びわ湖・勝手気ままな日々!

温故知新!大切ですね、次代に生きる方々の知恵と活力となります。令和時代を健康で楽しみましょう。

よこなぐりの雪をおして歩きを!

2018年01月26日 | 寒気真っ只中
今日も天気優れず、もちろん比良山系は見えないまま3日を経過している。雪小降りのタイミングで雪の菜の花を見ながらマリオットホテル(旧ラフォーレ)北側に隣接する美崎公園内を南へ、旧野洲川の南流がさらに2つに分かれる分岐点を見ながら美崎公民館前(河川敷・大きなグラウンド)に立派な石碑がある。今回はこの話です。ここを通って堤防(今は車通行可)を右へ、やがてピエリの大きな駐車場前に着きました。万歩計は8千5百を指していた。

土手善夫一尉は、昭和40年(1965年)9月18日滋賀県守山町(現守山市)今浜新田付近の台風24号による堤防決壊に際し、第109教育大隊の災害派遣部隊指揮官として、災害派遣中その職に殉じられた。このことは、国会でも取り上げられている。

濁流に囲まれ、救いを求める人々を救助するため、木浜港より漁夫が強風雨の中を五時間を要して救出し、なお翌朝残存の数十名の人々の救援の食糧を運ばんとした自衛隊員がロープを伝わって野州川を渡らんとして殉職しております。昭和40年10月19日 参議院 災害対策特別委員会

殉職現場付近(守山市今浜町美崎)に殉職の翌年建立されている頌徳碑には土手一尉の略歴が記載されている。
 碑文によれば土手一尉は昭和11年11月福知山市で誕生し、福知山高校卒業後、昭和31年防衛大学校入校。昭和35年に卒業し、幹部候補生、第3施設大隊小隊長を経て昭和40年第109教育大隊区隊長および副中隊長として勤務していた。災害派遣任務中殉職。享年28歳(おそらく死後追贈により)正七位勲六等に叙される。一尉に特進。

土手一尉(当時は三尉)は、第109教育大隊の災害派遣部隊指揮官として、32名の隊員を率いて台風24号の集中豪雨による南流野洲川氾濫、堤防決壊のため中州に取り残された地元住民84名救出するため野洲川大川橋付近に前進した。大川橋はすでに橋脚・水道管を残して流出していたが、これらを利用してロープを展張し住民の救出を実施する計画であった。
ロープ展張のため、m2舟艇に乗り込み作業に当たっていた際流木の激突により部下の三曹が危険な状態になったため自らロープを巻きつけ、船の流出を防止たため舟艇は転覆し、救命胴衣等は着用していたが巻きつけたロープのため脱出出来ず、
午前8時20分殉職した。




野洲川の氾濫の歴史は多く記録が残っている。このあばれ川と言われる野洲川のレポートは、
私が転居してきて最初に取り組んだ課題であった。
2017年7月5日のブログを参考に見て頂けたら幸いです。


【歩きメモ】
9788歩・6.8km・1h26m・52.1g・1974kcal

日記風川柳
「よこなぐり 避けて歩けば 石碑見え」
「洪水は 二十歳の時の 出来事と」
「住まいから こんなに近く 惨事ある」
「さらに降る 生活一時 凍結す」


-1年前今日のブログ-

 
寒気透明度大!夕方、浜大津から雪の伊吹山がくっきり見え!
比良の峰・・蓬莱山・・琵琶湖大橋東詰南西角にウエディングホール! それともホテルラフォーレ琵琶湖での挙式?一番の冷えの中、積雪の比良山系バックの撮影! ※......
 

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