純な(素朴で純粋)動機を知るや、一変して協力していただけるようになり、大いに喜んだ記憶がある。長年の東山卓球にまつわる貴重な資料を、どっさりそのまま、私に見せていただいたり、陸上競技部活動休みの日は決まって私は卓球部の練習見学をさせて頂いた。その際、真剣な練習を中断して全員集合させ、私を紹介し、体力作りや敏捷性、スピード養成の練習でのポイント等を話してくれるように、頼まれるまでになって行ったのである。生徒の眼差しは鋭く私に突き刺さり、当然、数ヶ月後に全国優勝を勝ち取るために、大層だが、それこそ命がけの練習なのである。練習再開!体育館全面使用して、壇上(舞台)にも二台!それは、見る私まで鳥肌立つ雰囲気の練習で、数少ない見学の機会を私は、いつも待ち遠しくもあった。ある時、選手が一目散に今井監督のところへ走り来て、ラケットを監督に渡して頭を下げ、監督は縦にしたラケットで頭を叩く場面に接し、これまた驚きで、叩かれた選手は「ありがとうございました」とふたたび練習台へ戻ってまたはじめる、こんな雰囲気である。
◎ 世界大会優勝のシェイクハンドの長谷川選手への紹介
卓球は、何と言っても敏捷性、反射、反応の闘いであると私の理解ですが、今井先生は、私の大 腿部(太股)の太さと、動きを見て大いに興味を惹かれた様であります。ある時、体育館へちょっと来てくれないかと、お呼びがかかり馳せ参じると、新聞紙上やテレビでの活躍されているかっての世界卓球選手権の覇者、長谷川選手がはるばる、高校ナンバーワンの東山高校へ訪問されたその機会に、今井先生がわざわざ、私を引き合わせて頂きました。理由は簡単、私の研究テーマは「パワーの分析的研究」でありまして、卒業論文でもあり、大学卒業後も大学の恩師、山岡誠一氏の推挙を受け※【体力医学会】て、当時毎年、国民体育大会の開催地で全国の研究者が集って、研究の成果を論じ合う機会に、私のテーマを発表したこともあるため、シェークハンドの長谷川選手は二の腕の太さが、他の選手より大きく、太くて、強さの秘訣として話題になっていたことから、紹介をされたのである。次代を担う若い卓球選手の体力作りのヒントになるのではと言う見通しが、今井先生にあったのでしょうか?
◎ 日本選手権ジュニア優勝の村上君とのラリーの思い出
私が受け持つ保健体育の授業で、当時全国高校選手権で活躍が期待される生徒ももちろん混じって受講する。その中に村上博という生徒がいた。卓球の選手の体格は、他の屋外スポーツの選手とは違い、顔色と言い、体格と言い、どちらかというと華奢である。はっきり言って見劣りするのである。繊細な感じを受けると言う方が適当である。ある卓球練習見学の日、村上は体育教科担任の私を見つけて、練習の厳しさとは一種異なる雰囲気で、恐らく私からであったと思う。本練習開始までの時間に、彼とラリーを始めたのです。上手い相手と打ち合うと、自分が上手くなったと錯覚するんです。私の不安定な返球も実に正確にストライクゾーンに返るため、私は一時有頂天にもなった。本練習開始!今井先生が村上選手をつかまえて、ひどく説教されている雰囲気!やがて、事態が判明したときは、ただ申し訳ない気持ちで一杯であった。その年、村上選手は日本代表として、世界ジュニア大会に出場し活躍したのである。全く素人の私の返す玉質に合わす様な練習は、今井監督の練習メニューを台無しするとの事で今井監督は、私には一言も言わず、村上に激しく詰め寄っていたのでした。
◎ 全国高校大会団体戦・個人戦優勝の松岡君の話
彼のことで、私が学んだ大きな教訓として、今も、その場面を鮮明に思い出します。彼も東山卓球の輝かしい歴史の1ページを飾る選手であります。朝練習を終えて額に汗がまだ流れる状態で、教室へ急ぐ彼とばったりと私は合ったのでした。季節は秋から冬にかけての頃だった、学生服の第一ボタンをはずして、国体のジャージのVネックがのぞき、そのしたのシャツが見えなかったので、とっさの事で、上半身裸に国体のジャージー、学生服を羽織ってるので、その点が私は気になったので、後程、顧問の今井良春先生に松岡の情報を確かめたのである。確かめて正解だった。
私は、朝練で汗がおさまるの時間も余裕無く、急いで教室に行くその時であっても私から発した言葉が、彼の私生活に踏みいる、言わなくて良いことまで言ったので、松岡自身は怪訝な顔つきを一瞬見せたので、私は彼の反応を見逃さなかったのである。彼の生活環境を今井先生は語り出しました。いわゆる母子家庭で母親は病の床に伏せっておられ、生計の足しに彼は朝早く牛乳配達のアルバイトをしていて、弟と母親の朝食の準備もして、卓球部の朝練習に三年間欠く事なくやりきり、東山高校卓球部の全国制覇の中心選手として活躍したのである。この事実は、クラス友達も、卓球部仲間にも知らせていないと監督は私に言ったのである。私が発した言葉で彼はどれだけ傷ついたのか計り知れない。その時、彼はごく普通に、しかも明るく対応してくれたので私は助かったのであります。
◎ 東山高等学校 卓球部五十年誌に今井先生から寄稿依頼があって
東山卓球と今井理論 莵道高校 吉田荘治
「東山高等学校卓球部五十年誌」=インターハイ四十回連続出場記念=を編集されるにあたりまして、私ごとき立場のものにも、その偉大な歴史と重みの一端に組み入れて戴ける心に対して大きな敬意と感謝を申し上げます。そして世界に羽ばたく数々の名選手を育てあげてこられた関係者に対して、特に今井良春先生にには衷心より長い間本当にご苦労様ですと言い表す気持ちで一杯です。引き続き東山卓球の名が世界へ大きく響くことをこころより念願しているところです。私が東山学園にお世話になりましたのは、昭和43年から昭和50年までの7年間でありました。当時も東山卓球の強さは抜群で、日本選手権ジュニアで優勝された、現在京都産業大学におられる村上選手や全国インターハイ個人と団体優勝の松岡選手などが印象深い選手でありました。殊に松岡選手の話は、現在でも授業や他数々の機会に話させてもらうことがあります。これらは私が今井先生から直接いただいた財産であると感謝し、東山卓球のこころの伝統だと大切にさせていただいております。この紙面を借りまして御礼を申し上げます。今から当時を振り返りますと特徴的なことが蘇ります。山科グラウンドへいかない日によく卓球部の練習を見学したことと、練習前に一万㍍を確か36分台で走らねば一人前の卓球選手じゃないといわれて部員が走り出すのを、陸上競技部の顧問として呆れると同時に東山卓球の強さを感じたのを覚えております。後に東山陸上も全国高校駅伝に出場しましたが、当時は卓球部員に体育祭の長距離種目で勝てなかったのが悔しい思い出としてあります。
私は大学で運動生理学を専攻しており、当時は生意気にも理屈の方がややもすると先行していたであろうと振り返りますが、今井先生はいろいろトレーニングの事など尋ねられて当惑したことがあります。それというのももちろん、私の方が東山卓球の強さの秘密にいち早く近づきたい思いが大きかっただけに恐縮するばかりでした。後に先生から、ご自身でそれまでのご苦労の後をまとめられた冊子を戴いたりして勉強させていただきましたのも、現在の私にとっては大きな土台となっております。殊に実戦の中から数々の骨格的な”強くあり続けるためのエッセンス”が濃縮されており、ややもすると理論だおれになりかねない私たち未熟な指導者にたいする刺激剤として大きく影響することになりました。今井先生の精力的な練習やトレーニングに対する研究心や探求心は特に私にとっては驚きでありました。
あるときは荻村氏を紹介していただき、フットワークについていろいろ考えた事、そしてまた長谷川氏の腕(特に上腕)の太さと打球の速さについてなどの話し合いは、すべて東山卓球の強さのために、いつでも、どこでも好奇心一杯という印象が強くあり中でも試合後のレポート(技術分析、心理分析、対戦相手分析)や練習の問題点分析も含めて、選手に書かせることよる指導の重要性を学びとったことも以後の指導者としての基盤を伝授していただいたと、ありがたく振り返ります。よく練習での”集中力”が勝負の分かれ目だとはなされていたのも印象的です。近年いわゆる”根性”を植え付けるカリキュラムが諸外国から逆輸入され、競技の世界では射撃競技がそれを取り入れているのは多くの競技者やその指導者の知るところであります。また新企業の社員教育システムに導入されたり、それぞれで成果の出ていろところでもある。これ即ち”人間改革”であり、東山卓球そのものではないかと考えたり、勝たせ続けるさせる監督の哲学ではないかと、おこがましくも分析しているところであります。おそらく、私ごときやからがいろいろと論ずるでもなく、この記念誌のそこここに東山卓球、今井理論が披露されることと確信します。そしてまた私も勉強を重ね、つねに前進したいと強く願望し、最後に東山高校卓球部の今後益々の隆盛を祈念して拙い
「東山高等学校卓球部五十年誌」=インターハイ四十回連続出場記念=」
によせることばとします。
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